高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
   「ゆく道きた道」旗揚げ公演・鶴組 『通夜もなかばを過ぎて』    No. 2025-006

 これまでに来た道、これから行くであろう道の「高齢者コメディ」

「鶴組」千穐楽のこの日、満席なので早目にお越しくださいとの連絡をいただいて、いつものように早めに家を出たのだが、まさかの「魔の中央線」、新宿と中野の間で架線に物がひっかかって電車が止まっていて、予定より50分遅れで会場に着いた。
 開演10分前だったが、同じトラブルに巻き込まれた人が多かったと見え、会場はまだ3分ほど空席があり、幸い中央ブロックで前から2列目も一つだけ空席があって、その席をゲット。
 今年(2025年)1月に結成された演劇ユニット「ゆく道きた道」は、その名前からも想像できるように全員がシニアで、「咲き誇る経験、輝く舞台」をモットーとする。
 その最初の公演が、『通夜も半ばを過ぎて』というのも象徴的で意味深長に感じさせる。
 自分の周囲の親しい人が少しずつ鬼籍に入っていくのを見ることが多いこの年齢になってくると、他人ごとではない身近な話題でもある。
 人は死んだらどうなるのだろう、というのは太古からの人間の疑問である。
 仏教でも輪廻転生という考えがあるが、「人間の霊魂は不滅で、肉体が滅びると他の動物に入って宿る」という説を唱えたピタゴラスよりも早く、エジプト人が輪廻転生を唱えていたとヘロドトスがその著書『歴史』に記しているように、古今東西、死後については人間の最大の関心事であった。
 この劇は、死後の世界というより、その直後の「通夜」を通しての喜劇。
 亡くなった人は、明治から大正、昭和、平成、令和と生きてきたギネスものの高齢者。親類縁者も近くにはいなくて、通夜の席に立ち会っているのは葬儀屋の女性とアルバイトの女性の二人だけ。
 彼女らがうっかり棺の見取り窓を開けておくのを忘れ、新米の死神に伴われてやってきた8人の死者たちが、柩の中の人物が誰であるかと議論を始める。
 夜明けまでにその死者が誰であるかを選び出さなければ、その新人の死神が地獄へ行かなければならない。
 8人の死者たちはそれぞれが、棺の中の死者は自分だと主張し、その過程でその死者たちの関係性が少しずつ明らかになっていく。
 途中、古株の死神や300年前からその魂がさまよっている真中姫などが現れるが、一向に棺の中の死者が誰であるか分からないままであるが、やっとのことでその死者が誰であるか分かり、集っていた8人の死者たちもご近所さんやゆかりのある人たちであったことが判明し、新米の死神は彼らを無事、「天国」か、あるいは「生まれ変わり」の道へと導いていく。彼らに地獄への道がないというのも、この劇の優しさを感じる。
 最後に、死者のゆかりの人物である孫の女性が駆けつけて幕となる。
 演じる人達もそうであるが、観客の多くも高齢者で、身近なテーマとして感慨深いものがある劇であったが、深刻で暗いものではなく、むしろ明るく笑い飛ばして楽しもうという気持の強い舞台で、それは何よりも出演者たちの芝居が好き、演じるのが好き,という気持が伝わってくる舞台であったことに負うところが大きいからであろう。
 出演者は、総勢15名。自分が観たのは鶴組であるが、鶴、亀の2チーム各15名出演で、出演者は別々で演出者も別で、亀組は岡崎良彦となっている。
 上演時間は、1時間15分で休憩なし。


作/麻草郁、演出/酒井菜月
4月27日(日)12時開演、武蔵野芸能劇場・小劇場、チケット:4500円、全席自由

 

>>別館トップページへ