築地小劇場開場100周年、劇団俳優座創立80周年、俳優座劇場創立70周年、桐朋学園短期大学創立60周年記念として、俳優座は今年度「先人たちとつながりを今考える」という理念を掲げて取り組んでいる。
俳優座による『セチュアンの善人』の初演は1960年、小沢栄太郎演出でシェン・テ/シュイ・タを市原悦子が演じ、次に上演したのは38年前の1986年のことで、演出はブレヒトの翻訳者でもあり劇団俳優座の創立者の一人である千田是也で、シェン・テ/シュイ・タを栗原小巻が演じている。
千田是也編集の『ブレヒト戯曲選集』(1962年、白水社刊)第3巻に収められている『セチュアンの善人』は、加藤衛訳となっているが、今回の上演に当たって使用されているのは市川明訳で、演出の田中壮太郎による上演台本は、後半部のないようを原作から大きく変えている。
『セチュアンの善人』を舞台で観るのは今回が初めてなので、ブレヒト戯曲選集の『セチュアンの善人』を観劇の一月前に読んでいたが、理解できたとは言い難かったこともあって舞台を観るのを楽しみにしていた。
原作の冒頭には、「舞台は半ば欧化されたセチュアンの首都」と記されてあり、セチュアンは中国の四川のことで、この劇は「人間が人間によって搾取されている場所ならどこにも適応される寓話劇」という。
舞台上には、上手に遊戯のシーソー、下手にジャングルジム、舞台中央床面には大きなサークルがあり、舞台の背後は天上からすだれ状に紐が半円の円弧を描くようにして垂れ下げられている。簡素な舞台装置の中にも具象的表象性を感じさせる舞台作りである。
開演の合図もなく、舞台は暗転されないまま、水売りの少年ワンがサークルの周りを回っているところから始まる。
この少年ワンが住むセチュアンの首都に、善人を探し求めて三人の神さまがやって来る。神さまがやって来るのを知っているのはこのワンだけで、神さまが見えるのはワンと、神さまを泊めてやることになる娼婦のシェン・テだけである。
三人の神さまは、善人を探し求めてセチュアンにやってきて、泊まるところを探しており、ワンが必死に捜し回るが誰も泊めようとはしない。その神さまたちを泊めたシェン・テはお礼に千ドルもの大金をもらい、そのお金を元手にタバコ屋の店を買い取り、そこでコーヒー店を開く(原作ではタバコ屋)。
善人で人のよいシェン・テは、その店に押しかけてくる居候たちをみんな受け入れてしまい、店は破綻しかける。そのときに現れるのがシェン・テの従兄シュイ・タ。シュイ・タが現れる時にはシェン・テはいなくなる。
シェン・テとシュイ・タは同一人物で、善人と悪人を表象化する寓話的人物であるが、この両性具有は、プラトンの『饗宴』に書かれている、「原始には人間の性には三種あって、男と女のほかに男女の両性を結合した一つの性があった」という話を思い出させる。
シュイ・タは破綻しかけたコーヒーショップを立て直し、今や全国展開しようとするまでとなり、これまで舞台中央に置かれていたサークルが立ち起こされ、シュイタカフェの文字がネオンサインとなって輝く。その光景はスターバックスを思わせる。
しかし、その成功と繁栄はシュイ・タの労働者に対する苛酷な労働と搾取によるもので、シュイ・タはその役に疲れシェン・テに戻ろうとするが、工場の労働者たちは善人であるシェン・テを望まない。労働者たちは、搾取されていても昔のような貧しい生活に戻りたくないのであった。
タバコ工場がコーヒー豆工場とコーヒーショップ店に変わっている以外に、後半部のストーリーは大幅に変えられ、別の話となっているが、全体の流れとしての展開はむしろ分かりやすかっただけでなく、この改変の趣旨、テーマ性がはっきりと汲み取ることができるものであった。
コーヒー工場とコーヒーショップのオーナー社長のシュイ・タの秘書となっているシェン・テの恋人である元飛行機乗りのヤン・スンの交通事故死がシェン・テに戻ろうとするきっかけでもあるが、彼を秘書として身近に置いていたのはシェン・テとしてのシュイ・タであった。シュイ・タがシェン・テに戻ろうとする時偶然その場を見た女やもめのシンが、自分を役員の一人にしないとその正体をばらすと言って脅す。しかし、シュイ・タがシェン・テであることは、シンとヤン・スンのほかは、労働者たち全員がその正体を知っていたのだということが分かる。
シュイ・タの正体を知っていた労働者たちと会社の役員二人は、「悪人」であるシュイ・タの正体を知っていた上で「善人」のシェン・テに戻ることを望まないのは、今の生活を壊したくないからであった。
しかし、一人だけ神さまが見えていた水売りの少年ワンは、善人であるシェン・テを望み、神さまに何とかしてくれと助けを求める。この劇ではワンは、天然の湧水を見つけてEVIWANと名付けて売ることで、今では大金持ちとなっている。ワンは、その湧き水の値段を高くするほどよく売れるのだと言う。
善人を探し求めて歩き回っていた神さまは、経済の事は自分たちの埒外だと言って放棄する。
この最後の場面は、現代社会における経済活動の矛盾を風刺してやまないのだが、この絶望するような社会の仕組みにワンが最後に発する言葉が、最後まで言い切らないままに終わることで、希望があるのかないのか、中途半端な状態で終るが、その先の言葉は観ている観客われわれ一人一人に問いかけられているとも言える。
出演は、水売りの少年ワンを演じる渡邊咲和ほか、神さま1の今野まいを含めて総勢19名の桐朋学園芸術短期大学の学生たちが、コロスや、楽器演奏隊、ダンス隊、街の人々たちを演じ、俳優座からは、神さま2を中寛三、神さま3を伊藤達広、シェン・テ/シュイ・タを森山智寛、ヤン・スンを八柳豪、スンの母ヤン婦人を青山眉子、建具屋のリン・トを加藤佳男、女やもめのシンを山本順子、床屋のシュー・フーの旦那を加藤佳男加藤頼、家主のミー・チューを坪井木の実、巡査を小泉将臣将臣など総勢18名で、桐朋学園の学生たちと合わせて合計37人。
それぞれの出演者の演技に見入ったが、やはり、主演となるシェン・テ/シュイ・タの二役を演じた森山智寛の熱演が強く印象に残った。
上演時間は、前半が1時間35分、途中休憩15分を挟んで、後半が1時間10分で、3時間。ずっしりと見ごたえのある舞台であった。
桐朋学園芸術短期大学の学生が演じる神さま1など、一部の役がダブルキャストでA班、B班としていて、自分が観たのはB班の部であった。
アフタートークがあったが、聞かずに帰った。
なお、興味深いことに、10月16日から世田谷パブリックシアターで『セツアンの善人』が、酒寄進一訳、パウル・デッサウ音楽、白井晃上演台本・演出で公演されることになっている。
原作/ベルトルト・ブレヒト、翻訳/市川明、脚色・上演台本・演出/田中壮太郎
ドラマトゥルク/新野守広、美術/竹邊奈津子、音楽/寺内亜矢子、森山冬子
9月1日(土)14時開演、俳優座劇場、チケット:4500円、
座席:3列(最前列)9番、パンフレット:500円
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