― 親の虐待は負の連鎖 ―
「ひとくず」の音感から「糸屑」を連想していたのだが、広辞苑を引くと、「ひとくず=人屑。人間のかす。取るに足りない人間。夏目漱石、『虞美人草』「電車は人屑を一杯詰めて威張って往来を歩いてるぢやないか」とある。
2019年の朝日歌壇から5首。
「ふた親に愛という名をもらいしに愛されなくて殺される子ら」(2月24日、藤沢市、藤村佐枝子)
「望まれて命は生まれき結愛(ゆあ)ちゃんと心愛(みあ)ちゃんの名に「愛」の字がある(同、観音寺市、篠原俊則)
「結愛に心愛どちらにもある愛の文字どちらにもない親からの愛」(3月3日、神戸市、唐哲虎)
「少女ありき「心」と「愛」の名を持ちて心も愛も知らずに逝きぬ」(同、水戸市、阿部雅子)
「お父さん、お母さん、先生、世の中の大人のみなさまサヨウナラ心愛」(同、近江八幡市、寺下吉則)
『ひとくず』は、2020年に公開された映画を舞台化したものである。映画の方は観ていないが、舞台版は映画的な手法が取られており、場面転換が50場以上もあり、映像的なカットの場面構成を感じさせ、途中15分間の休憩を含めて4時間近くに及ぶ上演にもかかわらず、スピード感のある展開であった。
劇の内容は、母親の恋人による児童虐待で、劇の内容そのものは現実の世界で起こってきたことでもあり、そのことを思い出しても身につまされる思いがするものであった。
舞台は、一人の女性が今日出所するはずのカネマサを迎えに来るところから始まり、その女性の回想から物語は展開していく。
上西雄大が演じる主人公である金田が空き巣に入った家は、電気も切られて真っ暗な部屋の中に、小学生の少女が食べるものもなく何日間も置き去りにされており、おまけに家の鍵は外からかけられており、女の子は家からも出ることが出来ず、助けを求めることも出来ない。少女の手にはタバコの火の跡があり、明らかに虐待を受けているのが分かる。そんな少女に、金田は自分の過去を重ねて思い出し、成り行きで彼女を救おうとする。
舞台は、過去、そしてその更なる過去を重複させながら展開していく。過去は少女マリの物語、更なる過去はマリがカネマサと呼ぶ金田の過去の物語である。カネマサの名は、その少女が、彼、カネダマサオを縮めて付けた(愛)称である。
母親の恋人による暴力、虐待はこれまでにも多く新聞記事となって取り上げられてきており、先に朝日歌壇の歌をあげたように現実にはそんな子供たちが死に至った悲惨なことばかりで、その悲惨な状態をここに改めて書くに耐えないので省くが、この舞台には救いがあって、作者上西雄大の「やさしさ」を感じさせるものがあり、観劇後にはこころをほっとさせてくれ、救われる気がした。
カネマサ、金田正雄は小学生の時から母親の恋人に虐待を受け続けていたが、高校生の時に母親に暴力をふるったその男を刺し殺してしまい、少年院へと送られる。学歴もなく、殺人の過去を持つ彼を受け入れる社会はなく、彼は空き巣を生業としているが、その手口の巧妙さ、賢さから、警察からは「カラス」と呼ばれている。
そんなカネマサがマリと出会ってから、彼女の面倒を見るようになり、マリの母親が恋人から暴力を受けたことから、またもや彼は殺人を犯してしまう。カネマサはマリの母親リンが、娘の誕生祝いをどのようにしたらいいのか分からないのを見て、彼女も親の愛情を知らずに育ったことを感じ、カネマサはマリの父親になることを決意し、リンに家族になろうと言う。
そして、マリの誕生日の日。カネマサはマリの誕生プレゼントとケーキを買って帰る途中、マリの担任の先生と、今は子ども食堂を開いているカネマサの小学校の時の先生と出会う。カネマサは、二人に、ケーキ屋で「お名前は?」と聞かれて、ケーキを買うのに何で名前を言う必要があるのかと怒ったが、彼はケーキに名前を入れてもらえることすら知らなかったのだと告白する。親の愛情なくして育つということがどんな事かを象徴する出来事でもある。
家族を持てるという温かい夢もそこまで。リンの恋人の殺害が発覚して、マリの誕生日にカネマサは逮捕されてしまう。せっかく買ってきたプレゼントも誕生日ケーキも渡せないまま連行されるところを、カネマサの昔なじみの刑事の計らいで、代わりに届けてもらうことが出来ることになる。
その刑事、桑島は自分の過去を語らないカネマサの過去を調べて親身になって彼を長い間見つめてきており、カネマサが家族を持って職に就こうとしてもつけないでいるところに、仕事先を紹介してくれるほどであった。
カネマサが子供の頃、母親の恋人の虐待で大けがをした時、手当てをしてくれた医者が、大人は嘘つきで人を信用しないという彼に語ってくれた、「天使になり損ねて人間になった天使だけが嘘をつかない」という言葉にも反発して受け容れなかったことを語るが、マリの母親リンは、娘のマリはカネマサがその天使であると言うだろうし、自分もそう言うとカネマサに向かって言う。そういう幸せもカネマサの逮捕で一瞬の間であったが、最後には上西雄大の優しさが百パーセント全開する。
出所したカネマサを迎えに来たのは、マリだけでなく、マリの母親リン、そして、リンは車いすに乗ったカネマサの母親までも一緒に連れて来ていた。カネマサの母親は、彼にアイスクリームを差し出し、「どうか食べておくれ」と頼む。
このアイスクリームは、この劇の隠れたテーマとしてのキーワードとなっており、劇中、幾度も出てくる重要な仕掛けでもある。
テーマは非常に深刻なものであるが、毎度おなじみのラーメン屋のおやじさんを演じる倉橋秀美とその客との間で演じられるコントじみたドタバタや、桑島の相棒の刑事と女性警官のハチャメチャなやりとりなど、息抜きの笑いも満載で、シェイクスピアの手法を感じさせ、お見事と言わざるを得ない。
主人公カネマサを演じる上西雄大の演技とその底に流れる温かみは言うに及ばず、桑島刑事役を演じる役者の心温まる演技や、この劇を感動的に盛り立てたマリとカネマサの子供時代を演じた二人の子役の名演技、そしてそのマリの母親リンを演じた古川藍、カネマサ委の母親カヨを演じた徳竹未夏の迫真の演技などを大いに堪能させてもらった。
月並みな表現だが、お笑い満載で、お涙頂戴の感動的な素晴らしい舞台に、大いに心を清浄された。
年末の押し迫った時期にもかかわらず、連日満席の状況だという。大いに祝福したい。
脚本・演出/上西雄大
12月26日(月)12時30分開演、下北沢・小劇場B1、チケット:5900円
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