7日(水)の昼の部で予約していたが、劇団から日時限定(複数の公演日から選ぶことができる)での招待のメールが入ったので、了解のもとに予約をキャンセルして日時を変更した。こんなことは初めての経験だった。
有料のパンフレットも無料でもらったが、その中に出演者変更のお知らせの紙片が入っていて、一人が体調不良、二人がコロナウィルス感染により降板し、代役の出演者の名前が出ていた。この時期に公演中止とならなかっただけが幸運と言わなければならないだろう。
物語は、3・11東日本大震災から7年後の、宮城県三陸沿岸沿いにあるとある町にある食堂兼居酒屋「苫屋(とまや)」を舞台にして展開する。登場人物は、その店を切り盛りしている多緒という女性と、そこに集まってくる復興事業の作業員と地元の漁師や、大工の棟梁、町役場の職員、知的障碍者の「お天気おばあちゃんなど、そして事故で記憶喪失している謎の人物、釧路希人(彼は記憶喪失のため、発見された場所の釧路を姓に、奇跡的に命が助かったことから「希な人」を意味する「希人」という名前をつけられたという)。
苫屋のママは津波で夫と娘を失い、娘は遺品が見つかったことから死亡届を出したものの、未だに遺品も何も発見されていない夫には死亡届を出しておらず、ずっと待ち続けている。
釧路は顔を大きなマスクと帽子で覆っていてその正体が見えない。ところが、知らない人には人見知りするお天気ばあさんのスマさんは釧路には何故か最初から親しくなついている。釧路は暇があれば絵も描いている。そんな一つ一つが、行方不明の夫にそっくりだということで多緒は釧路に関心を抱く。町の伝統的な祭りの踊りでは、流れ者の釧路が代役で見事に踊り、その踊る姿が多緒の夫であったコウちゃんにそっくりだったことから、多緒はますますその疑念が確信的なものへと変化していき、新婚旅行で訪れた奄美大島のことを尋ねるが、釧路はそんな多緒の質問を「知らない」と否定し続ける。
釧路はお天気ばあさんのスマさんが海に落ちて溺れているのを発見して海に飛び込んだときから記憶が甦ってきたのではないかと思われるふしが伺える。少なくとも観客には釧路の多緒への受け答えからそのように感じられる。 釧路は多緒の執拗な追及に、マスクを外して自分の顔を彼女に見せる。大やけどのその顔に多緒は気を失わんばかりに息をのみ込み、あとずさってしまう。
その翌日から釧路は姿を消し、舞台はそれから2年後へと飛ぶ。苫屋にレターパックが届き、差出人の名前がないものの、奄美から出されたものであった。多緒はそれを見て奄美へと飛び、そこで釧路と逢って、顔を見つめ合ったところで幕となる。
話の主筋だけを追ってみたが、脇筋の話で劇のふくらみを持たせている。
苫屋で、復興工事の作業員と地元の人間との喧嘩騒動から舞台は始まり、苫屋のアルバイトの東京から来たユカをめぐっての恋愛騒動、そして復興工事の現場責任者と苫屋のママ多緒との恋愛関係などが交錯する。そして、白いパラソルに白い派手な衣装で、「明日、天気ですか?」と誰にでも問いかけるお天気ばあさんが海で溺れ死んだという知らせの場面では、僕は、思わず『ハムレット』のオフィーリアを思い浮かべてしまった。
今なお、東日本大震災での行方不明者は数知れず、この町は待ち続ける「待ちぼうけの町」だという多緒の台詞に表象される。
震災による傷痕という重いテーマの中に、2年後というこの舞台で、この町で結婚したユカ(その結婚相手は、彼女に恋していたリュウでもガッキーでもなく町役場の職員であったというのも意外なオチであった)が赤ん坊をあやしている姿などに、ある種の明るい未来を感じさせてくれるのが救いでもあった。
出演は、お天気ばあさんスマに岩崎加根子、釧路希人に加藤佳男、苫屋のママ多緒に安藤みどり、復興工事の現場責任者に河内浩、ほか総勢で13名。
上演時間は、途中15分間の休憩をはさんで、2時間40分。
作作/堀江安夫、演出/川口啓史、美術/伊藤保恵
9月6日(火)19時開演、シアターX、チケット:劇団招待、座席:E列13番
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