自分が観劇を決める一つに作者が決め手の一つの基準にもなっているが、堤春恵もその一人。
これまで観てきたのはシェイクスピア関連の作品であったが、今回はタイトルの意外性にも惹かれた。
鈴木大拙と東京ブギウギと何の関連性があるのか不思議で興味津々であった。
当日貰ったプログラムのキャスティングを見て、鈴木大拙に息子がいたのを初めて知った。
大拙はアメリカ人のベアトリスと結婚したが子供ができなくて、混血児をもらって実子として育て、ベアトリスはその子をアランと名付けたが、日本名は勝という。
プログラムに寄稿している演出者の扇田拓也の「視点を変えて考えてみる」によると、勝の墓はなく、仏教関係者の一部からはアランを息子と認めず、大拙には子供がいないとまで言っているということであった。
劇は、大拙とこのアラン、そして大拙宅を取り仕切る女中のおこのと、大拙の甥の娘鈴木民乃と、大拙宅に出入りする古物商の斉藤利助の二人が劇中人物として登場するとともに語り部としても登場する。
アランは子供の時から手の付けられない暴れ者で、学生時代にはダンスホールの踊り子を妊娠させる一方で、両親の反対を押し切って女子大生と結婚するが、彼女とも別れ戦後は歌手と結婚し、結局は三度の結婚と離婚を繰り返す。
戦後に笠置シヅ子の歌で大ヒットした「東京ブギウギ」は、服部良一の作曲で、大拙の息子鈴木勝の作詞になることがわかって、はじめてこの劇のタイトルのいわれを知ることができる。すなわち、この劇は「鈴木大拙とその息子」の物語であった。
劇はこの二人を軸にして展開する。
劇中では、大拙はアランを自分の子供でなかった方がよかったと突き放すが、全く相反するこの二人の人格であるものの、大拙は二人が一つという禅的な思いに至るところが象徴的である。
アランは大拙に反発して放蕩の限りを尽くし、どうしようもない人間にみえるが、劇には登場しない母親のベアトリス、そして民乃、女中のおこのから大きな愛に包まれているのを感じさせ、そこに救いを感じる。
出演は、大拙に鷲巣照織、おこのに新井純、アランに西山聖了、民乃に森尾舞、斉藤利助に吉野悠我。
上演時間は、1時間50分。
作/堤 春恵、演出/扇田拓也、美術/石井みつる
3月15日(月)14時開演、下北沢・小劇場B1、チケット:3500円(シニア)、座席:B列3番
|