010 13日(水)18時半開演、新国立劇場・小劇場 『海の夫人』
作・ヘンリック・イプセン、翻訳/アンネ・ランデ・ペータス、長島 確、 演出/宮田慶子、美術/池田ともゆき 出演/麻美れい、村田雄浩、大石継太、眞島秀和、橋本淳、横堀悦夫、太田緑ロランス、山崎薫
新国立劇場・小劇場、 チケット:5,130円、座席:A席・BB列16番、バルコニー席、プログラム:800円
【観劇メモ】 これまでに読んだこともなく観たこともなかったので、展開のスリルとサスペンスを大いに楽しんだ。 それに、終わり方もハッピーエンド的で適度のカタルシスを浄化させてくれた。 村田雄浩、大石継太などの男優もさることながら、海の夫人を演じる麻美れい、そしてその継子を演じる太田緑ロランス、山崎薫の3人の女優がよかった。 バルコニー席から見ると船の甲板のように見える舞台装置も印象的であった。 これまでにもイプセンの劇をいくつも観てきたが、これを観てもっと見て観たいと思うようになった。
011 2日(火)13時半開演、こまつ座公演 『戯作者銘々伝』
原案/井上ひさし、作・演出/東憲 司、音楽/宮川彬良、美術/島 次郎 出演/北村有起哉、新妻聖子、玉置玲央、相島一之、阿南健治、山路和弘、西岡徳馬
紀伊国屋サザンシアター、チケット:8,000円、座席:8列10番、プログラム“the座”:1,000円
【観劇メモ】 重みを感じさせる西岡徳馬演じる蔦屋重三郎と、軽妙さを持ち味に出している北村有起哉の山東京伝を軸にした江戸文化と政治性を描き出しており、前半部はちょっとかったるく感じるところもあったが、歌あり、人情味と滑稽さあり、それにピリッとした社会(政治)風刺をきかせているところは、井上ひさしと言ってもよいと思った。 上演時間は、途中休憩15分を挟んで3時間。
012 5日(金)12時開演、劇団東京イボンヌ第9回公演 『俺の兄貴はブラームス』
脚本・演出/福島真也、音楽監督・編曲/小松真理 出演/いしだ壱成、モリタモリオ、吉川挙生、川添美和、菊地真之、(声楽家)藤原歌劇団より特別出演:鳥木弥生、押川浩士、所谷直生、他
(武蔵小山)スクエア荏原ひらつかホール、チケット:4,800円、座席:3列16番
【観劇メモ】 この劇を観るおよそ1か月前からブラームスの交響曲(1番から4番まで)、ピアノ協奏曲1番、2番、ヴァイオリン協奏曲などを何度か聞き、シューマンとの出会いや、交響曲1番のできるまでのいきさつなども読んでいたので劇の展開はよく理解できたし、その意味ではこの劇はよく作られた劇だと感心した。 天才には何か欠けたものがあるという点において、ブラームスに欠けていたものを弟フリッツがすべてカバーしているのを描いている。 フリッツは常に兄ヨハネスの陰に隠れた存在であるが、誰にも愛されており、陰で兄を助けているのに、ダメ人間としてしか見られていない。 フリッツもブラームスであるが誰も彼をブラームスと呼ばない。 音楽の才能はまったくないのに、兄に認めてもらいたいばっかりに必死で作曲するが、それらの曲はすべて先達のパクリでしかない。 しかしながら、この劇では交響曲1番はフリッツがいてはじめて完成されたという物語である。 フリッツを演じるいしだ壱成の演技がこの劇の見ものの一つであった。 それにブラームス兄弟を見守るレストランの主人ロドリゲスを演じる菊地真之の演技にも、優しさと心温まる気持にさせるものがあり、好演であった。 そのほか、ヨハネス(ブラームス)をモリタモリオ、シューマンを吉川挙生が演じた。 何よりもこの劇は音楽劇であり、その意味では間に挿入される藤原歌劇団の声楽や曲の演奏に心を奪われた。 上演時間は、休憩なしで1時間40分。
013 13日(土)13時30分開演、文学座公演 『明治の柩』
作/宮本 研、演出/高瀬久男、美術/島 次郎 出演/石田圭祐、山本郁子、坂口芳貞、得丸伸二、加納朋之、福田絵里、佐古真弓、他
池袋・あうるすぽっと、座席:D列10番
【観劇メモ】 足尾銅山の鉱毒問題をテーマにした重厚な劇であるが、観ていて現在の日本の姿とも全く変わらぬことに強い印象を抱いた。 原発事故被害の終息もいつ果てるとも知れないばかりか、これから先にも事故が起こった際、住民の避難の確保もまったくできていない状態で、経済のみを優先にし、安全性が確認されたとして原発再稼働が着々と進められている現在。 チッソ水俣病にしても過去の問題ではなく、収束しているわけではなく、現在も残された問題である。 被害者はいつも取り残されている。 劇中石田圭祐が演じる旗中正造は、憲法が人民を守ってくれるというのを固く信じてやまない。 憲法を信じているだけに天皇をも強く信じているところなどは明治憲法の中で生きる彼の時代性の限界を感じる。 旗中正造は足尾銅山の鉱毒被害から村を守ろうと当初は議会で奮闘し、それが国会では解決できないとすると議員を辞職して村の中に入り込んで百姓と共に戦おうとするが、最後には行政の手によって憲法違反だとして官吏から追及される立場になる。 憲法は、本来は為政者を束縛するものであるはずなのに、国民を束縛するという矛盾に陥っている姿は、都合が悪いところは憲法解釈を捻じ曲げている現在の政治のありようと瓜二つである。 行政と国家の経済的繁栄の手段の前には、旗中正造はピエロに過ぎず、石田圭祐演じる旗中正造はその道化役を見事なまでに演じ切っていた。 激しい内容の劇であるだけに、エピローグとしての角袖の斉藤巡査を演じる坂口芳貞と正造の妻タツ子を演じる山本郁子の静かな台詞が印象に残る。 特に坂口が演じる巡査は、旗中正造を一言の台詞もないまま影のように付き添って尾行する役柄で、それだけに彼は旗中の真の姿を一番知っているのは自分であろうと言って、旗中が肌身離さず持って歩いていた包みの中身について、聖書と、筆写した憲法と、それにただの石ころが3つであったことを明らかにするところなども印象的であった。 幸徳秋水こと豪徳さん演じる得丸伸二、木下尚江こと岩下先生を演じる加納朋之、旗中村の百姓宗八を演じる亀田佳明、その妹タキを演じる福田絵里など、熱演。 上演時間は途中15分の休憩を挟んで、3時間5分。 <追記> この公演を前にした数日前、演出の高瀬久男が亡くなった。謹んで冥福を祈るとともにその早すぎる死が残念でならない。“あうるスポット”の劇場内には、彼が演出した作品のチラシや資料などが展示されていた。
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