今年、タイプスは両国に新しく稽古場兼小劇場としてのスタジオを開設した。
その開設記念公演として『12人の怒れる男』が上演されているが、久しぶりに感動の舞台を観る思いであった。
作品としてはかなり有名で、日本でも何度か上演されているので内容については熟知している人も多いかと思うが、評決をするための密室という狭い空間での出来事であるので、スタジオ形式の小劇場は、この劇の雰囲気を濃密に醸し出すのに最適であると言え、その利点を最大限生かした演出でもあったと思う。
陪審員制度という無作為に選出された者の集まりを、多様なキャラクターのキャスティングをすることで、個々の俳優の演技もまた味わい深いものがあった。
狭い空間の中で、観客としての自分までもがその陪審員評決の中に参加しているような感情移入が生じてきたのも印象的であった。
状況証拠としては被告の少年の父親殺しは動かしようのない事実に思われ、陪審員たちも評決のために個室に入ってきたときには簡単にすぐに決するものと安易な気持でいた。
ところが、ひとりだけ有罪とするには合理的な疑いがあるとして、無罪を主張する。
陪審員の評決は全員一致でなければならず、そのためにその場の空気が一瞬にして固くこわばる。
陪審員たちは名前も経歴を互いに知らず番号で呼び合うことになっているが、有罪、無罪についての意見を述べるときに、発言者の人物の背景、過去が垣間見える。
今の仕事のことを自分から進んで語る者もいれば、自分が自由を求めてきた移民であると名乗る者もいる。
当初有罪を主張していた11人については、有罪無罪の自分の意見を述べるとき、その人物背景、経歴が垣間見えるのであるが、当初から無罪を主張している陪審員第8号(新本一真)はその人物背景が見えない。
状況証拠を覆す一環のひとつとして、自己の体験として電車の高架のすぐ近くに住んでいたことがあると語るが、そのことだけでは彼の人物像を掴むことはできないが、一人の人間を簡単に抹殺することはできないという彼のまっすぐな正義感が有罪の根拠を一つ一つ覆していくところと、有罪論者がそれに感情論的にまた論理的に反論するところがこの劇の見せ場でもある。
論霊的に無罪を主張する第8号に対して、他の陪審員は多くは感情論で有罪を主張するが、初老の端正な紳士を感じさせる第4号(石山雄大)だけは、冷静に論理的に有罪を主張するので説得性を感じさせる。
陪審員第9号(瀬川新一)は、その第4号の鼻に手をあてる仕草から、殺人現場を目撃したという女の証言を覆すきっかけの発言をする。それは、女が普段は眼鏡をかけているという証拠であり、従って就寝中には眼鏡をかけないので、目撃したと言ってもその証言は当てにならないことを意味し、無罪論の決定打となる。
感情論的に最後まで有罪を主張していた第3号(水島文夫)は、最初と逆に一人だけ有罪論者となる。
彼がそこまで有罪にこだわった理由は失踪した自分の息子の問題があってのことで、無罪に同調する時彼が目に涙をにじませる姿は、思わずもらい泣きするほどの迫真の演技であった。
12人の陪審員それぞれの個性を演じる俳優が、みな個性的で印象に残る演技で、観ていて彼らに感情移入してしまうほどであったのは、狭い空間と時間とを共有している特典であり、そのことで濃密なる感動を味わうことができた。12人の陪審員全員に、素晴らしかった、という言葉を贈りたい!守衛のだる磨君(安齋)もご苦労さん!
上演時間は、1時間40分。
【感激度】 ★★★★★
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