【観劇メモ】
鵺を通して、「平家物語」の源頼政から現代まで突き抜ける。
「平家物語」に登場する鵺は、崇徳院の御霊ともいわれる。
鵺を恐れるのはそこに故人の恨みを見るからであり、その恨みは実は、己が写す鏡。
鵺を退治した源頼政もまた、鵺の預言に従って果てていく。
そして場所と時代は、現代のとある川辺へと移る。
逃げた犬を探して鎖をつけた首輪を引きずって男が雨の川辺を歩いていて、昔の恋人に出会う。
女は自分が捨てた女。女は鵺となって男の心の鏡となり、男はやがて女と川に消えていく。
次なる場所は東南アジア。
そこは、(はっきりとは主張されないが)ヴェトナムの空港。
消えた男を追う女。
男は村上という名前のパスポートを無数に持つ。
男は人買い。
人買いの目的はいろいろ。
臓器移植のための人買いは、今国会で臓器移植法の法案提出とからめてみれば、きわめて時事的。
鵺は、猿の顔、狸の体、蛇の尾、そして虎の手足をもつ。
鵺は、これまでのひとりの女から、ここに至って4人の人物が一体となって国家という比喩の鵺となる。
村上という謎の男、その妻と思われる女、村上の勤めていた会社の同僚(?)で女を愛している男、そして村上の人身売買のビジネスのライバルである現地の青年の4人。
それまで、鵺は個人の怨霊であったものが、国家という体制の鏡としての鵺となるとき、坂手洋二の寓意を見る。
鵺は醜いもの、しかし己を写し出す鏡、とするならば、この国(=日本)の醜さを映し出すアレゴリー感じる。
プログラムにある坂手洋二と鵜山仁の対談が面白い、痛快である。
「芸能が国家に管理されていくというプロセスにも共通性がある。劇場の有様も当然それに応じて変わる、観客の質も変わってくる。でもそんな「国家の劇場」で、芸能が演ずることはというと、勝った人より負けた人の物語の方がはるかに多い」。
新国立劇場の人事の問題の不透明性さに一矢を報いた発言として痛快である。
|