南の島々。
沖縄とフィリピン。
共通事項はアメリカ軍基地問題と第二次世界大戦における一般住民の被害。
フィリピンの俳優4名と、燐光群の俳優とによるオムニバス形式の交流劇。
第一話は竹内一郎作・演出による『虎の杖』。虎の杖とは中国語の漢字で、イタドリのことだという。日本では名前の由来として、怪我などの痛み止めなどに使われ、痛みを止めるからイタドリというらしい。
基地の兵員大幅削減で父の経営する自動車販売会社が倒産すると心配して、東京から紀子(梶尾麻衣子)が沖縄に急遽帰ってきて、高校の新聞部の先輩照屋(伊勢谷能宣)が記者をしている地元紙の社屋に訪ねてくる。
照屋は紀子に基地が削減撤去されても沖縄の経済は復興すると、フィリピンでのクラーク基地とスービック基地の撤廃後の経済復興した例をあげて説明する。
そして場面はフィリピンへと飛ぶ。そこでは10年前に基地が撤廃されて、基地で働いていた者の同窓会のようなパーティが企画され、4人の者が集まる。
メリサ(レイ・バッキリ)は基地では化学物質の廃棄処理の仕事に従事していて、その汚染を垂れ流していた罪滅ぼしで、今はボランティア活動のような仕事で生計を立てている。
ラモン(パオロ・オハラ)はエコツアーと称してジャングルの自然を巡る観光案内人になっている。
エイミー(マイレス・カナビ)はマニラで高級専門服店の経営者と自称しているが、ラモンから腕の刺青から娼婦だと見破られる。
最後にやってきたジェリー(ボン・カブレラ)は、実は彼がこのパーティの企画者であるのだが、そのことは隠して主催者不在の奇妙なパーティが始められ、最初はお互いが、基地撤廃後、いかにその難局を乗り切って成功したかを語るが、次第にその嘘がはがされていき、お互いの間に気まずい空気が漂う。
沖縄とフィリピンの挿話が交互になって、基地問題と日本とフィリピンの国家のありようが浮かび上がってくる。
その両方にイタドリが出てくるのだが、その両方のエピソードを象徴的に結びつける役割を担っている。
第二話の『雪を知らない』は、沖縄とフィリピンのもう一つの共通項、どちらの国にも雪が降らないということをモチーフにして、基地問題とフィリピンのジャパユキさんの問題が浮き彫りにされる。
ジャパユキさんは自分の身を犠牲にして家族のために出稼ぎに出るのだが、時に家族の崩壊をももたらす。
場面は沖縄の米軍兵士相手のスナックバー。
リンダ(レイ・バッキリン)はそこでダンサーとして働いている。
そこへ東京からヒロコ(安仁屋美峰)とメイドをしているマーサ(マイレス・カナビ)がリンダを尋ねてくる。
二人は何年かぶりで再会するのだが、はじめはお互いを懐かしむが、しだいに二人の間に溝を作ったかこの事件があぶりだされてくる。
休憩10分間を挟んで、第三話『コレヒドール』。
何の予備知識を持っていなかったので、コレヒドールが何なのか知らないままであったのだが、日本軍と米軍両軍の多数の戦死者が出た激戦地であるが、今ではその<戦跡>が観光地として資源化されている。
観光地としてのコレヒドールは米軍の戦死者の被害や日本軍の悲惨な最期の戦跡を語るものはあっても、それ以上に多数の死者を出したコレヒドールの現地の人の被害を語るものはない。
マニラからフェリーでコレヒドールにその<戦跡>を見学に来た日本人の一行の帰りの船便が出てしまって、ホテルも満室とあって、大勢の日本人兵士が最期を遂げたトンネルへと出かける。
そこでは戦争ショーが催されていて、ツアーの一行はいつの間にかその中に紛れ込み、あたかもタイムトンネルの中を通っているような錯綜した場面に遭遇していく。
舞台は、両側から客席に挟まれ、客席もわずか40席前後。
その舞台構造から観客である自分も、舞台の参画者のような臨場感を味わう。
見終わった後も、腹の底がずっしりと重くなるような劇である。
いつもながら、燐光群の舞台は、日常の惰性に埋没している怠惰な自分を啓発し、刺激してくれる舞台だった。
上演時間は途中の休憩を含めて2時間40分。
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