高木登劇評-アーデンの森散歩道-別館-

 

8月の観劇日記
 
021 16日(土) 花形・名作舞踊鑑賞会

『越後獅子』 滋賀山 櫻
『流星』 花柳 寿太一郎
『関の扉』 花柳 小三郎、藤間 万恵

国立劇場・小劇場

 


022 18日(月) こまつ座公演 『闇に咲く花』

作/井上ひさし、演出/栗山民也、音楽/宇野誠一郎、美術/石井強司
出演/辻萬長、石母田史朗、浅野雅博、石田圭祐、増子倭文江、山本道子、小林隆、他

紀伊国屋サザンシアター

 

【観劇メモ】
ついこの間見たような気がしていたのだが、2001年の上演以来7年ぶりの再演だという。

そのときの愛敬稲荷神社の神主牛木公麿を演じた名古屋章の印象が今でも脳裏に焼き付いていて、僕の中でいつまでも生き続けている。

とはいいながらも、新たな出演者に井上ひさしのドラマの再演は、新たな発見と新たな感動に包まれるのだった。

今回は「神社」についていろいろと考えさせられた。

確かに、僕が子どもだった頃、神社には心の安らぎのようなものがあったと思う。

それが今はどうだろう?!子どもたちは神社で遊んでいるだろうか?

そして、今回新たに考えさせられたことは、プログラムの表紙の左下に記された、「C級戦犯とは何か」という問いかけだった。牛木健太郎がその「C級戦犯とは何か」という「問い」を体現している。

裁かれるものは、牛木健太郎(石母田史朗)に象徴されるように、戦争犯罪のスケープゴートでしかない。

もっと本当に裁かれるべきものは、ぬくぬくと生き延びているという、ぶつけどころのない憤りが・・・

それが戦争の贖罪として9999曲の曲を引き続けるというギター弾きの加藤さん(水村直也)に象徴されているのを感じさせるのだった。

●プログラム『the座』から

<C級戦犯とは何か>

<C級>とは、人道に対する罪で、戦前の行為を含む一般市民に対する殺戮、殲滅などの非人道的行為、または政治的・人種的・宗教的理由による迫害で、ABCは罪の重さを表わしたものではない。

BC級戦犯裁判所は、戦場となった各地の軍事法廷で裁かれ、通訳もなく、弁護士もつかず、理由もわからず処刑されたり、不確かな記憶による冤罪だった悲劇もあったという。

<初演以来出演している「ギター弾きの加藤さん」を演じる水村直也のことば>

僕は「加藤さん」のギターの演奏はお経と同じじゃないかと思う。お経はお坊さんが自分のためにあげているんです。まず、自分のためにあげて、それからその功徳をまわりの人にあげる。

「加藤さん」は亡くなった戦友のためにギターを弾いているんですけど、それは結果的には、そのことが、戦争体験によって崩れかけた自分の精神をからくも支えてくれているわけです。いわば、戦死した人たちがギターを弾かせてくれているわけね。


 

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