作/土田世紀、脚色・演出/鐘下辰男、美術/島次郎
出演/すまけい、土居裕子、純名りさ、木場勝己、小林十市、他
新国立劇場・中劇場 |
【観劇メモ】
舞台は常に夜・・・
そして舞台は異界の世界・・・
舞台設定は、北(北海道)の港町のある村ということになっているが、舞台美術から受ける印象は、はるか遠いアフガニスタンの砂漠と岩山の世界を感じさせた。
しかし時おり聞こえてくる潮騒、海鳴りの音で、そこが海辺に近い村だとうかがわせる。
舞台中央後方に、物見櫓が屹立している・・・。
かつてそれは村の祭りのときに使われた櫓の跡。
舞台の周囲は、砂浜の起伏が円を描くようにして舞台を凝縮している。それはギリシャの円形劇場の、すり鉢の底を象徴しているかのようでもある。
上手よりの観客席通路より、白い洋服に、つばの広い白い帽子で顔の隠れた女、白い女がゆっくりと登場してくる。女は素足。砂浜をかみ締めるような歩き方だ。
一歩一歩の足取りを確認するように歩く。
つま先からかかとまで垂直に立て、そしてゆっくりと歩をすすめ、かかとからつま先へと砂地に足をつける。
白い女はシンボルとしての存在でしかないことが、舞台を見終わって分かる。
キャステイングにも、ただ「白い女」とだけあって、配役名がない。それでいて、全員の出演者の登場人物数を数えても、確かに独立した一人の出演者で誰かの「二役」ではない。誰でもないというその存在からして、象徴的である。
・・・・それは、永遠の存在、あるいはアンテイゴネの表象、のような。
『異人の唄』は、現代を舞台にしたギリシャ悲劇三部作の競演最後を飾る作品であるが、その3つの中では一番ギリシャ悲劇の持つ重苦しいテーマがストレートに置き換えられていると思った。
原作(というのはおかしいか?)は漫画家の土田世紀が書いているが、演出をかねる鐘下辰男が脚色している。土田世紀の元の作品がどのようなものであるか分からないが、舞台を見た印象では、これは鐘下辰男の世界だと思った。
ギリシャ悲劇のテーマそのものが重苦しいものであるが、この舞台も実に重い。
かつて北のある漁村に旅芸人の一座が来て、旅芸人の女、淀江サトが唄を歌うと、村は豊漁に沸いた。
しかし、サトが村の男と駆け落ちして「海の向こうの世界」に渡ろうとして、サトも男も死んだ、とされた。
サトが死んでから、村は不漁となって、村はさびれていった。
サトには旅芸人の座長である兄、淀江穴道(すまけい)がいて、サトには娘が二人、アン(土居裕子)江メイ(純名りさ)がいて、二人の姉妹はその兄によって養われてきた。
だが、兄は認知症で足腰が不自由であり、目も見えない。アンが叔父の一切の面倒をみている。
叔父は、サトが死んでからは二人の娘に歌うことを一切禁じている。
3人は村の不幸の元凶として村人から監視された状態で長い間過ごしてきた。
そこへ海の向こうから、水上正悟(木場勝己)とその息子辰(小林十市)がやってきて、辰はメイの唄に目をつけて彼女を歌手にしようと海の向こうに連れ出そうとする。
正悟は、息子にメイに近づくのではないと厳しく注意する。
水上正悟こそ、かつてアンとメイの母である旅芸人のサトと海の向こうに逃げようとして死んだはずの男であった。サトを殺したのは果たしてだれであったのか・・・・。
水上正悟と淀江穴道のお互いの息詰まるような追求。
サトはその村で共有化された存在であって、特に村長が独占的に占有していた。淀江は水上に、嫉妬からサトを殺したのだと主張し、水上は、淀江が妹であるサトを殺したのだと反論する。
サトに最後に会ったのは村長であることから、村長(声のみ)に問い質す。
村長はなかなかしゃべろうとしないが、ついにはサトに嫉妬した自分の妻が殺したことを白状する。
その妻はその後自殺してしまうが、サトの最後の止めを刺したのは、実は、娘のアンだった・・・・。母がアンに従容として殺されたのは、近親相姦の連鎖を断ち切ろうとしたからだった。
アンは母の唄を継ぐのは自分ひとりでいい、妹は要らないと、二人は長い間憎みあって生きてきたのだった。
そしてそこから意外な事実が明らかにされていく。
アンは、叔父である淀江穴道とその妹であるサトとの間に生まれた、近親相姦の子であった。
水上正悟が息子の辰にメイに近づくのではないと注意したのは、兄妹である二人が只ならぬ仲になることを恐れたからであった。
しかし、その「過ち」は再び繰りかえされることになる。
・・・・二十年後、その村に一人の女が車椅子の老人を連れて訪れてくる。女は、メイと辰との娘であった。
母は娘を産むとすぐに亡くなり、辰は淀江穴道と同じ運命をたどり、今は車椅子の人。
この一連のドラマは、すべて「夜の世界」のできごと。
昼は見えるものだけしか見えないが、「夜」は「見えないもの」が見えてくる世界。
見えないものを暴き出す。
それは暴力的な世界。
そして異界でもある。
村人たちは、8人のコロスが演じる。
象徴的なのは、爆撃音や銃撃音がドラマの展開の中で途中思い出したように繰り返されること。
戦争が近づいているとドラマの中でも語られるが、それがいつの時代のことなのかと思わせるだけでなく、場所をも不確かなものにする。
アンとメイが禁じられた歌うこと、その禁じられた唄を、二人が最後に絶唱する声は、魂を揺さぶるような、遠い心の底から響き渡ってくるような感動を覚えさせる。
重い、重苦しい舞台ではあったが、すまけいと木場勝己の熱演、そして土居裕子と純名りさの息詰まるような演技と、二人のすばらしい歌唱力に魅せられた舞台であった。
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