原作/エウリピデス、演出・構成/吉田鋼太郎 出演/吉田鋼太郎(ポセイドン)、沢海陽子(ヘカベ)、星和利(タルテユビオス)、千賀由紀子(アンドロマケ)、坂田周子(ヘレネ)、長谷川奈美(カサンドラ)、岩倉弘樹(太宰治)、他
高円寺・明石スタジオ
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【感想】
シェイクスピアを演じることを生業としてきた劇団AUNがはじめてギリシア悲劇に挑戦。蜷川幸雄演出でギリシア悲劇に出演する機会が増えてきた吉田鋼太郎からすれば、やがてはたどり着く道であったという気がする。
ギリシア悲劇の壮大さが小劇場という空間で閉塞されてしまうのではないかという懸念をしていたが、それは杞憂であった。舞台そのものは小さいが、巨大な円形劇場の底で演じられているような錯覚を覚えるのは、吉田鋼太郎のギリシアでの公演の原体験が生み出したものであろうか、彼の言葉を借りれば「巨大な火柱を内包する」スケールの大きさを感じさせるものであった。その工夫の一つとして、床一面にくしゃくしゃにした新聞紙を敷きつめることで、舞台に無限の広がりを感じさせる。
舞台は、作家太宰治(岩倉弘樹)が書斎で回想にふけっている場面から始まる。太宰が出会った二人の青年の、その余りに若い死が語られる。一人は、病弱で徴兵されることもなく、太宰から作品の注意を受けてから会いに来なくなって、それから数ヵ月後に病死する三井君。その弟がりんごをお土産にして、三鷹の彼の元を尋ねてきて兄の死を伝える。今一人は、三田君といって、彼は徴兵されて最後にはアッツ島で玉砕する。三田君が最後によこしたはがきには、遠く彼の地まで着いたことの報告と、太宰に向って「大いなる文学のために死んでください。自分はこの戦のために死にます」とが記されていた。太宰はこの文面を何度も声を出して読み返す。その声が、しんしんと胸に高まって響いてくる。その高揚を感じるころあいをみはかるようにして、軍服姿をしたポセイドン(吉田鋼太郎)が登場する。吉田鋼太郎の台詞が力強く、格調高く、回想の世界から遥か悠久の古代ギリシアの世界へと雄飛させる。
場面はギリシアに敗れたトロイアの町へと変わる。ヘカベ(沢海陽子)が夫プリアモスを殺され、息子たちが殺された悲憤の嘆きを語る。ギリシア悲劇の登場人物の名前の覚えにくさは、ちょうどシェイクスピアの歴史劇、イングランドの貴族たちの名前と同じであるが、このヘカベの嘆きは、シェイクスピアの『ハムレット』で、旅回りの役者たちの座長がハムレットの要望に答えて語る台詞でなじみが深い。また、ヘカベの息子のヘクターやその妻アンドロマケ(千賀由紀子)、巫女のカサンドラ(長谷川奈美)なども同じくシェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』に登場してくるので、シェイクスピアを通した親しみを覚える。
ギリシア悲劇は、その悲劇の内容をこれでもかこれでもかというほど、畳み掛けるかのようにしてくる。なるほど、カタルシスという言葉はギリシア劇のためにこそあるという感じである。
トロイアの町がギリシア軍に焼き尽くされ崩壊して、トロイアの女たちはそれぞれ別れ別れにギリシア軍に連れ去られていくことで舞台は閉じるのだが、吉田鋼太郎の演出にはもう一ひねりの工夫がある。
最後に、もう一度太宰治の書斎の場面に戻る。太宰はすわり机の中央から脇に場所が移って、中央にはヘカベ、カサンドラ、そしてヘクターの妻アンドロマケとその子供が、安らかな顔をして静かに座っている。彼らの顔がにこやかに微笑んでいるかのように見え、照明がフエージングしていく。― 静かな余韻と、あとは、沈黙。
エンデイングの「コスモスの唄」など、吉田鋼太郎の音楽の使い方のうまさは蜷川幸雄と同じものを感じる。
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