シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

5月の観劇日記
 
015 6日(土) 地人会公演 『日本の面影』

作/山田太一、演出/木村光一、装置/石井強司
出演/篠田三郎(小泉八雲)、日色ともゑ(小泉セツ)、松熊信義、田中正彦、他

紀伊国屋ホール

【ストーリーと感想】
母が語るギリシア神話のオルフェウスとエウリデイケの黄泉の国の物語を聞きながら寝入っている幼いハーン。その母の物語をくだらない迷信話として止める父。場面が一転して、その幼い時の夢からうなされてハーンがセツに起こされる、明治23年(1890年)暮の松江から始まる。
目が覚めたハーンは、夢で見た母の物語、ギリシア神話のオルフェウスの話と日本の「古事記」のイザナギ・イザナミノミコトの黄泉の国の話の類似性に気付き、セツにその話をしてくれるように頼む。「古事記」では黄泉の国から引き返す途中で約束を破って振り返ったイザナギに、イザナミは復讐として1000人の人を殺すといえば、イザナギは、1500人を新たに生ませると答える。そこのところが面白いとハーンは言う。
幼くして父母の離婚で孤児となったハーンの一生は、母のギリシア的情念をその性格に引継ぎ、神話を不合理なものとして否定する合理性一点張りの父の性格に、終生反発することになったのではないか。
ハーンが最初に赴任した松江は、古い日本の面影を残す「母」そのものであり、次に移り住んだ熊本は、近代的科学と合理性を重んじ、迷信と古き日本を否定する「父」そのものであるように感じさせる。
ハーンは日本の「よき」ものがどんどん失われて日本人の「心」まで変っていくことを嘆くが、それはいまでも続いていることにこのドラマを観ている僕らには痛いほど伝わってくる。強いものだけが残って、弱いものが取り残されていく、日本人の優しい「思いやり」はどこへ消えていこうとするのか、ハーンは訴える。
日本の面影がどんどん失われていく、それを誰も止められないもどかしさを感じさせるドラマであった。
法律で「国を愛する」愛国心を強要しようとするこの国は、どこへ行こうとするのか?!非常に、「今」という時局を感じさせるドラマであった。

 
016 21日(日) 演劇集団円公演 『ロスメルスホルム』

作/H.イプセン、訳・演出/安西徹雄
出演/藤田宗久、佐藤直子、大谷朗、三谷昇、石住昭彦、福井裕子

田原町・ステージ円

【ストーリーと感想】
緊張と緊迫感を感じさせる舞台であった。
近代的自我の目覚め、キリスト教的古い因習からの解放など、思想的な面ではすでにその時代的啓蒙の役割は終えていると思うが、心理的内面を表出する台詞のやりとりはサスペンスを感じさせる。
ロスメル(藤田宗久)を古い因習から目覚めさせた自由の意志の女性であるレベッカ(佐藤直子)の告白によって、ロスメルは信じるものの基盤を失う。信じる基盤を回復するために、ロスメルはレベッカの愛の証として、ロスメルの妻が身を投げた水車小屋のある橋の上から彼女が身を投げることが唯一彼女を信じる手立てであると言ったとき、レベッカは敢然とそれを実行する決意をする。その決意に動かされたロスメルもまた、自分も一緒に身を投げると切り出す。レベッカのどちらが先に身を投げるのかという問いに、ロスメルは前も後もないと答える。どちらか一方が約束を果たすのかどうかという疑問を抱えて終わらせていたら、その緊張感は最高潮に達していただろう。が、残念なことには、ロスメル家の女中ヘルセット夫人(福井裕子)が、二人が一緒に橋の上から身を投げるところを邸から見て、叫び声を揚げる。この場面でサスペンスの緊迫感がしぼんでしまった。
それぞれの役者の素晴らしい台詞力と演技を楽しむことができた。

 
017 26日(土) 燐光群公演 『民衆の敵』

作/ヘンリック・イプセン、脚色・演出/坂手洋二、美術/島次郎
出演/大浦みずき、猪熊恒和、中山マリ、江口敦子、川中健次郎、大西孝洋、鴨川てんし、他、
水野ゆふ、他

俳優座劇場

 

【ストーリーと感想】
イプセンの脚色というより、潤色といった方が適切な気がする。イプセンの原作を読んでいないでいうのは不適格であるのは承知であるが、坂手洋二のオリジナリテイを多分に感じさせる舞台であった。
そこに見せつけられるのは、我々自身の姿であった。民衆という絶対多数による真実という虚構を暴きだす。いや、真実を見せつけられても、それがこと自分たちの利害に直接及ぼすことになると、節度ある穏健さといういかにも説得力を持った提言の前に、真実が歪められ妥協させられる。そして人はその言い訳として、自分には勇気がないのでみんなに追従せざるを得なかったという。坂手洋二は、教師のフミエを解雇した校長をして、「日の丸」も「君が代」も「愛国心」も反対ではあるが、それを人に言ってはいけないと言わしめさせる。思ったことを正直に口に出すことは「民衆の敵」になることである。
この国の方向があやしい向きに進んでいることも、我々自身の中に責任がある。しかしながら、たとえ一人になってもそれに立ち向かう勇気があるかといえば、ない。というより、どうにもならないという虚しい気持の方が強い。
坂手洋二の骨太の気概を感じさせる舞台で、強い感動を感じて見終えた。

 
018 28日(日) シリーズ「われわれは、どこへいくのか」B 『やわらかい服を着て』

作・演出/永井愛、美術/大田創、
出演/吉田栄作、小島聖、月形瞳、大沢健、でんでん、他

新国立劇場・小劇場

 

【ストーリーと感想】
2003年2月15日、世界中でイラク攻撃反対のデモの参加者総数は1000万人を超えたという。にもかかわらず、イラク戦争は始まり、大量殺戮兵器は見つからず、戦争は今もなお続いている。被害者はイラクの一般市民である。怒りを感じる卑劣な行為は、アメリカ軍の劣化ウラン弾や、クラスター爆弾の使用である。そしてその背後にはそれらの兵器を作って利益を得ているものがいる、そのような恥知らずな行為に対しての怒りはどこへぶつけたらいいのか?!
永井愛のドラマは、そのタイトルのように優しい表現ではあるが、僕たちにそのようなふつふつとした怒りの声を引き出す。
イラク攻撃に反対して、一流商社に勤務している夏原一平(吉田栄作)がNGOのピースウインカーを立ち上げる。世界中の多くの反対にもかかわらず戦争が始まると、彼が勤める商社では早くも戦後復興のビジネスチャンスを狙っている。主義主張に潔癖な彼は結局会社を辞めてしまう。
潰れた鉄工所の工場の一部を彼らの集会所として貸している鉄工所の社長(でんでん)は、最初はNGOの活動に理解を示しているように見える。しかしファルージャ近くで日本のジャーナリストやNGOメンバーを含む3人が誘拐され、ピースウインカーがその解放のため誘拐犯たちの要求に従って自衛隊の撤退を主張する集会を開くと、彼らだけでなく家主である鉄工所の社長の自宅にまで嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってくる。たまりかねた社長はNGOの活動を自粛するように頼みに来る。社長の意見も世論と同調したもので、誘拐された者たちの自己責任を主張してやまない。この鉄工所の社長が世の中の平均的姿を写し出している。
NGOの活動も長く続けていれば、そこにマンネリ化や、意見の相違、仲間内での人間関係、中でもややこしいのが恋愛感情のもつれからくる組織のひび割れである。
一平と婚約者千秋(月形瞳)との破局、一平とサポーター役の新子(小島聖)と彼女を慕う大槻(粟野史浩)との確執で組織にわだかまりが生じ、ついにはNGOの解散の危機を迎える。
鉄工所の社長が、ピースウインカーが作って販売するチョコレートに、自分の孫の絵が入っているということで20個も買ってくれることになり、そこで張り詰めていた空気が一瞬なごみ、みなの心がそこで一つにまた結ばれる。
鉄工所の社長を演じるでんでんが、絶妙。
<感激度> ★★★★★ ドラマとしての面白さ、緊張感、笑いとちょっぴりペイソスで、大いに感激。

 

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