原作/ヘンリー・ジェイムズ、脚本/オーガスタ&ルース・ゲッツ、翻訳/安達紫帆、
演出/西川信廣、
美術/朝倉 摂
出演/鈴木瑞穂、八木昌子、土居祐子、瀧田陶子、井口恭子、増沢望、他
俳優座劇場
|
【ストーリーと感想】
この劇を見るきっかけは鈴木瑞穂が出演するということが一番の動機であった。かつて同じ俳優座劇場プロデユース公演で、彼が出演した『こわれがめ』でその演技に魅せられてからというもの、彼が出演するドラマをできるだけ観たいと思うようになった。彼の演技の素晴らしさだけでなく、今回のドラマ全体についても非常に見がいのあるものであった。
ヒロインのキャサリン・スロウパーを演じる土居祐子の演技もよかった。彼女は幼い頃から父親の期待に答えようとしてそれができないために自分は駄目な人間だと思い込み、引っ込み思案となっていて、莫大な財産がありながら結婚の機会もなかなか訪れない。彼女の従姉の婚約祝いの内輪のパーテイに、従姉の婚約者が一緒に連れてきた青年モリス・タウンゼント(増沢望)が彼女に一目ぼれする(そのように装う)。モリスはキャサリンを巧みに口説き落として早々とプロポーズする。初めて自分を認めて愛してくれたモリスにキャサリンは夢中になる。しかし父親のドクター・スロウパー(鈴木瑞穂)はモリスの魂胆を見抜いて反対する。キャサリンの気持が覚めないのを知ると、ドクターはキャサリンと二人で、冷却期間として6ヶ月のヨーロッパ旅行に出かける。キャサリンの気持は旅行中も変わらず父親にとっては苦々しい結果でしかなかった。一方、モリスは留守宅を守るキャサリンの叔母ラヴィニア(八木昌子)を尋ねて毎晩のようにドクターの邸に入り浸って好き勝手に過ごす。旅行から帰ったキャサリンはモリスとの結婚を認めようとしない父親を見捨てる決心をし、父からの遺産相続権を放棄してモリスと駆け落ちする決心する。しかしモリスは遺産相続が目当てなので、それが期待できないとなるとキャサリンを見捨ててしまう。父親からの拒否だけでなく、今は信じる恋人からも見捨てられたキャサリンは、父が自分を愛してくれたことなどないと、父との関わりを一切拒否する宣言をする。しかし欧州旅行から帰った後の父は、病気となって医者である自らの診断で余命が幾日もないことを覚る。父を拒否したキャサリンであったが、死を間近にした父親が弱々しい足取りで階段を上って寝室にいく姿を見て、思わず駆け寄って肩を貸して抱きかかえるようにして一緒に昇っていく。その姿は見るものに、和解のない、冷たい妥協の冷ややかさとして伝わってくる。その冷ややかさが、父の死後、強さとして現われてくる。父の死から2年後、キャサリンは父の残した邸宅の主となって、かつての父親のように君臨(?)している。キャサリンを見捨ててカリフォルニアで一旗揚げようとしたモリスが落ちぶれ果てて戻ってきて、ラヴイニアを通してキャサリンとのよりを戻そうとする。キャサリンはモリスとのよりを戻したように見せながら、かつてモリスが自分に対してしたのと同じような方法で彼を見捨てる。そのラストのシーンが印象的である。キャサリンの変化を土居祐子が上手く演じていて、このドラマを濃密なものにしている。
一目ぼれしたようにキャサリンにプロポーズするモリス・タウンゼント役の増沢望も、その相続金目当てが見え見えを実に巧みに演じているので、見ている者を第三者的に批判的な気持に煽らせていくところが心憎かった。
キャサリンの叔母ラヴィニア役の八木昌子は、モリスがキャサリンの相続の金目当てがはっきり分かっていても、それを容認してモリスへ肩入れする。その愚かしさも、彼女が最後の方でつぶやく、「女が一人で生きていくのは、時間が長く感じるものなのよ」という言葉でせつなく響いてくる。
お目当ての鈴木瑞穂はキャサリンの父親ドクター・スロウパーを演じる。愛する妻を娘の出産と引き換えに失い、妻の美しい思い出だけが残っていて娘に歪んだ形の愛を押し付け、自分の目線でしか常に娘を見ることができないため、娘のすべてに満足することができない。それがキャサリンをコンプレックスに導いていることに気付かない。結局のところ、利己的でしかないのだが、誰もがそういう一面をもっていて納得させられるのではないか。
<感激度> ★★★★
見ごたえ十分。騙されているとしても、あるいは財産目当てとはっきり分かっていても、自分を認め、愛してくれている、それがたとえそのような振りをしているとしても、それを信じられる方が幸せなのかもしれない。人にとって、愛は、さまざま。
|