心配していたことが杞憂に帰したというより、むしろ感動の方が大きかった。
何を心配していたかというと、2022年に高山健太を代表にしてシェイクスピア・シアターが新たなる出発した年に、国立西洋美術館で催された<フランス・ロマン主義が描いたシェイクスピアとゲーテ―版画で「観る」演劇>の関連イベントで、西洋美術館講堂で演劇パーフォーマンスとしてシェイクスピア・シアターが『ハムレット』を公演したが、その時の上演が余りに素晴らしかったのに感動したことがあり、その後劇団の内部事情により、ともに立ち上げた仲間の半数が退団することになり、そのなかにハムレットを演じた者もいたからである。
つまり、その時いた半数がいなくなっての再演(正確にはむしろ新たな上演といった方が妥当だろう)で無事にやれるのだろうかという心配であった。しかし、実際にはその心配を覆す、すばらしい内容であった。
一番心配したのはハムレット役であった。新生シェイクスピア・シアター代表の高山健太は、出口典雄のシェイクスピア・シアターでは道化役を中心に活躍しており、他のメンバーもどちらかというと悲劇より喜劇を中心に演じていた。が、そのハムレットを演じたのは、高山健太。これまでの彼のイメージを覆すような演技ですばらしいハムレットを演じた。
2022年の『ハムレット』では高山健太が『ペリクリーズ』のガワーを彷彿させるドラクロワとして「説明役」を務めた。この時は5枚のドラクロワの絵画を用いての5幕劇として構成し、その構成力の素晴らしさにも感心した。
今回その説明役を演じたのは巻尾美優。彼女は最後の場面でホレイショーをも演じるのだが、前回の高山健太のドラクロワ=詩人ガワーと比べると、劇の進行役としての彼女は、まさに「語り部」としてのホレイショーと言ってよかった。
キャスティング表を見て「えッ、どうなるのだろう?!」と思ったのは、西山公介がポローニアスとレアティーズの二役になっていることだった。二人は同時に出る場面があり、その場面は最初の方で「見せ場」の一つともなっているからである。
この余計な心配も全体の構成で難なく乗り切っていた。
全体の構成を振り返って見ると、最初はいわゆる「謁見の場」といわれる場面で、ハムレットの第一独白で結ばれ、このときの高山健太の台詞力に期待を超えたものがあって、聴き入った。
次はハムレットと亡霊が出会う場面。亡霊役は前回と同じく、今回もクローディアスとの二役を演じた三田和慶。
ハムレットの第四独白、「このままでいいのか、いけないのか」に続いて、オフィーリアとの「尼寺の場」。
劇中劇では、劇中国王を西山公介、王妃をオフィーリアをも演じる熊井なつみ、そしてルーシエーナスを巻尾美優が演じる。
クローディアス懺悔の場面に続き、ハムレットが母であり王妃であるガートルード(ハービーみき杏)を責める場面とポローニアスの殺害、そしてオフィーリア狂乱の場と彼女の死をガートルードが語り、クローディアスがレアティーズにハムレットとの剣の試合で殺害する企みを持ちかけ、ハムレットとレアティーズの剣の試合へと続いていく。
このように一人二役で、その人物が同時に登場する場面は巧みに除外されながらも、説明役によって途中の話と劇の進行内容が手に取るように分かるように語られたので何の不自然さもなかった。
上演時間はきっかり1時間で、しかも全体の内容がよく分かる構成となっていて、『ハムレット』を初めて見る人にもよくわかったのではないかと思う。
ハムレットを演じた高山健太もよかったが、今回、一番ほめてあげたいのは「説明役」を演じた巻尾美優。語り口も明瞭で話の内容をひきつける台詞力がすばらしかった。そして、出演者6名のまとまりも非常に良かった。
小田島雄志訳、原案/出口典雄、演出/高山健太
2月2日(日)14時開演、早稲田大学小野記念講堂、入場無料(カンパ制)、全席自由
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