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  東京シェイクスピア・カンパニー公演・「鏡の向こうシリーズ」
  『フォルスタッフ』―『ヘンリー四世』『ウィンザーの陽気な女房たち』より― 
No. 2009-005

 東京シェイクスピア・カンパニー(TSC)の「鏡の向こうシリーズ」は、これまでにもユニークな面白さを楽しんできたが、どちらかというと悲劇の人物が主人公であったが、この『フォルスタッフ』は、主人公が主人公だけに違った面白さを味あわせてくれた。
 「鏡の向こうシリーズ」は大体においてどの作品もミステリー的なサスペンス仕立てになっていて、いつもそのストーリーの展開を楽しんできたが、今回も久しぶりにその面白さを堪能した。
 それもストーリーとしての仕掛けの面白さ、ミステリーじみて、サスペンスのある面白さであった。
 今回はバックステージとして、『ウィンザーの陽気な女房たち』そのものは劇中劇として上演される。
 舞台は16角形のステージになっていて、下手の土間の位置は楽屋裏になっていて、役者の化粧鏡や小道具箱などが置かれている。
 物語は、3年前に座長が『ウィンザーの陽気な女房たち』の上演中舞台で亡くなってから、イーストチップ・シアターの一座の座員はほとんど抜けてしまい、残った者は、座長夫人のエリザベス、古株のマーガレット、座長の庶子のエドガー、そして座長に拾われて育てられた孤児だったジョンとジャケネッタのみである。
 座長亡きあとイースチップは『ウィンザーの陽気な女房たち』のみで細々と続けられている。
 変わるところといえば、座長夫人とマーガレットが、フォード夫人とペイジ夫人の役を日替わりで入れ替わるだけ。
 『ウィンザーの陽気な女房たち』だけを上演するというのは、国王陛下からのお墨付きを頂いているという表向きの理由以外に実はもっと深刻な問題があるのだが、そのことは劇の進行中においおいと分かってくる。
 役者の人数が不足しているので、アン・ペイジとフェントンの登場場面はカットして上演している。
 そんな変わりばえしない舞台にある時、フォルスタッフがフォード夫人の家で洗濯籠に隠れる場面で、突然召使として見知らぬ男が登場する。
 男はヘイムズと名乗り、そのまま座に居つくようになる。
 台詞の飲み込みも早く、フェントンの役をやることになるが、どういうわけか本番になるとわざとのように台詞を間違えてしまうが、それが逆に客受けする。
 そんな若いフェントンに、座長夫人は色目を使い何かと世話を焼く。
 しかしフェントンは何かとかこつけてはマーガレットに近づき、オフィーリアの役をやったのはマーガレットだろうと執拗に詮索し、その存在が次第にミステリーじみてくる。
 そしてジョンがフォルスタッフ以外に役ができない理由も見えてくる。
 親の顔も知らない孤児だったジョンは実は字が読めないのだった。
 座長の付き人としてそばにいたので『ウィンザーの陽気な女房たち』の台詞だけは全部頭に入っていて、しかもうまい具合に体型もフォルスタッフに格好ということで、この3年間同じ役を演じてきたのだった。
 そういう過去を持っているためか、舞台を終えた後のジョンはいつも陰りがある。
 劇中劇のフォルスタッフにもその少しさびしさを感じさせる。
 『ウィンザーの陽気な女房たち』の劇中劇の進行をはさみながら、登場人物の過去がしだいに溶融していく。
 そして最後にヘイムズの謎が解けるのだが、彼の本名は実はエドマンドということも明らかになる。
 この最後の謎解き解明は、良質のミステリー小説的面白さを味あわせてくれる(話の結末はミステリーの約束事としてここでは伏せておくが)。
 登場人物の名前にもシェイクスピアを巧みに織り込み、鏡の向こうを想像させる仕組み(仕掛け)がある。
 エドガーとエドマンドは『リア王』、座長夫人のエリザベスと古株のマーガレットは『リチャード三世』、ジェケネッタは『恋の骨折り損』にそれぞれ登場する名前である。ジョンはフォルスタッフの名前そのものである。
 ストーリーの展開のわくわくするような面白さに合わせて、座長夫人を演じるつかさまりと、マーガレットを演じる牧野くみこが、舞台を降りたとたんにお互いのセリフ演技のけなしあいをするところがまた面白、というか、そのセリフの呼吸がさりげなく毒のように刺すところなどは、この二人ならではの絶妙な演技(演技と感じさせない)。
 前回の公演『王妃マーガレット』で突然の代役として登板した増留俊樹が今回タイトルロールを堂々と(?)演じ、そのほかにジャケネッタは榛葉夏江、エドガーは関野三幸、ヘイムズを大須賀隼人が演じた。
 上演時間は休憩なしで2時間。

 

作・演出・製作総指揮/江戸馨
2月21日(土)14時開演、大塚・萬劇場、チケット:4000円、座席:E列4番

【追 記】
 これはブログを通しての知識でしかないが、増留俊樹は福祉関係の仕事に従事していてその関係からであろう、僕が観劇した当日、障害者の方が2名車椅子で観劇し、その関係者らしき人も来られていた。増留俊樹の優しい心づかいを垣間見る気がした。
 まったく別の話になるが、加藤健一事務所の公演ではよく目の不自由な方の観劇が見受けることがあるが、3月の『川を越えて森を抜けて』の公演では、目の不自由な人たちに1日貸切で公演されるというニュースが出ていたが、演劇がこのように開かれた形で多くの人たちに見られるというのはいいことだと思った。

 

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