サムエル・ピープスの観劇記 第8章

 

 65年と66年は疫病とロンドンの大火が続いたため、年間の観劇数はそれぞれ6本に過ぎなかったが、67年は67回と大幅に増加している。
 第7章に引き続き観劇記以外に読書録や、購入書籍についても取り上げる。
 2月2日夜、ドライデンの、現在の戦争に関する詩を読み、大変優れた詩とほめている。
 3月2日、ヘンリー五世と六世の伝記を読む。
 3月3日、トマス・フラー(Thomas Fuller, 1608-61、イングランドの聖職者)の『イングランド名士列伝』(The History of the Worthies of England, 1662)を読む。
 4月8日、テンプルでリコー(Paul Rycaut, 1628-1700)の『オスマントルコ帝国の現状』(The present State of the Ottoman Empire)を55シリングで購入。
 4月15日、フッカー(Richard Hooker, 1554-1600、イングランド国教会の神学者)の『政体』(Policy)とダグディール(William Dugdale, 1605-86、古物研究家)の『法学院の歴史』(Origines Juridiciales, 1666)を購入。
 5月19日、フッカーの伝記を読了。
 5月20日、『大シュリス』(Grand Cyrus、Madeleine de Scuderyの小説。メディアの将軍で謎の英雄Artamene、実はCyrusがアッシリアの王子に連れ去られたメディア王女Mandaneを救い出すために様々な冒険をする物語)を読む。
 6月2日(日)、終日、ボイル(Robert Boyle, 1627-91、物理学者・化学者でボイルの法則で有名)の『色彩に関する実験』(Experiments touching colours, 1664)を終日読み、読了する。化学のことは十分理解できないとしながらも、最も優れた人物として称える。
 6月4日、ボイルの『流体静力学』(Hydrostatickes, 1666)を読み始め、10日の日記にはこの本を、これまで読んだ中でも最も優れた本だと賞賛。
 9月になるとピープスは読書と物書きで目を悪くし、読書も妻に読んでもらうようになる。

 

(1) 1月2日、The Custom of the Country
 一人で国王一座の劇場に行き、国王一座の『田舎の風習』を観る。
 エリザベス・ニップが演じる未亡人はよかったが、その他は、筋立ても、台詞も、何もかも受け入れがたい最悪のものであった。ただニップの歌だけは素晴らしかったが、時間のロスで不快な気持で帰宅した。
 この日の日記の冒頭部では、フランスがブレスト(フランス北西部のブリタニ―半島の港湾都市)で多くの兵を乗船させて、アイルランドへ目指してくるのではないかと憶測が流れていたが、我らの船には給料が払えないため人がおらず、船に乗せる人員もいないと嘆息している。

[注] The Custom of the Country =『田舎の風習』
 ジョン・フレッチャーとフィリップ・マッシンジャーの共作の悲喜劇。

(2) 1月7日、Macbeth
 昨日の朝デナム夫人が亡くなったことを聞く。ある人は毒殺を疑っている。ヨーク公爵は彼女のような人は二度と現れないだろうと彼女の死を悼む。国王も同じ気持ちだろう。
 この日、公爵一座の劇場(ライルズ・テニスコート)で『マクベス』を観る。最近も観ているが、すべての点において最も素晴らしい劇。深刻な悲劇であるが、幕間の接続曲(ディヴェルティスマン)が特に驚くべき完璧さであった。

[注] デナム夫人=アイルランド生まれの英国の詩人サー・ジョン・デナム(Sir John Denham, 1615-69)の妻。ジョン・デナムは王党派で、内乱時、内外にわたってチャールズ二世のために尽力した。彼の詩によってheroic coupletが広く親しまれるようになった。

(3) 1月23日、The Humorous Lieutenant
 ピープスは王立取引所に出かけ、そこで妻と女中のマーサーと合流して、いつものテンプルバーに食事に行くが、女性たちは食事をせず、そのまま国王一座の劇場に『滑稽な副官』を観に行く。そこで海軍外科医のピアース夫妻と一緒になり、女性たちは馬車(コーチ)で、男二人は徒歩で帰る。ピープスのコメントは'silly play'。

[注] The Humorous Lieutenant = 『滑稽な副官』
 ボーモントとフレッチャーの共作になる喜劇で、1663年4月8日にドルリーレーンのTheatre Royal(王立劇場)オープンの時にこの劇が最初に上演され、レパートリーシステムとしては異例に12夜連続上演された。

(4) 2月18日、The Maid's Tragedy
 妻と一緒に馬車で公爵一座の劇場に新作を期待して行くつもりが、国王一座の劇場に行って『乙女の悲劇』を観る。観劇の間、二人の女性と劇作家のサー・チャールズ・シドリーの3人がずっと話し続けて悩まされたものの会話そのものは面白く、聞いていて楽しかった。そのため、結局、劇そのものを楽しむ機会は全く失われた。

[注] The Maid's Tragedy = 『乙女の悲劇』
 ボーモントとフレッチャーの共作。

(5) 3月2日、The Mayden Queene
 食事をした後、妻と国王一座の劇場にジョン・ドライデン(1631-1700)の新作悲喜劇『処女王』を観に行く。初演のこの日、国王チャールズ二世とヨーク公爵も観劇、大盛況。見せ場はヒロインのフロリメルを演じたネル・グィン(Nell Gwyn)の演技で、これまで見てきた中で最高の演技。所作といい、せりふ回しといい、これまで見たことがない最高のもので、賞賛してやまない。帰宅して、ヘンリー五世と六世の伝記を読んで寝る。

(6) 3月25日(受胎告知祭の日)、The Mayden Queene
 ペン氏、ローダー夫妻(妻はペン氏の娘)、妻とともに、再び『処女王』を観る。ローダー夫妻は正装でなかったので恥ずかしい思いがした。この劇は見れば見るほど好きになる素晴らしい劇で、特にネルの陽気な役が最高。

(7) 4月15日、The Change of Crownes
 チャイルド医師と食事をした後、馬車で彼をハットン・ガーデンで降ろし、予定外に国王一座の劇場に行くと、ネッド(エドワード)・ハワードの新作劇『君主の変化』が上演されていたが場内は満席で、やむをえず出口のそばに立って立ち見を余儀なくされ、風邪をひいてしまった。国王夫妻、(ヨーク)公爵夫妻、それに宮廷人全員と、公爵の秘書サー・コヴェントリーも観劇していた。多くの人が満席のため引き返していた。この劇はこれまで王立劇場で観た劇の中でも最高で、本格的な大傑作であった。
 ジョン・レイシー(1615?-81、国王一座の喜劇俳優)が演じる田舎紳士が宮廷にやってきて、宮廷では金のためなら地位やその他何でも売ってしまうことを想像しうる限りの機知と率直さでもって罵倒する。大変すばらしい劇であった。
 帰りに書店でリチャード・フッカー(Richard Hooker, 1660年没。1666年に作品集が出版された)の『ポリシー』、ウイリアム・ダグデイル(William Dugdale, 1605-86)の『法学院の歴史』(Originales Juridiciales, 1666)、それにジョン・プレイフォードのketch-book(Catch that catch can、1667)を購入する。

(8) 4月18日、The Wits
 妻と二人で、馬車(コーチ)で公爵一座の劇場に行き、『知恵』を観る。以前に見たときは好きであったが、今回修正、加筆されていて、演技はよかったものの劇そのものは余りいいとは思わなかった。

[注] The Wits =『知恵』
 公爵一座のダヴェナントの喜劇で、1661年に王政復古後、公爵一座によって最初に上演された作品の一つで、その時にはベタートンが主演。

(9) 4月19日、Macbeth
 妻と馬車で公爵一座の劇場で『マクベス』を観る。この劇はこれまでにも何度も観ているが、音楽あり、踊りありとバラエティに富んでいて、お気に入りの劇の一つである。観劇後、グッデイアー兄妹の勧めで同じ馬車に乗せてもらった。

(10) 5月1日、Love in Maze
 国王一座の劇場で喜劇『迷路の恋』を観る。'sorry play'(みじめな劇)。道化役のレイシーだけが賞賛に値する。

[注] Changes, or Love in Maze = 『不愉快な経験、あるいは迷路の恋』
 ジェイムズ・シャーリー(James Shirley, 1596-1666)の最も人気のある喜劇の一つで、特に王政復古の時代に人気を博した。ピープスは1662年5月から1668年4月までに5回観ている。ジョン・ドライデンがこの劇をもとにThe Maiden Queenに改作。

(11) 5月22日、The Goblins
 国王一座の劇場で、18ペンス払って最後の2幕を観る。この劇は最後の2幕だけしか見るべきものがない。この劇の出演者ニップがピープスを見つけ、田舎娘の衣装のまま楽屋からピットの入り口まで来てキスをする。彼女の役は劇中でカントリーダンスをするだけである。キスをした後、ピープスは再びピットに戻る。劇場は満員であったが人に見られても気にならなかった。

[注] The Goblins = 『悪鬼』
 ジョン・サックリング(Sir John Suckling, 1609-1641)の喜劇で、タイトルのGoblinsは泥棒一味の名前。

(12) 8月12日、Breneralt, or The Discontented Colonel
 海軍検査官のバッテン氏の所で食事をした後、一人で国王一座の劇場に行き『ブレネラルト、もしくは不機嫌な中佐』を観る。そこで公爵の外科医ピアース氏と女優のネップと一緒になり、二人に果物をふるまう。劇そのものはピープスはあまり評価していない。

[注] Breneralt, or The Discontented Colonel = 『ブレネラルト、もしくは不機嫌な中佐』
 ジョン・サックリングの喜劇でリトアニア人の反乱に擬したスコットランド人の風刺劇。

(13) 8月16日、The Feign Innocence or Sir Martin Marr-all
 公爵一座の劇場に、昨日が初演の、ニューキャッスル公爵によるモリエール作の『粗忽者』の翻訳をもとにしたドライデンの翻案劇『サー・マーティン・マーオール、または偽りの無実』を観る。完璧なファルス(笑劇)で、人生の中でこれほど笑った劇はない。一晩中頭が痛くなるほど笑いこけた。劇場は満席で、大いに満足した。明日公爵一座の劇場で観ることにしている『88の歴史』を夕食前に急いで読む。

(14) 8月17日、Queen Elizabeths Troubles, and the History of Eighty-Eight
 午前中ずっと事務所で過ごし、自宅で食事をした後すぐに妻とペン氏とで国王一座の劇場に行く。超満員で、国王、公爵も新しい劇『エリザベス女王の苦悩』を観るために来られていた。幼少のころからエリザベス女王の悲しい話を相当たくさん読んできて、女王のために涙を流したものだった。しかしこの劇は舞台上では最も滑稽で、メアリー女王とエリザベス女王当時の衣装を見せるだけの、まったくの見世物で、生きた人形による人形劇でしかなかった。筋立ても台詞もよくなかった。そばにいる人が内容の説明をしてくれた。ただ一つよかったのは、乳しぼりの女を演じたニップの踊りと、彼女がエリザベス女王に対して歌を歌うところと、化粧もなしで、巻き毛もつけず、後ろに束ねただけで、ナイトガウン姿で出てくるところだけは気に入った。その姿は彼女の長所を生かした最も端正な衣装であった。

[注] Queen Elizabeths Troubles = 正式にはIf You Know Not Me, You Know Nobody; or The Troubles of Queen Elizabet
 トマス・ヘイウッド(Thomas Heywood, 1574?-1641)作で、1部、2部からなり、1605年に出版された。第一部はメアリー女王の治世からエリザベス女王の即位まで、第二部は最初の3幕まではグレシャムが王立取引所を建設する話で、途中までは市民喜劇だが、途中から突如エリザベス女王の生涯の話に変わり、医師のパリー暗殺未遂やスペイン無低艦隊の話となり、ドレイクの勝利で終わる。王政復古前には、アン王妃一座によってたびたび上演された劇。

(15) 8月24日(聖バーソロミューの祭日)、The Cardinall
 午前中ずっと事務所。昼食を自宅でクリード氏と一緒に取り、みなで国王一座の劇場に行き、『枢機卿』を観る。たいそう気に入ったが、とりわけ女優のレベッカ・マーシャルが気に入った。ニップ(国王一座の女優)を見るのが心地よいのだが、妻を怒らせてはいけないと思ってあえて彼女を見ないように努めた。劇を多く堪能したのでミカエル祭(9月24日)まで、観劇は控えようと心に誓った。

[注] Cardinall = 『枢機卿』
 ジェイムズ・シャーリーの悲劇。1641年に上演、1665年に出版された。

(16) 9月4日、Mustapha
 ピープスは自分がたてた誓いを忘れて早くも観劇。公爵一座の劇場で『ムスタファ』を観る。この劇は見れば見るほど好きになり、最も優れた詩だと書いている。しかし、この日、劇の最中で役者の一人がとんでもないミスをしてベタートンやハリスは笑いを抑えることができなかったのは気に入らなかった。

[注] Mustapha =『ムスタファ』(1665)
 初代オーラリ伯(Roger Boyle Orrery, 1621-79。アイルランド出身の軍人で政治家・劇作家)作の悲劇。

(17) 10月5日、Flora's Figarys
 新作"The Coffee House"を観るつもりで公爵一座の劇場に行ったが満席で入れず、その足で国王一座の劇場に行く。そこで女優のニップに会って、彼女の案内で楽屋に行くと、まだ衣装の着替えもできていない状態で、ネルも素顔のままであったが、彼女は思った以上にきれいだった。劇場内を散策した後、舞台部屋でニップのために本日の演目『フローラの奇行』の彼女の台詞のキューを読んでやった。この日、公爵一座の劇場に客を取られて場内は閑散としていて、ネルはそのことで悪態をついた。劇はかなり良かった。

[注] Flora's Figarys = Flora's Vagaries, or Figarys(『フローラの奇行』)
 Richard Rhodesがオックスフォードの学生の時に書いた喜劇で、1663年1月8日、オックスフォードのクライストチャーチで最初に上演された。

(18) 10月15日、The Coffee House
 自宅で昼食をした後、妻と妻の付き添い女中ウィレットを連れて公爵一座の劇場に『コーヒーハウス』を観に出かける。しばらくして国王と公爵も来られた。この劇はこれまで見てきた中で最も馬鹿げて無味乾燥な劇で、ベタートンが出演していなくてよかったと思った。しかし、劇が始まる前、ウィレットがピープスの頬に触れる近さに座っていて、ピープスが彼女にやさしくしていることに対して妻が嫉妬して不平を訴えた。劇が終わって馬車(コーチ)で帰宅したが、もうすでに月明かりであった。

[注] The Coffee House = Tarugo's Wiles, or The Coffee House
 Sir Thomas St Serfe作のロンドンのコーヒーハウスの時事的な風刺劇。

(19) 11月2日、Henry the Forth
 妻とウィレットを連れて国王一座の劇場で『ヘンリー四世』を観る。フォルスタッフの'What is Honour?'を語るカートライトのせりふ回しは期待に反するもので気に入らなかった。議員の休みの日だったので劇場は議員でいっぱいだった。彼らはピープスたちの前の席で劇の最中に果物を食べていて、そのうちの一人がのどを詰まらせて死にかけたが、オレンジの売り娘メアリー・メグが、指をのどに突っ込んで吐き出させて蘇生させた。

(20) 11月7日、The Tempest
 公爵一座の劇場でシェイクスピアの劇『テンペスト』の初日上演を観る。妻と妻の女中、それにピープスの従僕のヒューアーの3人は先に行き、ピープスはペン氏と一緒に後から出かけた。席は音楽室の向かいの側面のバルコニーで、ドーセット夫人や貴族たちの近くであった。劇場は満席で、国王や宮廷人も来られていた。これまで見た中で最も無邪気な劇で、好奇心をそそる音楽のエコー(反復)の繰り返しは大いによかった。劇は知性的とまではいえないものの普通の劇よりはよいものだった。

(21) 12月28日、The Mad Couple
 妻と女中とで国王一座の劇場に行き『狂ったカップル』を観る。ありふれた劇であるが、ネルとハーツの狂った役が最も素晴らしかった。特にネルの演技がすばらしく、先日のまじめな役でのまずい演技からすると奇跡的に思わせるものであった。

[注] All Mistaken, or The Mad Couple =『狂ったカップル』
 ジェイムズ・ハワードの喜劇。
 別に同じようなタイトルで、リチャード・ブローム(Richard Brome, 1590?-1653)作の喜劇にもA Mad Couple, Well Matched(1653年(?)に初演、1653年に出版された)があるが、ペンギン版の注釈ではハワード作のものとしている。



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