サムエル・ピープスの観劇記 第5章

 

 この年の観劇数も禁劇の影響もあって、年間の観劇数は19本となっている。
 1月1日早々から観劇に行き、翌日も観劇した上で、新たに公衆劇場には月1回以上行かない決心をする。
 一方で節約の功もあって新年には1000ポンドまで貯まっている。
 8月の観劇では、国王の劇場でたまたま国王一座のトム・キリグルー(1612-83)の隣の席に座って、彼から俳優養成所設立のためにムーアフィールドに建設中であることを聞く。

(1) 1月1日、'Henry the 8th'
 先の誓いもあって、半年ぶりに妻と一緒に公爵の劇場に出かけ、そこで大変激賞されている『ヘンリー八世』を観る。きっと気に入ると思ったが、単純で、つぎはぎだらけで、おまけに見世物的で、退屈な進行で、まったくいいところなく、非常にがっかりした。

(2) 1月2日、'The Usurper'
 公衆劇場へは50シリングまでとして、月1回以上行かないという新たな誓いのもとで、1000ポンド貯まるまで新年の次の日までは一度も行かなかったが、今は次の期間まで自由となって、妻と一緒に国王の劇場に『簒奪者』の観劇に出かけた。よい劇ではなかったが、昨日観たものよりはましであった。

[注] The Usurper =エドワード・ハワード作。

(3) 2月1日、'The Indian Queen'
 月に一度という新たな誓いによって、新しい月になったので直ちに妻と一緒に国王の劇場に行き、そこで『インディアンの女王』を観る。まったく素晴らしいショーで、自分の期待を上回るものであった。劇はよかったものの、韻律で台無しとなって意味を損なっていた。しかし、私の期待以上で、最年長のマーシャルはこれまで私が観てきた中では最高に素晴らしい演技であったものの、彼女の声はアイアンシーほど素敵ではなかった。しかしながら、妻と共に大いに満足して帰った。

[注] The Indian Queen =『インディアンの女王』はサー・ロバート・ハワード(1626-98)とジョン・ドライデンによる共作で、スペイン侵略の前のペルーとメキシコが舞台となっている悲劇で、この年が初演となる。ピープスはドライデンとはケンブリッジ大学で面識があった。
 マーシャル=Anne Marshallは国王一座の女優。
 アイアンシー=Iantheは公爵一座の俳優ベタートンの妻メアリーで、女優。

(4) 3月8日、'Heraclius'
 午前中事務所でずっと仕事をして昼食に家に戻ると、材木商の事務員ルエリンが来て一緒に食事をしたが、昼食に時間をあまりかけなかった。というのは(コルネイユ作の)『ヘラクレス』が上演されていたので、妻と二人で観に行くつもりであったからである。劇の展開が大変素晴らしく、よく演出されていた。特に、変装して、暴君フォーカスの息子と王の跡取りモーリシアスであることを否定する二人の登場人物。小さな少女がたいへん可愛らしく演じて、エピローグを見事に語った。開幕では、カーテンが上がると皇帝とその周りの取り巻き人物たちがローマ人の衣装を着て、それぞれ異なった姿勢で立っている場面が、これまでシアターで観たん中でも最も素晴らしかった。
この日は歩いて戻って、病で臥せっている弟のトムを見舞っているが、重病で心配している。(弟はこの日から1週間後に亡くなっている)

(5) 6月1日、'The Silent Woman'
 妻と二人で国王の劇場に行き『もの言わぬ女』を観る。あまりよくできているとは思わなかった、あるいはかつて良いと思っていたものが、今では面白くなくなった。以前この劇が演じられたとき、拍手の嵐で、ピットの中央部にいる我々は立ち上がらんばかりの騒動であった。観劇後、妻と私は小さな居酒屋でコーチを待つ間1時間ほど過ごした。

(6) 8月2日、'Bartholomew fayre'
 国王の劇場に行き、常に私を楽しませてくれる『バーソロミュー祭』(ベン・ジョンソンン作)を観る。この劇は最高の喜劇であると信じている。席がたまたま(国王一座の)トム・キリグリーの隣で、彼が目下俳優養成所をムーアフィールドに建設中であることを聞いた。そこでは劇も上演することになるという。年に4回のオペラを一度に6週間上演し、最高の場面と装置と音楽を持ち、全ての面でキリスト教世界の中で最高のものとするために、歌手、画家、それに他の必要な人材をイタリアに求めに行っているという。

(7) 8月4日、'The Rivall Ladys'
 午後、サー・ウィリアム・ペンとビーフ一切れだけの食事をした。彼とは決して友人とはなり得ないので、友情を装って楽しそうな振りをした。それからコーチで彼と一緒に国王の劇場まで行き、彼がその代金まで支払った。演目は『恋敵の夫人たち』(ジョン・ドライデンの喜劇。1664年作)で、無邪気で最も機知に富んだ劇で、大変楽しんだ。それにこれはペン氏のおごりであるから、私は(月に1度しか観劇しないという)誓いを破ったことにならない。ここで私は最高の俳優の一人であるクラン(注)が昨夜、彼の最も得意とする役の一つ『錬金術師』を演じた後、町を出て彼の田舎の家に行き、そこで殺されたと聞いた。ならず者のアイルランド人が捕まったという。惜しい人間を亡くした。

[注] William Clun =ウィリアム・クランは国王一座の少年俳優の一人であった。1644年から46年の間、大陸、 主としてハーグやパリでの上演に参加した俳優の一人でもあった。王政復古の時代では、1660年の『オセロー』の上演でイアゴーを演じた。1661年に新たに組織された国王一座の最初の13人の株主の一人であった。クランの絶好調は1663年の国王一座による『滑稽な副官』でのタイトルロールであった。1664年8月2日、ケントの自宅で泥棒に襲われて負傷し出血多量で死んだ。

(8) 8月13日、'Henrey the 5th'
 この日、ピープスは光学機器メーカーのリーヴ氏から顕微鏡と小型望遠鏡を5ポンド10シリングで買い、
クリード氏(サンドイッチ伯の使用人)と昼食を共にし、彼に妻と一緒に公爵の劇場で新しい出し物『ヘンリー五世』を観るために連れて行ってもらい、(1か月に1回だけしか観劇しないという誓いを守るために)劇場の支払いのためのお金を渡して、彼に払ってもらった。
 『ヘンリー五世』はオレリー伯爵(注1)の作で、最も高貴な劇で、ベタートン、ハリス(注2)、アイアンシー(注3)の役は比類なく書かれており、演じられ、これまで見た中でも機智とセンスにあふれたものであった。

[注1] 初代オレリー伯爵=ロジャー・ボイル(1621-79)はアイルランドの軍人で、政治家。最初王党派であったが、チャールズ1世の死後、クロムウェルの影響を受け、アイルランドの戦闘で活躍した。クロムウェルの死でリチャード・クロムウェル支持を試みたが、辞職後チャールズ2世のためにアイルランドを確保。名誉革命の4か月後にオルリー伯となる。ピープスは他には『黒太子』(1668年4月1日)、『将軍』(1964年10月4日)を観劇。

[注2] ハリス =ヘンリー・ハリス。公爵一座の俳優。

[注3] アイアンシー=Ianthe。メアリー・ソーンダーソン・ベタートン(1637-1712)。
 1660年代から90年代の間、イングランドの女優で歌手。英国で最初の女優の一人。シェイクスピアの登場人物の女性を演じた最初の女優。
 『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『マクベス』のマクベス夫人、『ハムレット』のオフィーリア、その他『尺には尺を』、『から騒ぎ』、『十二夜』、『リア王』に出演。
 1662年、トマス・ベタートンと結婚。彼女の最も初期の役は、『ロドス島の包囲』で、不人気になったエドワード・コールマン夫人の代わりにアイアンシーの役を演じた。ピープスは彼女の役名で日記に書いている。
 アイアンシーはギリシア語で「菫の花」の意味。

(9) 9月10日、'The Rivalls'
 自宅で昼食。それから妻とマーサー(コンパニオン)とで公爵の劇場に行き、そこで『恋敵(の夫人たち)を観る。素晴らしい劇ではないものの演技はよかった。特にゴスネルの歌と踊りはよかったが、音程が外れていたので、音楽は彼の状に合わせて演奏することが出来なかったので、ヘンリー・ハリスも彼女に合わせて音程を外した。

(9) 10月4日、'The Generall'
 昼食後、ロジャー・ボイル(初代オルリー伯爵)作『将軍』を観る。退屈でまずい演技で、これまで見聞した中でも最悪であった。偶然、宮廷詩人で劇作家でもあるサー・チャールズ・セドリー(1639-1701)の隣の席で、彼は非常に知的で、この詩人の退屈さと演技のまずさに対して的確な批判を加えていた。こんなまずい劇を観ることで時間と20シリング以上お金を浪費したことで、自分の仕事をおろそかにしたことを悔やむ。
明日、あるいは明後日にはトマス・キルグリー(王立劇場に支配人でもある)の新作『牧師の夢(あるいは牧師の結婚)』 (The Parsons Dreame, or The Parsons Wedding)が上演されるという話である。


(10) 11月5日、'Macbeth'
 公爵の劇場に行き、『マクベス』(注)を観る。よい劇であるが、驚くべき上演であった。この日は「焚き火の夜」(ガイ・フォークス夜祭)だったので、馬車は回り道を強いられた。

[注] このときの『マクベス』はダヴェナントの改作。

(11) 12月2日、'The Rivalls'
 妻とマーサーとで公爵の劇場に行き『恋敵』を観る。前にも観ているが、劇はよくないものの、ベタートンと彼の妻、それにハリスの演技だけはよかった。


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