サムエル・ピープスの観劇記 第4章

 

 1663年の観劇数は禁劇の決心もあって前年からさらに減って14回となっている。
元日早々から観劇しているが、宮廷のゴシップなど書き記しており、観劇の内容よりよほど面白いので付記した。
 これまでテニスコート劇場(*)を使用していた国王一座が、5月にBridges Streetに新しい劇場the Theatre Royalをオープンした。ピープスはこの劇場のオープンした2日後にそこで観劇している。
 年末には疫病の流行の兆しが見えていることが日記に記されている。

* ライルのテニスコート劇場(Lile's Tennis Court)はリンカンズ・イン・フィールドにあるポルトガル・ストリートの外れにある建物で、最初はテニスコートとして建てられたが、1661-74年と1695-1705年の2期にわたって劇場として使用された。はじめの期間ではこの劇場は'the Duke's Playhouse'(公爵の劇場)、もしくは'the Opera'(オペラ座)と呼ばれた。テニスコート劇場は王政復古劇場の標準的な特徴となる可動式場面を目玉として宣伝するロンドンでの最初の劇場であった。

(1) 1月1日、'The Villaine'

 「ミセス・サラの話では、王は週に少なくとも4、5回、カースルメイン伯爵夫人と夕食を共にし、しばしば明け方まで一緒に過ごし、一人で庭を通り抜けて自室に戻っているのを衛兵に目撃されている。また、1か月ほど前には伯爵夫人はジェラード男爵邸で産気づき、男性陣は皆部屋を出て、女性たちがお産を助けるために呼ばれたという。つまるところ、宮廷では上から下まで不貞以外なにものもなく、例に事欠かない。あるときは、王妃付きの宮内官チェスターフィールド卿の妻がヨーク公爵をなぐったということで、宮廷から退けられ、妻は田舎に引きこもったという。何処までが真実か、神のみぞ知るである。昼食後、飲食費を払ったうえ、ミセス・サラに1クラウン渡した。
それからコーチで公爵の劇場に行き、そこで再び『悪党』を観た。
 この劇を観れば観るほど、最初この劇を観た時低い評価しかしなかったことにいらだってくる。この劇は実にりっぱで、楽しく、しかも真実で、許容できる悲劇である。劇場は市民で一杯であまり愉快でなく、それで出歩くのをやめ、明日からは1年中仕事に精を出すことにした。」

[注] The Villaine =『悪党』は宮廷人で劇作家のTom Porter作。

(2) 1月6日、'Twelfth night'

 十二夜の日。昼食後、公爵の劇場に行き、そこで『十二夜』を観るが、「よく演じられてはいたが馬鹿げた劇で、題名はこの日とは全く関係ない」。
この日は薬商人のバターズビイ氏とその妻、それにピープスと妻の4人で出かけ、コーチの料金は割り勘で払ったが、コーチに妻のスカーフ、ウエストコート、寝巻を忘れてしまい、金額にして25シリングの損害を嘆く。

(3) 1月8日、'The Adventures of five houres'

 昼食後、妻と公爵の劇場に『5時間の冒険』を観に行く。
 この劇はサムエル・テュークの翻訳によるもので、長い間見たいと思っていた
 本日が初日で劇場はいっぱい、低い木製の長椅子の末席で、ほとんど見えない場所であった。
 劇は、一言でいえば、これまでに見た中で最高で、バラエティに富んでいて、最後まで筋の展開が最高に素晴らしく、劇場内はたびたび拍手喝采で称賛された。
 帰宅後、今後は、宮廷での上演は除いて、聖霊降臨節(イースター後の第7日曜日)までとは言わないまでも、イースターまでは劇場に行かないと決心する。

[注] The Adventures of five houres =『5時間の冒険』はスペインの劇作家カルデロン(1600-81)の喜劇。

(4) 5月8日、'The Humorous Lieutenant'

 事務所で父親宛の重要な手紙を書いた後、2日前にオープンした新しい劇場に出かける。
 出し物は『滑稽な副官』であった。ダンスの中で、トール・デヴィルの所作が大変良かった。
 劇場に行ったことについて、ピープスは誓い破りとはならないと次のように自らを弁明している。
 「劇場に行かないと誓いを立てたが、この劇場はそれにあてはまらない。なんとなれば、誓いを立てた時この劇場は存在していなかったからである。それにその時の誓いで自分が意味していたのは、公衆の劇場であって、私は3月と4月の宮廷での2つの劇を自由に観る機会を拒否する決心をしているので、その埋め合わせにこの超過分を相殺しようと思う」

(6) 5月28日、'Hamlett'

 公爵の劇場に行き『ハムレット』を観て、ベタートンの正当な評価を新たにした。
 舞台で驚いたのは、かつて妻のメイドであったゴスネルが登場したことだが、台詞もなく、歌も踊りもなく、気の毒であった。しかし彼女は舞台に大変似合っている。

(7) 6月12日、'The Comittee'

 大変混雑していて待たされたが、コックピットで『勇敢なシッド』を観た。
 この劇を読んだときは大変楽しんだが、ベタートンと彼の妻である女優アイアンシー、それにロクサラーナに代わって別の素敵な女性が出演していたにもかかわらず、舞台はまったく退屈そのもので面白くなかった。国王も王妃も一度も笑うことなく、他の連中も楽しんでいるようには見えなかった。

[注] The Valiant Cidd =『勇敢なシッド』(1637)、フランスの劇作家ピエール・コルネイユ(1606-84)の悲喜劇。コルネイユは17世紀フランスの3大劇作家(モリエール、ラシーヌ)の一人でフランス悲劇の創設者と呼ばれ、40年近くにわたって劇を作った。シッドは11世紀のスペインの人気のある英雄。


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