サムエル・ピープスの観劇記 第3章

 

 この年は金の浪費を抑えるため、観劇禁足の誓いを立て観劇回数は22回と前年の76回に比べて大幅に減少。
 3月3日には、議会は王室の安定した収入を図るために、煙突1本につき年2シリングの課税を可決した。

(1) 1月1日、'The Spanish Curate'

 サー・ウィリアム・ペンとウェストミンスターに出かける途中、シアターで『スペイン人の助祭』が本日上演されるのを見かけて、自分はそこで降りてペン氏だけ先に行かせ、ペン氏の息子と娘と妻と一緒にシアター行くために家に戻る。ペン氏が戻って来て二人で書籍商店に出かけ、そこで自宅のための絵などを物色し、昼食の為に再び自宅に戻るとペン氏の息子と娘も来て一緒に牡蠣を1バレル食べ、コーチ(4頭立て馬車)でシアターに行って劇を観る。なかなかよかったが、ただ寺男のディエゴの役はやり過ぎであった。

[注] The Spanish Curate=『スペイン人の助祭』はジョン・フレッチャーとフィリップ・マッシンジャートン合作による喜劇。1622年10月24日認可、1647年出版。王政復古後人気のあった劇。

(2) 3月1日、'Romeo and Juliett'

 妻と二人で、コーチでオペラ座に出かけ、そこで『ロミオとジュリエット』を観る。
初めての上演であったが、これまで見た中で最悪の劇であった。それで今後初演は観ないことに決めた。
家に戻って夕食後、金の勘定をして残高が500ポンドしかなく、半年で250ポンド以上使っていたのが分かり、何か規則を作って自分自身に義務を課すことを決心する。

[注] ロミオとジュリエット』は王政復古後、1660年12月にダヴェナントの公爵一座によって初めて上演され、その後1662年3月1日に再演された。John Downesによれば、この劇はJames Howardによって悲喜劇に改作され、悲喜劇版と悲劇版が交互に上演された。1662年の配役はDownesによると、ロミオにヘンリー・ハリス、マキューシオにトマス・ベタートン、ジュリエットには初めて女優としてソーンダーソン夫人が演じたとある(ブレイク・エヴァンズ編纂'The New Cambridge Shakespeare'のIntroductionを参照)。

(3) 4月1日、'The Mayd in the mill'

 昼食後、二人の貴婦人(サンドイッチ伯の娘)と妻とでオペラ座に行き、『製粉所の乙女』を観る。大変良い劇であった。劇の途中で、朝方に下剤を飲んだポーリーナ嬢(サンドイッチ伯の次女)が便意を催したので、穀物屋に連れ出して、そこの娘に案内させて用を足させ、劇場に連れ戻った。劇がはねてからコーチでイズリントン(大ロンドン北部の区)まで行き、牧草地を散策し、大チェスケイクの邸に連れて行ってもてなした上で家に戻り、夫人と過ごした後、夫人たちのコーチで家まで送ってもらった。疲れて床に就いた。

(4) 5月20日、'the second part of Siege of Rhodes'

 妻と二人でコーチでオペラ座に行き『ロドス島の包囲・第二部』を観るが、あまり良い出来ではなかった。というのも、そこには今はオックスフォード伯のものとなったと言われているロクサラーナ(公爵一痣の女優ヘスター・ダヴェンポートのことで、『ロドス島の包囲』のこの役の名で知られている)がいたからである。

(5) 5月26日、'Dr. Faustus'

 「妻を連れてレッド・ブル座に行き『ファウスト博士』を観るが、あまりにお粗末で出来が悪いのでうんざりした。そしてさらに悪い事には、これは先の決心で、ミカエル祭(9月29日)までに見る最後の劇になることであった。それでコーチで家に帰る途中、ムーアフィールドに立ち寄ってレスリングをしばらく見た。

[注] Dr. Faustus =『ファウスト博士』、クリストファー・マーロー作。

(6) 9月29日、'Midsummers nights dreame

 聖ミカエル祭の日で、この日はピープスが立てた禁酒と観劇禁足の誓いが解ける日であった。
 そこでキングズ・シアターに行き、そこでこれまで見たことのなかった『夏の夜の夢』を観るが、二度と見たいとも思わなかった。というのはこれまで見た中で最も馬鹿げて滑稽な劇であったからである。白状すれば、ダンスはよかったし、何人かの美しい女性もいて、それは大いに楽しんだ。

(7) 12月1日、'The Valiant Cidd'

 大変混雑していて待たされたが、コックピットで『勇敢なシッド』を観た。
 この劇を読んだときは大変楽しんだが、ベタートンと彼の妻である女優アイアンシー、それにロクサラーナに代わって別の素敵な女性が出演していたにもかかわらず、舞台はまったく退屈そのもので面白くなかった。国王も王妃も一度も笑うことなく、他の連中も楽しんでいるようには見えなかった。

[注] The Valiant Cidd =『勇敢なシッド』(1637)、フランスの劇作家ピエール・コルネイユ(1606-84)の悲喜劇。コルネイユは17世紀フランスの3大劇作家(モリエール、ラシーヌ)の一人でフランス悲劇の創設者と呼ばれ、40年近くにわたって劇を作った。シッドは11世紀のスペインの人気のある英雄。


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