サムエル・ピープスの観劇記

 

1660年―王政復古により劇場再開

 1660年5月、議会は王政復古を認め、ピープスは主人のモンタギュー海軍提督らとオランダのハーグに王(チャールズ2世)を迎えに行き6月、無事イングランドに帰国する。
 帰国の船の中で、ピープスは国王の逃亡生活の苦労話を聞いて涙を流したり、ヨーク公(国王の弟、後のジェイムズ2世)からは将来の期待を持たせられたりする。
 モンタギューはその功績によりガーター勲章を叙勲され、ピープスは主人のモンタギューから「ともに出世するには忍耐しなければならない。当面は自分が面倒を見る」という言葉に満足する。
 世間では国王が戻ってきたことで喜び騒いでいる。
 王政復古により、1642年の内乱以後18年間閉鎖されていた劇場が再開され、ダベナント(William Davenant、1606-68)率いる公爵一座(the Duke’s Company)とキリグルー(Thomas Killigrew, 1612-83)率いる国王一座(the King’s Company)の2つの劇団が、チャールズ2世から認可される。
 ピープスのこの年の観劇回数は9回で、ペンギン版の選集では6本の観劇内容が記されている。

(1) 10月11日、最初の観劇記-『ヴェニスのムーア人』を観る

 ピープスの日記に最初に劇場通いが登場するのは10月11日のことである。
この日の日記には、
 「サンドイッチ伯の召使いクリード氏とキングストリートのレッグ亭に行き、昼食に牛の乳房を食べ、食後にセント・ジェイムズ・パークを散歩する。そこでソールズベリー氏(画工、塗装工)と会って3人でコックピットに行き、’The Moore of Venice’(『オセロー』)を観る。よくできた劇だった。ムーアをバートが演じ、デズデモーナが絞殺される場面では隣に座っていた美しい夫人が声を出して泣いていた」 と記している。

[注1] コックピット=1609年、ドルリー・レインに建てられ、当初は闘鶏場として使われ、1616年からアン女王一座の室内劇場として使用され、王政復古でいち早く上演を開始し、ピープスはこの劇場に1600年から63年までの間、何度か観劇に通っている。
[注2] バート= Nicholas Burt(1621?-1689?) 王政復古で最初にオセローの役を演じた役者として知られている。国王一座(the King’s Men)でJohn Shank(1636死)の弟子として少年俳優として始めた。1661年、トマス・キリグルー率いる国王一座の13人の株主の一人になる。

(2) 10月30日、’The Tamer Tamed’

 「(心配事があって)心を静めるために一人でコックピットに行き、『じゃじゃ馬馴らしが馴らされて』を観る。素晴らしい劇で、大変うまく演じられていた」

[注] 『じゃじゃ馬馴らしが馴らされて』=原題は’The woman’s Prize, or The Tamer Tamed’(『女の勝利、またの名、じゃじゃ馬馴らしが馴らされて』)。1611年頃、ジョン・フレッチャーの作。シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』のペトルーチオが妻キャサリンの死後マリアと再婚するが、彼女は結婚式の当夜ペトルーチオを締め出し、彼が彼女に完全に服従するまで屈辱を加える。

(3) 11月20日、’The Beggars’ Bush’

 「ディナーの後、シェプリー氏(サンドイッチ伯の執事)と二人でリンカンズイン・フィールド(以前のギブソン・テニスコート)の近くの新しい劇場に、新しく始まった劇、『乞食の森』(The Beggars’ Bush)を観に出かけた。うまく演じられていた。ここで初めて世間で最高の俳優と言われているムーンを見たが、彼は国王と共に最近戻って来たのであった。劇場はまったく最高に素晴らしかった。」

[注1] The Beggars’ Bush =『乞食の森』。ボーモント、マッシンジャー、フレッチャーの3人による合作と言われるが、国王一座によって1622年12月22日にホワイトホール宮殿で上演されたという記録があり、書かれたのがその直前とすれば1616年に亡くなっているボーモントは除外される。複雑に入り組んだ話の筋が賞賛された喜劇である。題名のthe beggars’ bushは格言としてgo by beggar’s bush = to decline in fortuneの意味や、「酒場(の看板)」の意味もある。
[注2] ムーン=Michael Moone (1616-84) 国王一座の俳優兼演出家で、少年俳優から始めた。
[注3] 新しい劇場=Gibbon’s Tennis Court ロンドンのリンカンズイン・フィールドの近く、ヴィア・ストリートとクレア・ストリートの外れにある建物で、もともとはその名の通りテニスコートであったが、1660年から1663年まで劇場として使われた。Theatre Royal, Vere Street, Vere Street Theatre、もしくはただ単にTheatreと呼ばれた。 トマス・キリグルーの国王一座の最初の常設劇場として使われ、最初のプロの女優が立った舞台でもあった。

(4)11月22日、’The Traitor’

 この日の午前中、路地に通じるドアを作るために自宅に大工がやって来る。
 午後に妻と連れ立って服飾の専門店に出かけ、妻に白のネッカチーフを買ってやり、自分には手袋を買う。
その後ホワイトホールのフォックス氏(王室の事務監督官)のもとに出かける。フォックス氏は女王と、オレンジ王女とヘンリエット王女のお二人に謁見させてくれる。
 四輪馬車で妻を自宅に送ったあと、ピープスは新しい劇場(the Theatre)へ向かう。
そこで観たのは『反逆者』(The Traitor)で、「非常に優れた悲劇で、ムーンが反逆者を非常にうまく演じていた」と書き残している。

[注] 『反逆者』=James Shirley(1596-1666)作。1631年5月4日に饗宴係の長官サー・ヘンリー・ハーバートの上演許可で、コックピット劇場でヘンリエット女王一座によって上演され、内乱前と内乱後に大いに成功し、ピープスも数回見て大いに称賛している。物語は、メディチ家のフィレンツェ公爵アレッサンドロが親族のロレンゾーに暗殺されたのをもとにして書かれている。

(5)12月5日、『ウィンザーの陽気な女房たち』

 「家で食事。食後に新しいシアターに行き、そこでThe Merry wives of Windsorの上演を観る。田舎の紳士とフランス人の医師の気質は大変良く演じられていたが、その他はまったくひどかった。フォルスタッフもよくなかった」

(6)12月31日、『ヘンリー四世』

 「午前中はずっと事務所にいて午後帰宅するが、家で食事をせずに外出し、セント・ポールの境内でHenry the Fourthのチケットを買い、新しいシアターに行く。クルー氏(サンドイッチ伯の義父)のところに立ち寄り、シアターで一緒にディナーを食べ、劇を観る。しかし、期待が大きすぎたのが災いして、思っていたようには楽しめなかった」

 

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