後 記
ピープスの日記を初めて読んだのは2008年。ペンギン版の購入は日本橋の丸善で2008年8月11とあり、読了したのは同年12月9日21時15分と記している。
日記の中でピープスが盛んに観劇しているのを読んで、その観劇記録に付箋をつけて一覧表にしていたのを、『サムエル・ピープスの観劇記』としてまとめてHPに掲載を始めることにしたが、途中から他のことで忙しく手が回らなくなり1666年で中断していた。
今回の新型コロナウィルス感染問題で手がすいてきたのを好機に、中断していたのを継続して完成させたのが5月3日。
ピープスの観劇の中で、劇場名などがいろいろ変化して自分でも整理がつかなかったので、ピープスが観劇した時代の劇団と劇場事情、そしてシェイクスピアと彼の同時代人の上演作品を自分のためと読者の便宜を考えて整理することにした。
以下の内容がそれである。
参考にした資料は、ピープスの日記を読むときに参考にした2008年のウイキペディア(英語版)とペンギン版のインデックス(非常に充実している)である。
(2020年5月5日記)
(1)王政復古による演劇の復活と劇場事情
王政復古後、国王チャールズ二世は「合法の劇」としてロンドンで上演を認める劇団として2つの劇団に「開封勅許状」を与えた。
トマス・キリグルー(Thomas Killigrew, 1612-83)が率いる国王一座とウィリアム・ダヴェナント(William Davenant, 1606-68)が率いる公爵一座がそれである。
この2つの劇団は、当初、内乱と王位空位期間を耐え抜いて存続していたコックピットやソールズベリー劇場、レッド・ブルなどを劇用として使用した。
コックピット(Cockpit Theatre)はその名が示す通り闘鶏場として1609年に建設されたが、1616年8月、クリストファー・ビーストンがリースで借り受け劇場として改築された。1642年の共和国法令で上演禁止となった後、学校の教室として使用されたが非合法で上演を続けていた。王位空位期間の間、ダヴェナントのオペラの上演だけは許されていた。
ソールズベリー劇場(Salisbury Theatre)ホワイトフライヤーズの後継として1629年に建設され、王政復古後はウィリアム・ビーストンによって改装され、1660年11月から1661年6月まで公爵一座によって使用された。ピープスの日記ではしばしばホワイトフライヤーズ劇場として記述されている。1666年のロンドンの大火で焼失した。
レッド・ブル劇所は1604年に建設され、王政復古後はマイケル・ムーン(Michael Mohun)とジョージ・ジョリィ(George Jolly)の一座のホーム劇場として使用された。1666年のロンドンの大火で焼失した。
1660年11月8日にキリグルーはVere StreetのGibbon's Tennis Courtを国王一座の常設劇場とし、公爵一座は1661年6月28日にLincoln's Inn FieldのLisle's Tennis Courtを常設劇場とした。
国王一座のギボンズ・テニスコートはその名の通り元々はテニスに使用されていたが、王政復古後、1660年から1663年まで国王一座が新しい劇場を建設するまで使用された。ピープスの日記では単にthe 'Theatre'と書かれていることもあり、通りの名をつけてthe 'Vere Street Theatre', the 'Theatre Royal, Vere Street'とも呼ばれていた。この劇場はライバルの公爵一座の劇場とは異なり、エリザベス朝のブラックフライヤーズと同じような私設劇場の構造だったため、公爵一座のライルズ・テニスコート劇場がオープンした後それに対抗して、1663年5月7日にBridges Streetに新しくthe 'Theatre Royal'を創設した。
公爵一座のライルズ・テニスコートも元々はテニス用に1656年に建設されたものだが、1661年から1674年までと1695年から1705年まで、二度にわたって劇場として使用され、前者の時代にはthe 'Duke's Playhouse'またはthe 'Opera'と呼ばれた。この劇場は舞台が可動式となっていて場面転換が可能で、額縁式舞台(プロセニアム・アーチ)で、1661年7月4日(木)にダヴェナントのオペラ『ロドス島の包囲戦』(The Siege of Rhodes)の改作版が上演された日、国王チャールズ二世が初めてこの私設劇場で観劇し、同日に国王一座の劇場で上演されたClaracillaはいつもだと満席なのに、この日はがら空きだったとピープスは日記に記している。
(2)王政復古後のシェイクスピア劇
王政復古後、シェイクスピアの作品は国王一座に上演権が与えられ、公爵一座はシェイクスピアの作品は改作のみが許されていた。
ロバート・レイサム(Robert Latham)編纂のペンギン版(2003年版)は、ピープスの日記の3分の1程度を収めるが、その中に登場するシェイクスピア劇は次のとおりである。
≪国王一座≫ |
1) |
The Moor of Venice, (Othello) |
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1660年10月11日、オセロー(ニコラス・バート) |
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イアーゴー(ウォルター・クラン) |
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1669年2月6日、 オセロー(ニコラス・バート) |
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イアーゴー(マイケル・ムーン) |
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キャシオー(チャールズ・ハート) |
2) |
The Henry Ⅳ (part 1) |
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1660年12月31日 |
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1661年6月4日 |
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1667年11月2日 |
3) |
Merry Wives of Windsor |
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1660年12月5日 |
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1661年9月25日 |
4) |
Midsummer night's dream |
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1662年9月29日 |
≪公爵一座≫ (すべてダヴェナントの改作による) |
1) |
Hamlet |
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1661年8月24日、ハムレット(トマス・ベタートン) |
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オフィーリア(メアリー・ベタートン) |
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1663年5月28日、同上のキャスト |
2) |
Henry Ⅷ |
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1664年1月1日 |
3) |
Macbeth |
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1664年11月5日 |
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1666年12月28日 |
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1667年1月7日 |
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1667年4月19日 |
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1668年12月21日 |
4) |
The Tempest |
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1667年11月7日 |
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1668年1月6日 |
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1668年4月30日 |
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1668年5月11日 |
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1669年1月21日 |
5) |
Twelfth Night |
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1661年11月11日 |
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1663年1月6日(十二夜) |
(3)シェイクスピアと同時代人の作品上演
≪公爵一座≫ (すべてダヴェナントの改作による) |
1) |
ベン・ジョンソン |
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Bartholomew Fair (国王一座) |
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Catiline his conspiracy (国王一座) |
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Epicoene, or The Silent woman (国王一座) |
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The Alchemist (国王一座) |
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Volpone (国王一座) |
2) |
ジョン・フレッチャー(共作を含む) |
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Father's own son (国王一座) |
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Rule a wife and have a wife (国王一座) |
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The Humorous lieutenant or Demetrius and Eanthe (国王一座) |
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The island princess, or The generous Portugal (国王一座) |
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The wildgoose chase (国王一座) |
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The Woman's prize, or The Tamer Tamed (国王一座) |
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The beggar's bush (国王一座) |
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The Custom of the country (国王一座) |
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The sea voyage (国王一座) |
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The Spanish curate (国王一座) |
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The maid in the mill (公爵一座) |
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The Rivals (シェイクスピアとフレッチャーの共作The two noble kinsmen のダヴェナントによる改作、公爵一座) |
3) |
ジョン・ウェブスター |
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Appius and virgin, The Roman Virgin (ベタートンの改作で公爵一座) |
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