徳高い人が息を引き取るときには、もの静かに、
魂に去っていくようにささやくので、
悲しみに打ち沈む友人たちは、口々に、
いま息を引き取ったと言い、いや、まだだと言う。
僕たちも、溶けるようにして、騒ぐことなく、
涙の洪水や、溜息の嵐を起こすことをすまい。
僕たちの愛を俗人の連中に知らせるのは、
二人の喜びを冒涜するにも等しい。
大地の震動は、災難と恐怖を招き、
何事か、何の前兆かと、人々は憶測する。
だが、天球の震動は、
それよりはるかに大きいが、害はない。
月下の恋人たちの愚かな愛は、
(その魂は感覚である)別れを
受け入れることができない。それというのも、
別れが、愛を構成する要素を奪うからだ。
だが、僕たちは愛によって精錬されており、
僕たち自身、愛とは何か分かっていなくても、
お互いの心を信頼し合っているので、
目や、唇、手と別れても、少しも心配しない。
僕たちの魂は二つであって、一つ、
だから僕が旅立っても、引き裂かれる
のではなく、引き伸ばされるだけで、
打ち伸ばされた金が薄い箔になるようなもの。
二人の魂は二つであっても、
コンパスの二本脚のようなもの。
きみの魂は固定された方の脚、動かぬように
見えても、片方が動けば、つられて動く。
中心に腰を据えていても、
片方が遠くをさまよえば、
身を傾けて、聞き耳を立て、
帰ってくれば、再び直立する。
きみが僕に対してそのようにあれば、僕は
もう一方の脚のように、斜めに走る。
きみは動かずにいて、僕は正しく円を描き、
描き終われば、元の場所に戻ってくる。
【訳注】
原題:'A Valediction: forbidding Mourning'
アイザック・ウォルトンはダンの伝記の中で、ダンが1611年にドルリー家の家族とフランスに旅発つに際して、妻にあてて書いた詩であろうと推測している。
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