桜草の咲くこの丘に、
天が蒸留した
一振りの雨が降ってくれば、その一滴一滴が
桜草に落ちてきて、甘露となる。
その姿、その無限の数は、
地上の銀河となり、
まるで大空の小さな星のよう。
僕は真(まこと)の愛を探して歩く。
それは、女という並みの女ではなく、
それ以上か、それ以下の女である。(注:1)
だが、僕にはどちらの花を選べばよいのか
分からない。六弁の花か、それとも、四弁の花か。
僕の真の愛が、並み以下の女であれば、
つまらぬ女、並み以上の女であれば、
彼女は性を超越した存在であり、
僕の心は、愛すことより、
彼女を究めることに傾く。
いずれにしても変種である。女に
欺瞞はつきもの、それゆえ天性ではなく、
手管でごまかされる方が、まだしも我慢ができる。
それゆえ、桜草よ、おまえの
真の数である五弁の花弁で栄えよ。
この花によって象徴される女よ、
この神秘の数(注:2)に満足せよ。
十は究極の数(注:3)。十の半分の数が
女のものであるなら、
我々男の半分をとるがいい。
それでも役に立たないというのなら、すべての数は
奇数か、偶数。その奇数と偶数が合わさってできる最初の数が
五であるから、女は男をみな奪えばよい。
【訳注】
原題:’The Primrose’
1635年の版では、副題として「モンゴメリー館にて」とある。モンゴメリー館はハーバート家の邸宅で、詩人のサー・エドワード・ハーバートの家であった。ダンは1613年にここに滞在し、4月7日にサー・ロバート・ハーレィに手紙を出している。モンゴメリー館でこの詩を書いたとすれば、1613年に書かれたことになる。
注:1 桜草は、通常、5弁の花びらであるが、4弁または5弁の桜草は、民間伝承で「真の愛」を表象すると言われていた。「それ以上か、それ以下の女」というのは、桜草の弁の数を比喩したもので、「真の愛」を示し、「並みの女」は通常の5弁の桜草を表わす。
注:2 「神秘の数」5という数字には魔力があると信じられていたので、伝統的に「魔法の数」とも言われている。5は奇数と偶数の和(2+3)の最初の数(1は数字のうちに数えられていない)であり、奇数と偶数は女と男を表象する。
注:3 10は普遍数で、すべてを内包する完全数であり、究極の数。「正義(公平)と婚姻」を表象する数でもある。
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