まだその経験がないとき、
愛にはなにか神聖なものがあると思っていた。
それで、敬ったり、崇拝したりした。
無神論者が今わの際に、
名付けようのない、未知の力を叫ぶように、
僕も、訳が分からぬままに切望した。
このように
未知のものを手に入れたいと望むとき、
我々の願いは形となって、
願いに応じて、大きくもなり、小さくもなる。
だが、縁日で買った
金ぴかの椅子に座った王様の像が、
三日もすれば子供たちに
飽きられるように、恋人たちが
盲目的に礼讃し、崇拝して求めたものも、
一旦手に入ると、その喜びもつかの間。
そうなると、
かつてはすべての感覚を喜ばせたものが、今では一つ、(注:1)
それも弱々しくなって、後に残るのは、
心虚しく、悲しい倦怠のみ。
ああ、我々人間も、
雄鶏や獅子のように陽気になれぬものか、
快楽を味わった後も。これも、賢明なる
自然の女神が定めたこと(あの行為の一回ごとに、
寿命が一日ずつ縮まるというので)とすれば、
我々がその慰みの行為を蔑むのを
喜ぶことだろう。
人生の短さを呪いつつ、
精力を一瞬で使い果たすのは、
子孫を増やすため。
それゆえ、僕の心は
誰もが得られないものなど望みはしない。
これ以上、愛に溺れたりせず、僕を
傷つけたものを追い回すのはやめにする。
そして、心を動かす美人が現れても、
夏の太陽の日差しが強い時、
人がするように、
その強さは称賛しても、その熱気は避ける。
どこにでも日影はある。すべて駄目なら、
最後の手段、尻にヨモギを塗るまでだ。(注:2)
【訳注】
原題:’Farewell to Love’
注:1 「今では一つ」は、「触覚」の感覚を指す。
注:2 「尻にヨモギを塗る」とは、性欲を抑える薬草を男根に塗る意。
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