18 恋よさらば ジョン・ダンの部屋

 

まだその経験がないとき、

愛にはなにか神聖なものがあると思っていた。

それで、敬ったり、崇拝したりした。

無神論者が今わの際に、

名付けようのない、未知の力を叫ぶように、

僕も、訳が分からぬままに切望した。

このように

未知のものを手に入れたいと望むとき、

我々の願いは形となって、

願いに応じて、大きくもなり、小さくもなる。

 

だが、縁日で買った

金ぴかの椅子に座った王様の像が、

三日もすれば子供たちに

飽きられるように、恋人たちが

盲目的に礼讃し、崇拝して求めたものも、

一旦手に入ると、その喜びもつかの間。

そうなると、

かつてはすべての感覚を喜ばせたものが、今では一つ、注:1

それも弱々しくなって、後に残るのは、

心虚しく、悲しい倦怠のみ。

 

ああ、我々人間も、

雄鶏や獅子のように陽気になれぬものか、

快楽を味わった後も。これも、賢明なる

自然の女神が定めたこと(あの行為の一回ごとに、

寿命が一日ずつ縮まるというので)とすれば、

我々がその慰みの行為を蔑むのを

喜ぶことだろう。

人生の短さを呪いつつ、 

精力を一瞬で使い果たすのは、

子孫を増やすため。

 

それゆえ、僕の心は

誰もが得られないものなど望みはしない。

これ以上、愛に溺れたりせず、僕を

傷つけたものを追い回すのはやめにする。

そして、心を動かす美人が現れても、

夏の太陽の日差しが強い時、

人がするように、

その強さは称賛しても、その熱気は避ける。

どこにでも日影はある。すべて駄目なら、

最後の手段、尻にヨモギを塗るまでだ。(注:2)

 

 

【訳注】

原題:’Farewell to Love’

 

注:1 「今では一つ」は、「触覚」の感覚を指す。

注:2 「尻にヨモギを塗る」とは、性欲を抑える薬草を男根に塗る意。

 

 

 

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ジョン・ダン全詩集訳 宗教詩