【訳注】
『神に捧げる瞑想』は全篇19篇のソネットからなり、そのうち12篇が1633年に刊行され、4篇が1635年の版に追加された。残り3篇はウエストモーランドの手稿にのみあったが、1899年にゴスに発見されて出版されるまでは未刊であった。
1633年の版では、2,5,6,7,9,10,11,12,13,14,15,16番のソネットが含まれ、1,3,4,8番のソネットが1635年の版で追加された。17,18,19番がウエストモーランドの手稿である。
A.J. スミスの編纂では、1635年の配列に従っている。
1 (あなたが私を造られた)
あなたが私を造られた、それなのに、ご自分の作品を壊すというのですか。
私をすぐに直して下さい、私の終りが目前に迫っているのです。
私は死に向かって走っており、死も負けずに急いで私を迎えようとしています。
私の喜びのすべては昨日の夢となり、
霞んでいく私の目をどちらに向ける勇気もなく、
後ろには絶望、前には死が立ちはだかり、
恐ろしい恐怖を投げかける。私のか弱い肉体は、
その中に宿る罪によってやせ細り、罪は肉体を地獄へと押しやる。
天上におられるあなた、そのあなたの許しを得て
あなたを見上げる時だけ、私は再び立ち上がることができる。
だが、昔からの狡猾な敵(注:1)が私を誘惑してやまない。
そのため、私はひとときも自分を支えることができない。
あなたの恵みだけが、彼の術策から逃れるため、私に翼をつけることができ、
磁石のように、あなたは私の鉄の心を引き寄せるのです。
【訳注】
注:1 「昔ながらの狡猾な敵」とは、悪魔のこと。
2 (多くの権利により)
多くの権利により、当然の義務として私は
自分をあなたにお任せします、ああ、神よ、はじめ、私は
あなたによって、あなたのために造られた。ところが、私が罪によって汚れると、
元々あなたのものであったものを、あなたの血が贖った。
私は、あなたとともに輝くために造られた息子であり、
あなたが常にその労苦に報いて下さるあなたの僕(しもべ)であり、
あなたの羊であり、あなたご自身の似姿であった。そして、私が
自分自身を裏切るまでは、あなたの聖なる霊の廟でもあった。
それなのに、悪魔は何故私を襲うのか。
あなたの権利であるものを盗もうとするのか、いや、強奪するのか。
あなたが、ご自分の作品のために立ち上がって戦わなければ、
ああ、私はすぐにも絶望することになる、
あなたが人類をこよなく愛しながらも、私を選ぶことなく、
悪魔は私を憎みながらも、私を失うまいとするのを見て。
3 (私がついたあの溜息と、流した涙の雨が)
ああ、私がついたあの溜息と、流した涙の雨が、(注:1)
この胸と目に、また戻って来ぬものか、
そうすれば、この聖なる不満のなかで、
甲斐ある嘆きとなるだろうに。昔の嘆きは無益だった。
私の偶像のために、私の目は、どれほど涙の雨を
降らしたことか。私の心は、悲しみでどれほど引き裂かれたことか。
その苦悩は、私の罪であった。私は今それを悔いる。
昔の苦悩のために、私は今苦しまねばならない。
水腫病みの酔いどれ、闇夜を徘徊する盗人、
むずむず身悶えする好色漢、それに己をくすぐる傲慢な輩、
そんな連中も、来るべき苦悩を逃れるための気休めに、昔の快楽の
思い出にふけることができる。それなのに、この哀れな私には
なんの安らぎもない。それというのも、長い間、この激しい悲嘆こそ、
原因と結果、罪と罰であったからだ。
【訳注】
注:1 「私がついたあの溜息と流した涙の雨」は、ダンの若い頃の恋愛をペトラルカ風に言及した
もの。
4 (私の邪悪な魂よ)
ああ、私の邪悪な魂よ、おまえは今、召喚されている、
死の伝令であり、戦士でもある、病によって。
おまえは、異国で反乱を起こしたが、逃げ出したところへと
戻る勇気もなく、行き場もなく遍歴する巡礼のようなものだ。
あるいは、死刑の判決を受けるまでは、
牢獄から釈放されたいと願っているが、
死刑を宣告され、処刑場に引き立てられる段になると、
いつまでも牢獄に閉じ込められていたいと願う盗人のようなものだ。
だが、おまえが悔い改めるならば、慈悲はなくはない。
しかし、おまえがまず悔い改めるために、その慈悲を施すのは一体だれか。
ああ、聖なる悲しみでおまえ自身を真っ黒にし、
罪に染まったおまえを恥じて赤面し、赤くなるがいい。
あるいは、キリストの血でおまえを洗うがいい。その血は
赤いが、赤くなった魂を白く染める力がある。
5 (私は精巧に創られた小宇宙)
私は、四つの元素と、天使の魂とから
精巧に創られた小宇宙である。しかし、
黒い罪が私の宇宙の両方(注:1)を、永遠の夜に
売り渡したので、二つながら死ぬほかはない。
最も高いところにある天国を超えて、
新たに天体を発見し、新たな土地について書くことができるあなた方が、
私の目に新たな海(注:2)を注ぐことで、私は
大いに泣いて自分の宇宙を溺れさせることができる。あるいは、
もはや、溺れさせることができないまでも、洗い流すことはできる。(注3)
ああ、しかし、私の宇宙は焼かれなければならない。ああ、
情欲と嫉妬の炎は、これまでそれを燃やしてきて、
いっそう汚れたものにした。
ああ、主よ、あなたとあなたの館に焦れる熱情の炎で、
私を燃やして下さい。食いつくすことで癒されます。
【訳注】
注:1 「両方」とは、魂と肉体のこと。
注:2 「新たな海」は、『創世記』1章7節参照。
注:3 『創世記』9章11節参照。
6 (私の最後の舞台)
これが私の最後の舞台、ここを天は
私の巡礼の最後の道程と定められた。私の人生は
無為に、あっという間に走り去ったが、この最後の一歩、
私の短い距離の最後の一寸、私の短い時の最後の一瞬を残すのみとなった。
そして、貪欲な死が、直ちに私の肉体と
魂を切り離し、私はしばらくの間、眠りにつくことになるだろう。
だが、私の常に目覚めている部分は、あの顔を見ることになる。
その顔の恐ろしさを想像して、私のすべての関節がもう震えている。
その時、私の魂は最初の居場所であった天国へと逃げ出し、
地上で生まれた肉体は、地の中に住むことになる。
そうして、私の罪は、すべてのものが持つ権利で、
生まれた処に落ちて行き、私を地獄へと押しやろうとするだろう。
悪を一掃する私を、心正しき者として認めて下さい。
このように、この世も、肉体も、悪魔も捨てる私を。
7 (大地の四隅に立つ天使たち)
丸い地球の想像上の四隅に立って、(注:1)
おまえたちのラッパを吹いてくれ、天使たちよ。そして立ち上がれ、
死から立ち上がれ、おまえたち無限の数の
魂たちよ、撒き散らされたおまえたちの肉体に戻って行け。
洪水によって滅びた者も、炎によって打倒される運命にある者も、
戦争、飢饉、老い、瘧、暴政や、
絶望、裁判、偶然によって殺された者たちも残らず、また、
神を見て、死の悲しみを味わうことのない(注:2)おまえたちもみな。
だが、主よ、しばらくの間、彼らを眠らせ、私を嘆かせて下さい。
というのは、これらにもまして、私の罪が多ければ、
あなたの恵みを多く願うのは、そこに着いてからでは
遅すぎるからです。この低い大地にいる間に、
どのように悔い改めればよいかを教えて下さい。そうすれば、
あなたの血によって、私の許しが約束されたも同然となります。
【訳注】
注:1 『ヨハネの黙示録』7章1節参照。
注:2 「死を味わうことのない」は、『ルカによる福音書』9章27節参照。
8 (信仰の厚い魂が)
信仰の厚い魂が、天使たちと同じように
栄光を受けるのであれば、私の父の魂は、
すでに満杯の至福に加えて、私が
地獄の大きな口を勇敢に跨ぐのを見るだろう。
しかし、我々の心がこれらの魂に対して、
周囲の状況や、我々の中の見かけの
兆候によって、間接的にしか知られないのであれば、
私の心の純白なまことは、どのようにして証明されるのだろうか。
彼らが目にするのは、嘆き、悲しむ偶像崇拝の恋人たちであり、
イエスの名において叫び、神を冒涜する
邪まな魔術師たちであり、それにパリサイ人のような
偽りの信仰をもつ偽善者たちである。そうであるなら、
憂いに沈む魂よ、神に救いを求めよ。神こそおまえの真の悲しみを
最もよく知っている。その訳は、それを私の胸に置いたのが神だから。
9 (もしも、毒のある鉱石や)
もしも、毒のある鉱石や、あの木、
その実を食べていなければ不滅であった我々に死をもたらした木や、
あるいは、好色な山羊や、嫉妬深い蛇が
呪われないのであれば、どうして私が地獄に落ちなければならないのか。
私の中に生まれた意志や理性は、他の点では変わらないのに、
どうして私の中の罪を一層憎むべきものにするのか。また、
神にとって、慈悲は容易なものであり、栄光でもあるのに、
どうして神は、激しい怒りで脅かすのであろうか。
しかし、この私はいったい何者であろうか、神よ、このように
あなたと言い争うなんて。ああ、あなたの唯一貴い血と、
私の涙とで、天の忘却の河となし、
その中で私の罪の黒い記憶を溺れさせて下さい。
あなたがそれらの罪を忘れないことが、恩義であると主張する人がいますが、
私は、あなたが罪を忘れて下さることこそ、慈悲だと考えます。(注:1)
【訳注】
注:1 『エレミヤ書』31章34節を参照。
10 (死よ、驕るなかれ)
死よ、驕るな。ある人たちはおまえのことを強くて恐ろしいと
言っているが、そんなことはない。その訳は、
おまえが倒したと思っている相手は、
死んではいないからだ。それに、哀れな死よ、おまえは私も殺せない。
休息と眠りは、おまえの似姿でしかない。そこからは大いなる喜びが生まれる。
だが、おまえからは、もっと大きな喜びが流れ出るに違いない。
我々のなかで最も優れた者たちが、最も早く、おまえと一緒に去って行くが、
それは、肉体の骨休みであり、魂の解放、自由のためである。
おまえは、運命や、偶然や、王侯や、絶望した者たちの奴隷であり、
それに、おまえは、毒や、戦争や、病気などと一緒に住んでいる。
ケシや、呪文も、おまえに劣らず我々をよく眠らせることができる、というより、
おまえの一撃より上手に眠らせてくれる。それなのにおまえはどうして威張れよう。
一瞬の眠りが過ぎると、我々は永遠に目覚めることになる。
死は、もはや存在しない。死よ、死ぬのはおまえだ。(注:1)
【訳注】
注:1 『コリント人への手紙1』15章26節、「最後の敵として、死が滅ぼされます」参照。
11 (私の顔に唾を)
ユダヤ人たちよ、私の顔に唾を吐きかけ、私の脇腹を刺し貫いてくれ。
私を打ちのめし、嘲り、鞭打ち、磔(はりつけ)にしてくれ。
私は繰り返し罪を犯したが、何も悪いことのできなかった
あの方が亡くなられたのだから。
だが、私が死んだところで、あのユダヤ人の不信心にも勝る
私の罪の数々を贖うことはできない。
ユダヤ人たちは、かつてひとりの哀れな男を殺したに過ぎないが、私は、
日々、今では栄光に輝いているあの方を十字架にかけている。
ああ、それゆえに、私は、あの方の不思議な愛をいつも讃えよう。
王様たちは許すだけだが、あの方は我々の罪を負われた。
ヤコブが粗末で毛むくじゃらの服をまとったのは、
兄に代わって、利得を得ようとしたからだった。(注:1)
神が賤しい人間の肉体をまとわれたのは、
苦痛を受けるのに足るだけ弱くなろうとしたからだった。
【訳注】
注:1 『創世記』27章参照。
12 (すべての被造物が我々に奉仕する)
なぜ、すべての被造物が我々に奉仕するのか。
なぜ、それぞれの元素は私に惜しみなく
命と食物を与えてくれるのか。元素は、私に較べれば、純粋で、
単一であるので、腐敗からはほど遠いのに。
無知な馬よ、おまえはなぜ服従することに甘んじているのか。
雄牛や雄豚よ、なぜお前たちは愚かにも
弱い振りをして、人間の一撃で死んでしまうのか。
おまえたちは、人間どもを呑み込み、食らうこともできるのに。
悲しいことに、私はおまえたちより弱く、そのうえもっと悪人だ。
おまえたちは罪を犯しておらず、びくつく必要もない。
だが、もっと驚くべきことがある。それは、
造られた自然は、これらのものを我々に従わせるが、
罪にも、自然にも縛られないそれらの創造主が、
我々や、被造物や、彼の敵のために死なれたことだ。
13 (今夜が世界の最後の夜だとしても)
今夜が世界の最後の夜だとしても、それがどうしたというのか。
ああ、私の魂よ、おまえが住んでいるこの私の心をよく見よ、
そこには、キリストが十字架に架けられた絵姿があるが、
その表情がおまえを怖れさすことができるかどうか、言ってみよ。
彼の目に浮かぶ涙が恐ろしい光を消し、
刺し貫かれた頭から流れ出る血は、彼の額を埋めている。
あの舌は、おまえを地獄に落とすと宣告することができるだろうか、
激しい悪意を持つ彼の敵にすら許しを乞われた彼にそんなことができるだろうか。
そんなことは断じてない。私は偶像崇拝するように、
すべての世俗の恋人に対して言ったものだ、
美しさは憐みの徴であり、恋人に冷たいのは
醜い女だけだと。それゆえ、私はおまえに言う、
邪悪な精神に対してはおぞましい姿が与えられるが、
このように美しい容姿には、憐れみを抱く心が保証されると。
14 (私の心を叩きのめして下さい)
私の心を叩きのめして下さい、三位一体の神よ。あなたは、
これまで、軽く叩き、息を吹きかけ、照らして、直そうとされただけだったが、
今度は、起き上がって立つことができるように、私を倒し、力を込めて、
壊し、吹き飛ばし、焼いて、私を造り直して下さい。
私は占領された町のように、他の者の手に渡り、
あなたを受け入れようとしても、それが果たせない。
あなたの代官である理性は、私を守るべきなのに、
捕虜となって、弱腰で、不忠をさらけ出す。
私はあなたを心から愛し、愛されたいと思っているが、
あなたの敵と婚約してしまった。
私を離縁し、約束を解消し、その絆を断ち切って、
私をあなたの処へ連れて行き、牢獄に閉じ込めて下さい。
あなたの奴隷になる以外には、私は自由になれない。
また、あなたに犯されない限り、貞節にもなれない。
15 (神が愛されるように、神を愛するか)
神がおまえを愛しているように、神を愛するか。それならば、
私の魂よ、この健全なる瞑想をよく反芻するがよい。
天国で天使たちにかしずかれていた聖霊である神は、
おまえの胸に彼の神殿を作って宿っておられるのだ。(注:1)
父なる神は、最も祝福された御子をお産みになり、
今もなお産み続けておられる(というのは、神には始まりがないから)。
その神が、かたじけなくもおまえを養子に選び、
神の栄光と、安息日の永遠の休息の共同相続人とされた。(注:2)
盗難に遭った人が、盗まれたものを捜し出したものの、それが
売りに出されていて、諦めるか買い戻すしかないように、
栄光に輝く御子が降りてきて殺されたのは、
神が造られた我々を、盗んだ悪魔から解放するためだった。
人が神の姿に似せて造られただけでもたいしたことであったが、
神が人と同じようになったのは、さらに大きな驚きである。
【訳注】
注:1 『コリントの信徒への手紙1』6章19節、「あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」を参照。
注:2 『ローマの信徒への手紙』8章17節、「神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」を参照。
16 (二重の権利の一部を)
父よ、あなたの王国に対して二重の権利を持っておられる
あなたの御子が、その一部を私に下さったが、
難解な三位一体における彼の共有権は
自分で所有したままで、私には彼の死で得たものを譲られた。
この小羊は、その死によってこの世に命を恵まれたが、
この世の始まりの時から屠られたものであった。(注:1)彼が
残した二冊の遺書(注:2)によって、彼とあなたの王国が、
遺産としてあなたの息子たちに付与される。
しかし、あなたの法律は厳しくて、人類に
その規定が果たせるのかどうか、いまだに議論されている。
それは誰にもできないが、すべてを癒すあなたの恵みと聖霊が、
法律と文字が殺したものを再び甦らせてくれる。(注:3)
あなたの法律の要約と、あなたの最後の掟は、
愛しなさい、ただそれだけです。(注:4)ああ、この最後の遺言が守られますように。
【訳注】
注:1 『ヨハネの黙示録』13章8節「天地創造の時から、屠られた小羊の命の書」を参照。
注:2 「二冊の遺書」とは、旧約聖書と新約聖書のこと。
注:3 『コリントの信徒への手紙2』3章6節「文字は殺しますが、霊は生かします」を参照。
注:4 『ヨハネによる福音書』13章34節「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように」を参照。
17 (私が愛した彼女は)
私が愛した彼女は(注:1)、自然から借りていたものをすべて返し、
本来の自分の姿(注:2)に戻ったので、私の愛しい人は死んでしまった。
彼女の魂は、あまりにも早く天国へと奪われていったので、
私は全身全霊、天国のことだけに捧げる決心をした。
この世で彼女を敬愛することで私の心を磨いて、神よ、
あなたを求めるように心がけた。流れはその水源を示すものである。
私はあなたを見出し、あなたは私の渇きを癒されたが、
神聖な渇きは、水腫のように私を溶かしてしまう。
しかし、私はこの上、愛を乞う必要があるだろうか。彼女のために、あなたは
私の魂を口説いて、あなたのものすべてを差し出されているというのに。
そしてあなたは、聖者や、天使や、聖なるものに、私が
私の愛を与えてしまうのではないかと恐れるだけでなく、
この世や、肉体や、悪魔のために、あなたを捨ててしまうのではないかと、
その優しい嫉妬の思いで心配されている。
【訳注】
注:1 「私が愛した彼女」とは、ダンの妻アンのことで、彼女は1617年8月に、12番目の子の出産の際に33歳の若さで亡くなった。
注:2 「本来の自分の姿」の個所は問題の個所で、解釈が分かれているが、肉体を構成する四元素と解して、「本来の姿」と訳出した。
18 (愛するキリストよ、見せて下さい)
愛するキリストよ、私にあなたの、輝く清い花嫁を見せて下さい。(注:1)
それは、海の向こうの、派手に彩られた衣裳をまとった(注:2)
女でしょうか。それとも、奪われ、引き裂かれて
ドイツやこの地で嘆き悲しんでいる女でしょうか。(注:3)
彼女は千年の間眠り続け、一年だけ現れるのでしょうか。(注:4)
彼女は真実そのものであっても、過ちを犯すのでしょうか。時には新しく、時には
古くなるのでしょうか。
現在、過去、未来において彼女が現れるのは、
一つの丘の上、(注:5)七つの丘の上、あるいは丘のない場所なのでしょうか。
彼女は、我々とともに住むのでしょうか、それとも遍歴の騎士のように、
我々がまず旅をして探し出し、求愛するものなのでしょうか。
親切な夫よ、あなたの花嫁を目の前に見せて下さい。
そして、恋する私の魂にあなたのおとなしい鳩に求愛させて下さい。
その鳩が、あなたにとって最も忠実で、愛想がよいのは、
多くの男たちに抱かれ、見境なく受け入れる時です。
【訳注】
注:1 『ヨハネの黙示録』19章7-8節、「小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである」を参照。
注:2 「海の向こうの、派手に彩られた衣裳をまとった」は、ローマ教会を示す。
注:3 ドイツやイングランドの新教徒の教会を示す。
注:4 新教徒の間では、真の教会は千年の間地上から消え去り、今新たに出現すると主張する者たちがあった。
注:5 「一つの丘」とはソロモンがユダヤ人の神殿として主の家をエルサレムに建てたモリア山、あるいはセント・ポール寺院の建つラドゲイトの丘を指し、「七つの丘」とは、ローマの七つの丘、「丘のない場所」は、カルヴィン派の中心地であるジュネーブを指す。
19 (私を悩ますため)
ああ、私を悩ますため、相反するものが一つになる。
移ろいやすく、不自然なものが
規則正しい習慣を産む。その結果、望んでもいないのに、
誓約や、信仰において、心変わりする。
世俗的な恋愛と同じように、
私の悔い改める心は気まぐれだ。
心は千々に乱れ、熱したかと思えば、冷め、
祈るかと思えば、沈黙し、深く悔いるかと思えば、知らぬ顔。
昨日は天を仰ぎ見る勇気もなかったのに、今日は
祈りの中で、褒め称えては神に取り入る。
明日には、神の鞭を心底恐れて震えることになる。
そのように私の信仰の発作は、
瘧のように気まぐれで、起こっては消えて行く。
恐れのために震える時、それこそが私の最良の日々である。
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