私はかの聖なる場所に行こうとしています。
そこで聖者たちの聖歌隊と一緒になり、永遠に、
あなたの音楽となるのです。行くに当たって、私は
この戸口の前で、楽器の調子を整えています。
その時何をしなければならないのか前もって考えているのです。
私を治療している医者たちは、その愛の力によって
地理学者となり、私は彼らの地図となって、
この寝台の上で平らに横たわっています。彼らの診立てでは、
私はいま、南西(注:1)を旅しており、
熱帯海峡を通って、熱で苦しみ、死ぬ運命にあるということです。
この海峡では、私の西が見え、私は嬉しく思っています。
この海峡の潮流は、誰ももとには戻さないものですが、
私の西は、私をどのように苦しめるのでしょうか。西と東は
平らな地図の上では(私のように)一つであるように、
死もまた、復活に接しているのです。
私の故郷は、太平洋だろうか、それとも、
東方の財宝に満ちた国か、エルサレムだろうか。
アニヤン(注:2)、マゼラン、ジブラルタル、これらは
すべて海峡であり、この海峡を通らない限り誰もそこへは行けない、
ヤペテ(注:3)、チャム、セムが住んでいるところへは。
パラダイス(注:4)とカルバリ、
キリストの十字架とアダムの木は、同じ場所にあると考えられています。(注:5)
主よ、ご覧下さい、私の中で二人のアダムが一つになるのを。
最初のアダムが流した汗が私の顔を覆ったように、
最後のアダム(注:6)が流した血が私の魂を抱きしめるでしょう。
ですから、彼の血で染まる深紅の衣をまとった私を受け入れて下さい。
彼の茨の冠に代わる、彼のもう一つの冠の方を私に与えて下さい。
私が他の魂に対して御言葉を説いたように、
次のことを、私の魂に対する私の聖句、私の説教として与えて下さい。
すなわち、彼が立ち上がることができるように、主は倒されたのであると。
【訳注】
ダンの伝記を書いたウォルトンは、この詩を、ダンの死の8日前、1631年3月23日の作とするが、1636年に亡くなった判事のサー・ジュリアス・シーザーは、ダンが重病に陥った1623年12月の作とする。この詩の最初の出版は1635年。
注:1 「南西」の南は熱帯であり高熱を表わし、西は衰退と死を表象する。
注:2 アニヤンは、ベーリング海峡か、モザンビーク海峡のことかと解されているが、はっきりしていない。
注:3 ヤペテはノアの第三子で、ヨーロッパの祖。チャム(ハム)はノアの第二子でアフリカの祖。セムは、ノアの長子でアジアの祖。
注:4 パラダイス(楽園)はメソポタミアにあると考えられていた。カルバリは、エルサレム近傍の丘、別名ゴルゴタで、キリスト磔の地。
注:5 14世紀にイタリアのドミニコ会士によって書かれた「黄金伝説」では、キリストはアダムが埋葬された同じ場所で死んだとされている。
注:6 「最後のアダム」とはキリストのこと。
ページトップへ
|