聖職者となったティルマン氏に ジョン・ダンの部屋

 

あなたの神々しい魂が今や、

その手に聖なる鋤を握らせ、

世間の聖職者に対する軽蔑を

障害とせずに、克服した。

あなたが持ち帰った収穫は何であろうか。あなたの心は

円熟してどのように変わったであろうか。あなたの心に

新たな思想や感動が生まれたであろうか。磁石に触れた

鋼のように、新しい運動が生じたであろうか。

また、交易船が幾多の苦難を乗り越えて、

鉄や布を売って、豊かなインドの品々を持ち帰るように、

あなたも同様な交易をしてきて、もっと少ない時間と労力で、

もっと素晴らしい宝を沢山、持ち帰ったであろうか。

あなたは以前と変わらぬ材料でできていて、

変わったのは印章のみ、それだけであろうか。

新たに王位に就いた王様が貨幣の表面の顔を変えても、

その中身は変わらぬように、神の恵みも、

神の創造によって押された昔の印章を、注:1

このあなたの就任で、新しくキリストの印章に替えただけであろうか。

或いは、我々が天使を描くとき翼を付けるのは、

天使が神の言葉を伝え、神の律法を布告するからであるように、

あなたも同じようなことをし、同じように働かねばならないので、

神の愛によって新しく翼を与えられたのであろうか。

あなたが得られたものがどこにあるか教えて欲しい、そして、

天上において得たものを、この地上で示して欲しい。

だが、あなたが得たものが表現を超えるものであれば、  

どうして、世間の人々は愚かにも、言葉で表現できない

喜びを伝えるその職業を馬鹿にするのか。どうして彼らは、

紳士の身分にある者が、神の家族に加わるのを適切でないと考えるのか。

まるで、彼らの一生は、衣裳に凝り、恋愛ごとに明け暮れ、

お世辞を言うだけのためにあるようだ。

何と哀れな喜びであることか。だが、もっと哀れなのは、

清められた塵に信頼を完全なまでに寄せた人たちである。

(その訳は、そのような衣裳や美は、たとえ悦びであっても、

所詮、ただの上品に精製された土塊に過ぎないのだから)。

だから世間があなたの天職を軽んじるならそうさせておき、

あなたは自分の道を進み、彼らの無関心を哀れむがいい。

神と運命の大使を務める仕事ほど

高尚なものが他にあるだろうか。その仕事は、

命の扉を開き、王様が爵位を与える以上に

多くの人々に王国を与え、天国の扉を守ること。

マリアの特権がキリストを産むことであったように、

聖職者の特権はキリストの言葉を伝えることである。

雲の中から語りかける天使のように、彼らは説教壇から語る。

そして、この世の貧しき人、足萎えの人、弱き人を祝福する。

天文学者たちは、新星を発見すると、

自分たちの望遠鏡を賛美するが、それに較べれば、

聖職者がその道具を用いて、人を神のもとへ、

神を人のもとに返すことができるのは、もっと素晴らしいことではないか。

これらのことが、あなたの特典であり、卓越性であり、

あなたの中で、神の恵みと人の罪が出会い、

地上ですべてのものを産ませる父なる神と、

これらのものを産み出す母なる大地が、

あなたの中でこの二つが、あなたの職業によって一つに結ばれ、

今や、あなたは、神に祝福された両性をあわせ持つ存在となる。

 

 

【訳注】

エドワード・ティルマンは、1618年12月に聖職位を受けたが、当初、自分はその任にあらずとして躊躇する詩を何篇か書いており、ダンの詩はそれに対する答えとして書かれた。

 

注:1 『創世記』1章27節の「神は御自分にかたどって人を創造された」を参照。

 

ページトップへ

 
 
   
ジョン・ダン全詩集訳 宗教詩