『宗教詩』は全部で39篇からなり、そのうち28編が1633年の版に収められ、7篇が1635年の版に加わったが、3篇はウェストモーランドの筆写にしかなく、「マグダレン・ハーバート夫人へ」は、ウォルトンの『ハーバートの伝記』(1670)の中で初めて出版された。
『ジョン・ダンの全詩集と散文選集』(1932年刊)を編纂したジョン・ヘイウォードは、グリアソン教授の「ダンの詩は、彼が聖職に就く前と後の二つのグループに分けられる」という指摘に対して、ダンの妻アンが亡くなった1617年がターニング・ポイントだとする。
聖職について(1615年)間もなく妻が突然亡くなったショックは大きかった。ダンは妻をよく愛していただけでなく、心から愛していた。妻の死後書かれたダンの詩は、感情の審美がよく表われている(ヘイウォード)。
そして、「聖なるソネット」は妻の死後に書かれたとする一方で、ダンの詩の多くは、ダンがミッチャムに住んでいた憂鬱な時代に書かれたと述べている。ダンは多くの手紙を残しているが、その手紙の中で、自分が住んでいるミッチャムの家を「牢獄」と呼んでいる。
A.J. スミスの編纂になる『宗教詩』は、「DのEへ、6つの聖なるソネットとともに」、「マグダレン・ハーバート夫人へ、マグダラのマリアについて」、「聖なるソネット『冠』」(7篇のソネットからなる)、「神に捧げる瞑想」(19編のソネットからなる)、「嘆願の連祷」(27の小編から構成される)、「十字架」、「復活」(未完)、「受胎告知と受難の日が同一の日、1608年」、「聖金曜日、1613年、西に向かって馬を走らせる」、「聖職者になったティルマン氏に」、「フィリップ・シドニー卿とその妹ペンブルック夫人による『詩篇』の翻訳について」、「エレミヤの哀歌、主にトレメリウスによる」(5章からなり、全部で390行ある)、「キリストに捧げる讃美歌、作者が先年ドイツに旅するに当たって」、「私の病床から、神への賛歌」、「父なる神への賛歌」からなっている。
『ジョン・ダン全詩集』(初版1985年)を編纂したC.A. パトライズは、『宗教詩』のすべてがダンの聖職に就いた後で書かれたものではなく、そのいくつかは聖職となる前に書かれたと述べている。
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