魂の遍歴について ジョン・ダンの部屋へへ

 

二周忌の歌 

 

下界の太陽であり、太陽の太陽であり、

万物の輝きであり、活力でもあった、

その彼女が沈んでから

一年が過ぎたことを考えると、

この世は永続性があると言うことができるだろう。

だが、彼女が沈んだと言うのは冒涜になるだろう。

しかし、帆を降ろした船も、それまでに

獲得した力の惰性で走り続けるものである。

あるいは、首を切られた者が、時には、

二つの紅海、つまり、

胴体と頭から大量の血を流しながら、

彼の魂は永遠の寝床に向かって航海しているのに、

彼の目玉はギラギラと輝き、彼の舌は滑らかに回転し、

まるで、彼の魂を招き、呼び戻すかのようなものである。

彼は手を握り締め、足を引き上げ、

前に進み、自分の魂に追いつくため、今にも

歩きだしそうに見える。我々が目にするこれらの動きは、

雪解けに音を立てて砕ける氷のようなものに過ぎない。

あるいは、湿気の多い気候に、絃がパチッと切れ、

自分の弔いの鐘を鳴らすリュートのようなものである。

彼女がいなくなった今、死んだこの世はそのようにもがいている。

というのは、腐敗には運動がつきものであるからだ。

天地創造では、日々を造る太陽が造られる前に、注:1

幾日かが過ぎたと記されているが、

その太陽が沈んだ後でも、なにがしかの徴候が現れ、

整然とした一年の移り変わりを示している。

けれども、新たな洪水と忘却の河レテの洪水が

我々をみな溺れさせたので、我々はすべての善を忘れ、

彼女を忘れたことで、すべての善の蓄えを失った。

だが、だれかまわずに襲ってくるこの激しい大洪水の中で、

私が命がけで戦っているのをあなたは目にするだろう。私の命は、

あなたを讃えることで、これから先、称賛されることだろう。

永遠の乙女よ、あなたは母の名を拒んだが、

私のミューズには父となってほしい。

貞節なミューズは、毎年、このような子供を

産みたいと願っているのだから。

これらの讃歌が未来の詩人たちに働きかけて、

あなたを賛美するひ孫たちが育つことができるだろう。

そして、そうしなければ悪徳で腐敗するこの世を、

生き返らないまでも、香油や香料で清めることができるだろう。

このようにして、死ぬのではなく、消える時が来るまで、

人類はあなたの子孫を増やすことができる。

これらの讃歌は、神の偉大な「ヴェニテ」注:2が歌を変えるまで、

あなたの子孫を増やし続けることができる。 

ああ、飽くことを知らぬ私の魂よ、時が来るまで渇くがいい、

そうしておまえの渇きを、神の救いを約束する盃で癒すがよい。

常に渇いていて、死ぬまで飲み続けるがいい、

そうして水腫になることが、唯一の健康法である。

腐敗したこの世は忘れてしまえ。おまえにとって、

おまえ自身の過去は、おまえの昔話にするがよい。

心配などするな。なぜだとか、いつなどと詮索するな。

人を信じないような真似もするな。

罪を犯すのは最悪であるが、真実を徹底的に求めるのは、

この世の価値よりはるかに大事な仕事である。

この世は死骸に過ぎない。おまえは

それを食って生きている。蛆虫が死骸を食って太るように。

哀れな蛆虫よ、おまえはどうして気遣うのか。

この世はいつになったら昔より良くなるのだろうか。

おまえの仲間の蛆虫どもは、

死体が甦ることなど夢にも思わないのに。

この世のことなど忘れてしまえ。この世のことなど、

一年前に脱ぎ捨てた上着ほどにも考えるな。

このように愚かになることが早道であり、

このように惰眠する者が誰よりも記憶力がある。

上を見るがいい。そこには彼女がいる。今の彼女の幸福を

悲しむのではなく、ともに喜びを分かち合おう。

その彼女、彼女にとってこの世は舞台に過ぎなかった。

我々はそこに座って、どのように彼女が青春を

費やしているかを傾聴していた。彼女がなしたすべてに、

あの黄金時代の様相が秘められていたからである。

この世が与えることができるもので、彼女に欠けたものは何ひとつなかった。

彼女こそ、この世に命を与える形相であったのだから。

また、彼女がこの世にいたとき、この世が

生きるに相応しくないと不平を言うことはできなかった。

彼女は、まず、どうでもよい欲望を美徳で試練にかけ、

さらに、その美徳は宗教の火で精製された。

天国が彼女の人徳を支持するのは、

宮廷人が君主に付き随うようなものだ。星の輝きを

すっぽり包みこむ彼女の丸い瞳は、南の空をしのぎ、

(彼女がそこにいたなら)星で満ちた北極注:3をも凌駕していただろう。

その彼女、その彼女が消えた。彼女は消えた。そのことを知ったおまえは、

この世がバラバラになった破片の屑に過ぎず、

考えてみるだけの価値もないことを悟ったはずだ。

この世が無であると考えている者ですらこの世を敬い過ぎている。

だから、私の魂よ、死は、離れの部屋に

蝋燭を持ってくる下僕に過ぎないと考えるがよい。

最初は、ほのかに光る明りが見えるだけだが、

やがてそれがおまえの眼の前に近づいてくる。

このように、天国は死において近づいてくるのだ。

おまえは今、息も絶え絶えに産みの苦しみをしているのだと考え、

その途切れ途切れの低い音の調子は、

小節注:4であり、おまえの最も美しい旋律だと考えよ。

おまえは死の床につき、力の抜けた姿で横たわっていると思うがいい。

だが、それは、包みを紐解き、そこから

貴重な品、おまえの魂を取り出すためであると考えよ。

おまえは激しい熱で焦がされているのだと思うがいい、

おまえの悪寒は薬だと言って、もっと

怒らせるがいい。発作が手ぬるいと叱るがいい。

自分の弔いの鐘を聞いていると思うがいい。だがそれは、

かつておまえを教会に呼び寄せた鐘の音と同じように、

おまえを「勝利の教会」へ呼ぶものだと考えるべきである。

悪魔の手先がおまえの周りにいると思え。そして、

そいつらは遺産を目当てに押し寄せているのだと思え。

一人にはおまえの傲慢を、別の者にはおまえの肉欲を与えよ。

以前に奴らがおまえにくれた数々の罪悪を返却し、

汚れのない血がおまえの罪を洗い流してくれることを信じるのだ。

おまえの友人たちが周りで泣いていると思い、それは彼らが、

まだおまえと一緒に行けないことを嘆いているのだと思うがいい。

彼らがおまえの目を閉じさせようとしていると感じるなら、それは、

彼らがこの世には都合の悪いことが山とあることを認め、それで、

彼らは神や天使から隠し立てできないことを、

死人の目に委ねることができないからだと思うがいい。

彼らがおまえに経帷子を着せようとしていると思えるのなら、それは

彼らがおまえを再び白い無垢に包もうとしているのだと思え。

おまえの体が腐敗していると思うなら、

(おまえの思いが低いほど、おまえの魂は高められる)

自分を君主だと考え、自分の身体から寄生虫を産み出し、

その寄生虫が、気づかないうちに王国を食い潰しているのだと考えよ。

彼らがおまえを埋葬していると思うなら、それは

聖ルーシー注:5の夜におまえをひと眠りさせているだけだと考えよ。

これらの事を愉快に考えるのだ。

眠気を感じたり、怠惰に感じることがあれば、彼女のことを思い出すがよい。

彼女の体質は均整がとれていたので、

彼女を構成している四元素のうちどれが

他の三つの元素を侵害しているのか、心配する親にも、医術にも測りかねた。

すべてがまったく過不足がなかった。

それは、解毒剤や、よく調合された香水と同じように、

すべてのよいものが混合され、どれも

他のものを支配したり、征服したりせず、

一部のものがではなく、すべてのものが最高であるからだ。

また、誰もが知っているように、総体は

線からなり、線は点からなるが、

誰にもこの線や総体を解体して、

これが線で、これが点であると言うことができないように、

彼女における四つの元素や、四つの体液も、

どれがどれを支配しているかなどと言うことはできなかった。

その均等な構成は、どんな病気も

彼女を襲うより、太陽に挑んだ方がましだと

思えるほどだった。それに魂ですら、

自分の方が分解するのではないかと恐れたほどであった。

彼女の均整がとれた姿と比較すれば、

立方体の方が不規則に見え、円も角張って見える。

彼女は、あらゆる運命を人類にもたらす

運命の女神が用いる因果の鎖のようなものであり、

それは、頑丈に、且つ均一に造られていたので、

どんな災難もその鎖を断ち切る恐れはないと思われた。

そのような彼女、その彼女が病気となり、病気に餌を与えてしまった。

病気が彼女の最も純粋な血と息を絶えず食らったのだ。

そのことで彼女が我々に教えてくれたことは、善人には

天国に行く資格があり、信仰によってそのことを訴えることができるけれども、

また、彼が天国を征服したと主張しても、

天国はその暴力を甘んじて受け入れるけれども、注:6

また、彼が天国を長い間所有していたと主張できるけれども、

(地上で天の働きをする者は、居ながらにして天国にいるからである)

彼は、その権利も、力も、場所も持っていたけれども、

死が案内役をして、天国の門を開ける必要があることを教えてくれた。

私の魂よ、さらにおまえ自身のことを考えよ、

最初、おまえは汚水の中で造られたものに過ぎなかったことを考えよ。

また、おまえの弱点を示すもののことを考えよ。

その弱点とは、おまえが私の中に見出す二つの魂、注:7

おまえが食らって、自分の中に取り込んだもの、すなわち、

第二の魂の感覚と、第一の魂の成長である。

おまえがいかに哀れで、脆弱な存在であるかを考えよ。

小さな肉の塊ですら、このようにおまえを毒することできたのだ。

この固まったミルク注:8、産まれてくる前の惨めな餓鬼である

私の肉体が、逃れることも助かることも叶わず、

おまえを原罪で汚し、おまえは

今ではそれを拒むことも、捨てることもできないでいる。

石の柱、あるいは墓石に縛り付けられ、

自分が出すあらゆる汚物にまみれて暮らす

どんなに頑なで、陰気な隠者も、

最初に建てられた牢獄にいる我々の魂ほどには穢れていない。

乳を吸い、泣くようになったおかげで、

哀れにもおまえは牢獄注:9に閉じ込められることになったのだ。

この牢獄は成長したところで、みすぼらしい宿で、

二ヤードの皮膚に包まれた小国に過ぎず、

あらゆる病気や、病気の実の母親である老齢に、

絶えず襲われては脅かされているのだ。

だが、今や死がおまえを解放したので、

おまえは大いに自由の身になったと考えよ。

錆びた小銃が発射されると、銃はバラバラに

吹き飛び、弾丸は自分が主人であるとばかり、

好き勝手に飛んで行く。おまえの魂も同じだと考えよ、

殻が弾け、おまえの魂はたったいま孵化したばかりだと思え。

そして、先ほどまで肉体にしがみついていた

この歩みの鈍い魂が、肉体の許しを得ると、

一日に二十マイルか、三十マイルしか進まなかったものが、

地上から天国への道のりを一瞬にして

飛んで行くことを想像せよ。魂は大気中に留まって、

どんな流星が出現してくるのかを見ようともしない。

彼女には、大気の中央の領域が濃密であるのかどうか、

知りたいという欲望も、感覚もない。

火の元素に関して言えば、彼女は

その傍を通ったかどうかさえ気づかない。

彼女は月で休息することもなく、また、

その新世界に人が住んでいて死ぬことがあるのかどうかも関心を払わない。

金星も彼女の足を止めさせることができない。(金星は一つであるのに)、彼女は、

どうして明けの明星と宵の明星という二つの名前があるのか、尋ねることもしない。

百の目を持つアルゴス注:10を魔力で魅了した美しい水星も、

目だけとなった彼女には、その魔法も通じない。

彼女は太陽の本体と出会っても、

太陽が通過するのも待たず、そのまま突き進む。

火星注:11の野営地に守備隊を探し出すこともしない。

また、木星やその父親である土星に通行を邪魔されることもない。注:12

彼女はどうやって旅をしたのか考える間もなく、

あっという間に、天空の果てに到達する。

そして、こういった星々は、一本の糸で結ばれた

沢山の珠のようなもので、目にも止まらぬ速さで

糸が珠を貫くように、彼女はそれらの星を通り抜け、

その素早い一連の動きが、それを常に一つのものにする。

脊髄が、我々の身体の箍が外れないようにと、

首や背中の小さな骨を固く結んでいるように、

死は、魂によって、天と地を結んでいるのだ。

というのは、我々の魂が彼女の三度目の誕生を喜ぶのは、

(彼女が造られたのが最初で、二度目は神の恩寵を得たとき)、

それまで暗かった部屋に蝋燭が灯ると、

色彩や物がはっきりと見えるように、

天国が近づき、彼女の面前に現れるからだ。

私の魂よ、これこそが、おまえの長くて短い注:13遍歴なのだ。

これらの考えを進めるために、忘れないでほしいのは、

彼女の美しい体は、牢獄などではなく、

魂も、彼女の体のなかでは一時代を喜んで

過ごしたであろうということだ。彼女の豊かな美が、

他の美に価値を貸し与えたのだ。それというのも、他の美は、

彼女にどれだけ似ているかによって通用したからである。

彼女の体のなかに(我々があえて、

気高い彼女をこの低俗な世で譬えるなら)、

西方の国の黄金、東方の国の香料や、

ヨーロッパやアフリカ、それに未知の国にある

最高の宝物を、容易に見出すことができただろう。

そして我々がこの大発見をしたとき、

彼女のどの一部をとってみてもすべてあり、それが

二十倍にもなって、その一つ一つの冨と宝が、

このような世界の二十倍にも匹敵することに気付くだろう。

はじめて守護天使と婚約し、

国家や、都市、組合に、

さらには、役目や、役職、地位に、

そして、それぞれの人に、あの人、この人にと、

守護天使を割り当てた者たちが彼女を知っていたなら、

彼女のすべての部分に守護天使を配していただろう。

彼女の魂が金であったと言うことができるなら、

彼女の肉体は琥珀金注:14であり、しかも

その純度は高かった。我々は

一目で彼女を理解した。彼女の純粋で雄弁な血が、

彼女の頬で語り、明瞭な働きをしていたので、

彼女の肉体は彼女の考えそのものであると言えた。

そのような彼女、豊かな大邸宅に住んでいた彼女が逝ってしまった。

彼女は、牢獄の牢獄注:15であるこの世を這い回る、

歩みの鈍い蝸牛である我々を叱り、我々のことを、

脆い殻を背負っていなければ安全でないと思っている。

だが、我々が場所を変えたところでほとんど役に立たない、

我々がこの生きながらの墓にとどまり、

無知に押し潰されている限り、何も変わらないのだ。

哀れな魂よ、この肉体の中にいて、おまえは何を知っているというのか。

どういうわけで死に、どういうわけで生まれてきたかを知らないように、

おまえは、おまえ自身のことをほとんど分かっていない。

おまえは、最初どのようにして人の体に入ってきたのか、

また、どのようにして人間の罪に毒されたのかも知らない。

おまえは(自分が不滅であることは知っているけれども)、

どうしてそのように造られたのかは知らない。

惨めな魂よ、おまえは自分自身を理解するには、

料簡が狭すぎる。せめて自分の体だけでも知ろうとしても

無理である。あらゆる人々が、

長年にわたって考えてきたことは、我々の肉体が、

空気や、火や、そのほかの元素からできているということではなかったか。

今では人々は新しい元素を思いつき、

ある者はある元素を考え、他の者は

別の元素を考え出し、まったく素人考え同然である。

結石がどのようにして膀胱の洞窟の中に、

皮膚を突き破らないで入ることができるのか、知っているか。

心臓に向かって流れる血が、どのようにして

一つの心室から別の心室へと流れていくのか、知っているか。

おまえが唾棄する腐敗したものに関しては、

どうしておまえの肺がそれを引き寄せるのか、知っているか。

他に通る道がないので、

(おまえの知る限りでは)中を突き抜ける注:16しかないからだ。

爪や髪の毛に関するあれやこれやの意見のなかで、注:17

どれが正しいのか、おまえに分かるか。

われわれ自身について知るのにどんな希望があるというのか、

我々の役に立つ最も小さなことですら分かっていないというのに。

一匹の蟻に関する百家争鳴に、

学者たちの間では反論できないでいるではないか。

それでもなお人は徹夜をし、食を断ち、寒さに震え、暑さに汗を流しながらも、

つまらないことや、事実の中身についての

教本や、初歩的知識を得ようと努力している。たとえば、

この世の舞台で、他の人々がどんな役を演じたか、

シーザーが何をし、キケロが何を語ったかを知ろうとすることである。

草がなぜ緑色で、我々の血がなぜ赤いのか、

そんなことも神秘のままで、誰にも何も分かっていないのだ。

哀れな魂よ、このような低い状態にあって、おまえは何をしようというのか。

おまえはいったいいつになったら、感覚や空想から学ぶ

そのような知ったかぶりを捨てるつもりだ。

おまえは遠眼鏡を通して見ているので、地上では小さな物も

大きく見えるのだ。だが、天上の物見の塔に上って見よ、

そして、あらゆるものを誤信なく見るのだ。そうすれば、

目の格子を通して見る必要はなく、

耳の三半規管を通して聞く必要もなく、

回りくどい方法や、判断するための推論を学ぶ必要もない。

天国では、天国に関することはすべて直ちに知ることができ、

それ以外のことは直ちに忘れることができる。

そこでは(そこ以外では無理だが)おまえは、

彼女と同じだけの知識を、彼女と同じだけ得ることができるだろう。

彼女は、自分の頭の中にある図書館のあらゆる書物を

すべて読むことができた。そして、彼女は

善行を為した上に、さらに善行を重ねたいと願った。

何かよいことを考えたり、よいことをしようする者は、

彼女を手本として頼まねばならない。そして、

彼らが示す立派な行いはすべて、

彼女が考えたり、行ったことの一つであって、

それよりは劣る新版に過ぎないことを認めねばならない。

彼女は、天国について学ぶ技術においては、

この地上ですでに完成の域に達していたので、

彼女が天国にやってきてからも、

(より美しい印刷であったが)同じものを読むだけだった。

彼女は、このような重荷のすべてに満足することなく、

(というのは、そのように多くの知識は、他の人にとっては

重荷であっても、彼女には安定させるものであったからである)、

完成を得るためというより、完成を楽しむために逝ってしまった。

そして、我々に彼女を追って来るように呼びかけ、

我々の最高に価値ある本(彼女自身のことであるが)を持ち去ってしまった。

私の魂よ、この恍惚感と、

自分がどうなるのかという瞑想から我に返って、

この世のことをあれこれと考えてはならない。この世でおまえが

どんな人間と交わることになるのかをまず明らかにするのだ。

おまえはどういう人間とつきあうつもりか。

どんな地位の者を選べば、悪い影響を免れ、

彼らの罪を受けることもなく、おまえの罪も移さずに済むか。

おまえはきっと、怠け者の神学者が、海綿のように、

偉大な人物の教えを吸い込んでは自分のもののようにして、

それを神の教えとして、吐き出すのを見るだろう。

宮廷を例にとれば(宮廷ほど

その例に相応しいものはない)、

どんな中傷者の智恵や言葉も及ばないほどの、

邪まな行いが横行している。

その毒は全身を駆け巡り、特に、

体の最も大切な部分を犯すだけでなく、その効き目は、

爪や、髪の毛、さらには排泄物にまで現れている。

同じように、罪の毒は最も身分の低い者にまで及ぶ。

高く、高く昇れ、私のまどろむ魂よ、天国では、新たな耳で、

不協和音のない天使の歌声を聞くことができるだろう。

天国では、祝福された母なる乙女が、

人々が語っていた存在とは違う喜びにひたっている。

彼女は、キリストの母であるからというより、

立派な女性であることで賞賛されている。

かの族長たちのもとへと、高く昇れ。彼らは

キリストと共に居る間より、待つことの方が久しかった。

かの預言者たちのもとへと、高く昇れ。彼らは

今は自分たちの予言が実現し、歴史となったことを喜んでいる。

かの使徒たちのもとへと、高く昇れ。彼らは勇敢にも、

太陽よりも明るい光りを掲げて、太陽の進むところをあまねく巡った。

かの殉教者たちへのもとへと、高く昇れ。彼らは静かに血を流し、

使徒の燈明には聖油を、使徒が蒔いた種には雨を注ぐ。

かの乙女たちのもとへと、高く昇れ。彼女たちは、

我が身を神殿として誰かに捧げれば、

聖霊と同居人になれるかも知れないと考えた。

高く、高く昇れ。そこには彼女が天国の一員としているのだから。

彼女は、天国の人々の位階に、

(彼らの数だけ)新たな等級を加えた。

彼女は、彼女自身が国家であったので、

国家の持つあらゆる大権を享受することができた。

彼女は戦っては勝利を収めた。理性は常に、

彼女の欲望を抑えるのではなく、矯正した。

彼女は平和をもたらした。どこにも例のない平和、

すなわち、美と貞節が口づけを交わしたのだ。

彼女は厳しく正義を行った。少しでも

反抗的な思い上がりを目にすると、直ちに磔の刑にした。

また、彼女はそれとともに恩赦も行った。自分を除いて、

誰に対しても惜しみなく赦しを与えた。

彼女は金貨を鋳造した。金貨に刻まれた彼女の刻印が、

我々のすべての行為に対して、その金貨が持つすべての価値を与えてくれた。

彼女は逮捕から免れる保護令状を与えた。彼女の胸にある思いは、

悪魔に仕える乱暴な役人も逮捕することができなかった。

これらの大権を一身に持っていたので、

彼女は絶対的君主であったし、さらには信仰が

彼女を教会にした。これらの二つが彼女を一つにした。

この一切合切であった彼女は、付き合う仲間によって

堕落することはなかった、(というのは、彼女はつねに、

この世のすべての悪に対する解毒剤であったから)、

そのような彼女がこの世を捨て、死によって、永遠に

生きることになったのだ。その彼女がいるところに

到達しようと努力しない者は、天国に

付随的な喜びがあることを知らないのだ。

だが私の魂よ、しばし待て。付随的な喜びの前に

本質的な喜びを知らなくてはならない。

いかなる場合も、従犯者を裁判にかける前に、

主犯を先に裁かなくてはならない。

では、この地上にはどのような本質的な喜びが

あるだろうか。変化してやまない原因に、

永遠に変わらぬ結果などあり得るだろうか。おまえは美を

愛しているとでもいうのか。(美は人の心を動かす最も尊いものである)

騙すつもりで騙された哀れな者よ、愛し始めた

彼女も、おまえも、そのどちらも今はいない。

二人はともに流体であり、昨日とは別人である。

前日の死は(病気だったに過ぎず)、翌日には回復する。

(川の名前は変わらなくても)、

昨日流れた水は、今日の水と同じではない。

同じように、彼女の顔も、おまえの目も流れていく。

変わらぬ愛を誓いあった聖者と巡礼注:18も、今はもう

二人ともいない。お前がいつまでも変わらぬと

思っている間に、刻々と変化しているのだ。

名誉というものは我々の愛を必要とするものらしい。

というのは、神は長い間この名誉を受けることなく

天上に住んでおられたが、それでも名誉を愛していたので、

ついには、神は自分に名誉を注ぐ生物を

造られたからである。神はそれを必要としたのではなく、

ただ、人間を神の手にふさわしいものにするためであった。

しかし、名誉とはすべからく下位の者から生じるもの、

(なぜなら、下の者が名誉を与えるのであって、君主はただ、

名誉を授けたいと思う者に対してそれを示すだけだから)、

そしてこの名誉は、人々の評判や、本人の能力から築かれるものであり、

上がりもすれば下がりもするし、大きくもなれば小さくもなる。

悲しいことには、それは偶発的な幸福でしかない。

人は自分の心を落ち着かせるために、

これこそ、或いはそれこそが幸福であると考えただけで、

それ以外は、運の悪い人生を選んだ別の者が、

その道を選んだことで自分を愚か者だと考えるだけではないか。

バベルの塔を築くために骨折った人たちは、

その目的を果たすために、世界中を隈なく探しても、

それに必要な材料を十分に見つけ出すことは

できないと考えたに違いない。

それにこの地球は、そのような建物を建てるには、

基礎があまりにも小さ過ぎた。

同じように、あらゆる手段をもってしても、この世は

真の喜びを築くための基礎を提供することはできない。

だが、異教徒は一人の神が与えるすべての恩恵、すべての罰に対して、

それぞれに神を造り出したので、

(例えば、葡萄酒も、穀物も、玉葱も、彼らにとって

神であり、瘧や戦争も同様であった)

また、すべての高価な黄金を、

価値の低い銅貨に変えてしまうことと同じように、彼らは昔ながらの神、

唯一の神を失ったのだ。神は、大勢のものではなく、

一人であるものとして求めねばならない。

同じように多くの人が真の幸福を誤解している。

多くの喜びを作る人は、喜びを知らない。

だから、魂よ、もう一度最初の高さまで舞い上がれ。

知っての通り、直径はすべて円の内側にあって、

円の中心には一度しか触れないが、円周には

二度触れる。おまえもそうあるべきだ。

この世のことを考えるたびに、その倍だけ天国のことを考えるのだ。

それだけでは役に立たない。神の姿を目にした者だけが、

神の姿を完全に思い描くことができる。

なぜなら、神は見る対象であるとともに、智恵そのものでもあるからだ。

これこそ本質的な喜びであり、そのことで、

神も、我々も損じることはない。

この喜びこそ、満ち足りて、満たす善である。

もしも天使たちが一度でも神を見上げていたなら、堕ちることはなかっただろう。注:19

その天使たちの一人、或いは何人かの空席を満たすために、

我々が祝福する彼女は、先に逝ってしまった。

彼女は、この世にいる時から多くの本質的な喜びを得ていたので、

どんな不幸も、彼女を損なうことも、破滅させることもできなかった。

彼女は、神のそばにいたので、

(神の話を聞き、神に語りかけることができた)

偶像となったときよりも、自然の石や、木の中に、

神の顔をよく見ることができた。

彼女は熱心に祈りを捧げることで、

彼女の心の中で神の姿を元の形に修復したが、

神の姿の腐敗が進んだのは、

彼女の最初の両親注:20の罪のためであって、彼女の罪ではなかった。

彼女は何か証文に署名を要請されるようなとき、

いつも、前世の契約を守るようにという神の声を聞いた。

彼女は厚い信仰によって、この世では

神と婚約していて、今は天国で結婚している。

彼女の黄昏は、我々の真昼よりも明るく輝いていた。

大方の人の祈りより、眠っている彼女の信仰の方が深かった。

彼女は、この世で恩寵に満たされていたが、それでもなお、

さらなる恩寵と、それを受ける能力をもっと増やそうと

努力して、天国へと逝ってしまった。

彼女は、この世をある程度まで

天国にし、我々全員にとって、この世での

(我々の喜びがこの世で許される限り)本質的な喜びとなった。

だが、低俗なこの世が本質的な喜びに触れることができたにしても、

天国の付随的な喜びの方がはるかに勝るだろう。

我々の偶発的な喜びなど、貧相なものに過ぎない。

仮に、おまえの君主が臣下たちにおまえのことを

「閣下」と呼ばせて、おまえがそのことで得意になるようなら、

おまえは偉くなったつもりでも、卑小な人物になり下がるのだ。

どの医者も回復の見込みがないと匙を投げているとき、

嬉しいことに、偶発的な暴発で

おまえの胸の危険な膿腫が破れ、助かるかもしれない。

だが、そのことを喜んでいる間に、その危険な残余物が

嚢を突き破って、おまえの息の根を止めてしまうかもしれない。

どんな時にも、偶発的なものは常に偶然でしかない。

その性質を変えるものは何か、また、

偶然に変わった物を確実なものにするものは何か。

すべての偶発的な喜びが声を大にして言うのは、

やってくるものは必ず去っていくと。

天国においてのみ、喜びの力は尽きることなく、

付随的なものも永続的なものとなる。

魂が天国に到着した喜びは決して消えることがない。

なぜなら、魂は永遠の喜びを得て、永遠に留まるからである。

最後の偉大な完成である復活が

近づいていることを喜ぶがいい。

その時がくれば、この世にある肉体は、

堕落した天使たちよりも、神聖なものとなる。

この種の喜びは、日々、

成長することはあっても、失うことはない。

この新鮮な喜びにおいて、彼女の役割は小さくはない。

その彼女の善良さに位階をつけることほど、

彼女を傷つけることはない。(最高といったところで無意味である。

その実体は他のものと比較にはならないのだから)

肉体を残していった彼女は、天国で初めて、

どうしたらそれをよりよきものにすることができるかを

学ぶことができた。というのは、彼女は二つの魂であったから、

或いは、両面にぎっしりと文字が書かれた巻紙のようなものであった。

目は、表面しか読むことができなくても、

心の内では、神の記録をしっかりと読むことができた。

彼女は、完全な上にもなおも完全となることで、

円を完成させ注:21、それをいつまでも崩さず、

天国に望まれ、天国を望んで逝ってしまった彼女、

そこで彼女は新たなものを受けるとともに、与えた。

この土地では、誤った信仰で注:22

多くの信者たちが聖者に信仰を捧げているが、その聖者たちの名前は

昔の教会も知らなかったし、天国でもまだ知られていない。

それにここでは、詩の法則が

宗教の掟と少なくとも同じだけ認められているので、

永遠の乙女よ、私があなたの名前を讃えることも許されよう。

聖者の誰かが私にその気にさせることができるとすれば、

まずあなたが私をフランスの改宗者にするだろう。

だが、あなたはそれを望まないだろう。また、私の二年目の年貢である

この詩を受け取ることにも満足しないだろう。

もしも、私にこの詩を書かせる力をあなたに与えた

神以外の別の姿がこの貨幣に刻まれているとすれば。

神の意志は、後世のものに対し、

あなたが生と死の両面において手本となって、

世間の人にこのことを知らしめることにあったので、

その意図と権限を与えることが神の意志であった。

あなたは神の宣言文であり、私は

それを伝えるラッパ手に過ぎず注:23、人々はその音を聞いてやって来た。

 

【訳注】

注:1  『創世記』1章に、神が太陽と月が造ったのは天地創造の四日目であると記されている。

注:2  「ヴェニテ」は、『詩編』95章および96章の、朝の祈りの頌歌として用いる曲。

注:3  「星で満ちた北極」とは、北半球が南半球より星が多いと信じられていたから。

注:4  ここに「小節」と訳した語は、正確には17世紀の英国の音楽の「ディヴィジョン」で、定旋律または通奏低音を細かい装飾で即興的に細分化する変奏的技法のこと。

注:5  聖ルーシーは、キリスト教徒の殉教者で、その祝日は12月13日で、一年のうちで最も夜が長い日である。

注:6  『マタイによる福音書』11章12節に、「彼(洗礼者ヨハネ)が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」とある。

注:7  「二つの魂」とは、植物における成長の魂と、動物における感覚の魂である。人間に備わった理性の魂は、その二つの魂を組み入れたものである。

注:8  「この固まったミルク」は、『ヨブ記』10章10−12節に「あなたはわたしを乳のように注ぎ出し、チーズのように固め、骨と筋を編み合わせ、それに皮と肉を着せてくださった」とある。

注:9  「牢獄」は肉体を意味し、魂が肉体のなかに閉じ込められることを比喩する。

注:10  百の目を持つアルゴスは、神々の使者であるヘルメス(メルクリウス)の魔法によって眠らされて殺される。原文のメルクリウス(Mercury)は、惑星の名とギリシア神話の人物名に多義的に用いられているが、ここでは水星で訳出した。ギリシア神話のヘルメスはローマのメルクリウスに同じ。

注:11  火星は、ローマ神話では軍神マルスのこと。

注:12  「その父親である」とは、木星はローマ神話のジュピターで、ジュピターの父親サトゥルヌスは、土星のことである。

注:13 「長くて短い」とは、空間的距離の長さと、時間的な短さのこと。

注:14  琥珀金は、金と銀との合金。

注:15  「牢獄の牢獄」とは、魂の牢獄が肉体であり、その肉体の牢獄がこの世である。

注:16  「中を通り抜ける」とは、アリストテレスの物質混合の説に対して、一つの物質に他の物質が浸透するというストア哲学の説による考え。

注:17  爪や髪の毛は有機体であるのか、それとも物質の排泄物であるのかが当時議論されていた。

注:18  聖者と巡礼は、ペトラルカ風の恋人同士で、恋する女性を聖者と呼び、自分を巡礼と呼ぶ。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のキャピュレット家の舞踏会で、ロミオとジュリエットが交わす会話にも出てくる(1幕5場94-98行)。

注:19  天使が堕ちたのは、造られたときから神を見上げることなく、自分たちしか見なかったからだと、伝統的に考えられていた。

注:20  最初の両親とは、アダムとエヴァのこと。

注:21 円は、完全なるものの象徴。

注:22 この詩を書いているダンは今、ローマカトリック教を信仰するフランスにエリザベスの両親ドルリー家と一緒に滞在している。

注:23 ラッパ手は、主のラッパ手と考えられていた。(『士師記』6章34節、『エゼキエル書』33章3節等参照)

 

 

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ジョン・ダン全詩集訳 挽歌と葬送歌