あのような客人を墓石に委ね、
大理石の石室に閉じ込めようとすることは無益なことだ。
ああ、大理石や、黒玉や、斑石は、
彼女の二つの瞳の緑色の宝石と較べれば、
また、彼女が身に付けていた真珠や紅玉に較べれば、いかほどの値打もない。
東西のインドを一つの墓にしたところで、それはガラスに過ぎない。
万物と比較すれば、彼女を形成する材料は、
その一つ一つが、エスコリアル宮殿(注:1)の十倍にも勝る。
そのような彼女が崩壊した。そのような彼女を、
人の手からなる作品や、人の頭脳からなる作品に納めることなどできない。
この追悼文は、彼女の名前によって生きなければ紙屑に過ぎないのに、
その彼女の名前に命を与えることができるだろうか。
ああ、彼女を魂としないこれらの死骸でしかない詩は、
病気となって早死にするか、流産するがいい。
彼女はもはや彼女であることを望まず、彼女にとって
この世は仮の住まいであったのに、紙屑に包まれることに
身を屈するであろうか。またあのような館に
住もうとしなかった彼女が、挽歌のなかに留まるであろうか。
だが、それは大した問題ではない。今では、この世が続く限り、
我々は詩を生き続けさせることができる。
彼女の死がこの世に傷を与えた。この世は、
腕には王侯、頭には顧問官、
舌には弁護士、心臓には聖職者、さらには、
胃袋には金持ち、背中には貧乏人を抱え、
手には役人、足には商人たちがいるが、
その足のおかげで、遠く離れた国々が出会うことができる。
この世という楽器の調子を整える
美しい霊は、奇跡と愛を産み出す
人のことであり、それが彼女であった。その彼女が
死んでしまったので、この世は老いさらばえるしかない。
死は常に勝利を求めて進むので、
彼女が死んだいま、死に残された殺すべきものは、
彼女と同じ大きさのこの世だけしかない。
こうして自然の女神は敢然と自信を持つことができたので、
死は二度とあのような打撃を加えることができない。なぜなら、
自然の女神にもあのような彼女を二度と造り出すことができないのだから。
だが、彼女は死んだ、と我々は言わなければならないのか。
バラバラに分解された時計は、
壊れているのではなく、修理する人の手で
磨かれ、再び組み立てられると、正確に動き出すものだ。
また、アフリカのニジェール川は、
大地の胎内を流れた後、地表に現れるが、
(最初に天然の橋を架け、その上を何マイルも
進んだ後)以前よりはるかに大きな川になると言われている。(注:2)
それと同じように、彼女の墓は、彼女をこれまでより
ずっと偉大で、純粋で、不動なものにすると言えないだろうか。
天はそう言って喜ぶことができるが、彼女を欠いて
生き残っている我々に、この世でその利益を目にすることができるだろうか。
ああ、普通の天使が座天使や智天使の位に昇りつめたところで、(注:3)
我々にとってそれが何の関係があるだろうか。
我々はそれで損をするだけだ。(注:4)老いたものが
味覚を失って喜ぶのは、昔味わった喜びにひたることができるからである。
同じように、病んで飢えたこの世は、今は亡き彼女を
持っていた我々の喜びを、味わうべきだろう。
だから、自然の女神も、この世も喜ぶがいい、おまえたちは、
おまえたちの活力や精力をなくそうと急いでやってくる
最後の大火災(注:5)を恐れ、それが尽きる前に、
賢明にも一人のものにすべてを与えた。
そのものの清らかな身体が、純粋で、透明であったのは、
内に秘めた思いを隠す必要がなかったからである。
それは彼女の心を包む薄く透き通ったスカーフのような、
あるいは、彼女の魂から発散される呼気のようであった。
彼女こそ、内気な者でも誰もが賛辞するのを惜しまない人、
十分な価値ある人なら誰もがそうありたいと思うような人であった。
新たな教会が建てられると、聖者たちが、
自分にこそ捧げてほしいと競い合う。
だが、天が新しい眼で我々を見つめる時、
その新しい星は天文学者たちを悩まし、
それらをどの位置に定めればよいのか分からず、
論争するが、決着がつかないうちに、その新しい星が消えてしまう。
そのように、この世が、この作品が誰のものであるかと思いを巡らすうちに、
彼女は誰のものでもなくなり、彼女でもなくなる。
いつまでも永らえるより、バルサムの灯明のように、
飾り物となることを望み、処女の純潔の白衣のまま、
彼女はすぐに逝ってしまった。その訳は、
結婚は汚すことはなくても、色を染めるからであった。
女性につきものの病を逃れるため、
彼女は、女になる前に逝ってしまった。
この世の雑音を乗り越えるため、
眠りを誘う阿片のかわりに死を選んだのだった。
死ぬことも、死を選ぶこともできなかったけれども、
彼女は、かくも長い恍惚に身を任せたのだ。
彼女の悲しい物語を知らない者が、
運命の書物を読むことがあれば、
彼女が、いかに美しく、貞節で、慎ましく、気高くあったか、
十五歳にもならないうちに、多くを約束され、多くのことを為したことを知り、
過去の事柄で未来の事を推し測れるのではないかと、
その本の頁をめくるが、何も書かれていないので、
運命が間違いを犯したのか、それとも、
その本の何頁かが切り取られたのではないかと疑うだろう。
だが、そうではなく、運命の女神は、彼女が
ものの分別がつくまでは案内役を務めたが、その後は
彼女の運命を彼女自身に任せたのだ。こうして得た自由を、
このためにだけ使い、こうして死ぬことを選んだのだ。
彼女の慎ましさが、運命と
同等の権限者であることを許さず、
死ぬより他になかった。彼女の死後、
真の善をあえて選ぶものがいるとすれば、
そのような人はみな、彼女の運命であった仕事を
成し遂げるための彼女の代理人である。
彼らこそ、運命の書物の空白を埋めて、
運命の女神と彼女から感謝を受ける者たちである。
未来においては、徳高い行いは遺産であり、
彼女を手本にして生まれた贈り物である。
そして、彼女の役割をこの世においてりっぱに演じるのを
見ることができるのは、天における霊的な喜びの一部である。
【訳注】
注:1 エスコリアル宮殿は、スペインのマドリード近郊にある世界でも最も大きくて美しい宮殿の一つで、フィリペ2世によって1563年から1584年にかけて建てられた。
注:2 16世紀の人々は、ニジェール川はナイル川の上流の川で、その一部は地上を流れ、一部は地下を流れていると信じていた。
注:3 天使の階級は9つあり、普通の天使が最下位で、座天使は3番目、智天使は2番目に位する。
注:4 「我々はそれで損をする」というのは、普通の天使は人間のことに注意を払うが、座天使や智天使は神に仕え、神のことを思うだけだからである。
注:5 最後の大火災は、最後の審判のときに起こると予測されていた火災のこと。
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