この世の解剖 −一周忌の歌− ジョン・ダンの部屋へへ

 

あの豊かな魂がもとの天国へと帰っていくとき、

魂を持っている者ならば誰もがみなそれを讃える。

(価値を見出し、判断し、それに従った行動によって、

魂を讃美しないようであれば、

誰が魂を持っていると確信できよう。そうしない者の魂は、

居候の身か、自分の魂を持たない者だ)

あの女王の魂がこの世の御幸を終え、

彼女の終(つい)の住処(すみか)である天国へと昇って行ったとき、

そこでは、彼女は聖者たちを長く待たせるのを遠慮し、

すぐに聖歌隊と歌の一部となったが、

この世は、大地震で衰退してしまった。

というのは、この世も同様に血涙を湯桶に流し、

最も強い生命力がこの世から抜け出したからだ。

だが、そのときこの世が当惑した懐疑によって救われたのは、

そのことで損をしたのか、得をしたのか分からなかったからである。

(なぜなら、いまでは彼女を見るには

善を用いる以外に方法はないので、彼女を見たいと思うものは、

誰もが彼女のように善良であることに努めねばならないからだ)

この衰弱させる大病に、熱病がとって変わり、

この世は発作を起こし、喜んでは、悲しんだ。

瘧(おこり)は病に効く治療薬だと思って、

瘧が治まると治療をやめてしまう人がいるように、

病めるこの世よ、おまえは思い違いをしている、

悲しいかな、おまえは実は昏睡状態にあるのだ。

彼女の死でおまえは傷つき、弱まったが、むしろ、

太陽か、人類を失った方がまだよかった。

その傷は深かったが、もっと惨めだったのは、

おまえが感覚と記憶を失くしたことだった。

おまえの悲しみの声を聞くのは辛かったが、

もっと辛いのは、おまえが言葉を失くしたことだった。

おまえは自分が持っていた名前を忘れてしまった。おまえは

彼女そのものであったのに、彼女に先立たれた。

赤ん坊が、長い間待たされて、王様がやってきて

洗礼式に臨むまでは洗礼を受けられないのと同じように、

彼女がやってきて、おまえを彼女の宮殿にするまでは、

おまえは名前のないままだった。

彼女の名前がおまえを定義付け、形相と骨組みを与えたが、

おまえは自分の名前を祝福するのを忘れた。

彼女が亡くなって幾月かが過ぎた(しかし、死ねば

時間は停止し、測ることはできない)。

だが、彼女が去ってから長い、長い時が過ぎたのに、

亡くなった人が誰であるのか、言い出す者すらいない。

しかし、将来の世継ぎが決まっていない国家では、

現在の王様が不治の病に冒されているとき、

人々は、王様が危篤であるとか、

亡くなられたと言うのを憚るものだ。

人類がすべて雪解けのように消えるのを感じ、

法律にも匹敵する彼女という見本がなくなり、

すべての美徳をまとめて固く結びつけていた

接着剤が、いまは緩んで溶けてしまったが、

彼女が亡くなったと言うのは神への冒涜だと人々は思った。

またそんなことを告白すれば我々の弱点を

さらけ出すことになると考えた。だから

口先だけで、あの魂が去ったことを嘆いたのだった。

だがおまえを救うには手遅れだ、病める世界よ、

実(げ)にもおまえは死んでおり、腐敗している。

おまえの香油であり、防腐剤である彼女は

生き返ることがないのだから、おまえは生きることができない。

だから、私は(誰もおまえを生かすことができないので)

おまえを解剖することで、何が得られるかを試そうと思う。

彼女が死という高い犠牲を払って我々に教えてくれたのは、

おまえの最も純粋な部分ですら、腐敗し、死すべき運命にあるということだった。

この世そのものが死んでいるので、

この世の疾患を発見したところで、

この解剖から学ぶ者などひとりも生きていないのだから、 

そんなことは無駄骨だと、誰にも言わせてはならない。

というのは、ある種の世界はまだ生き残っているからだ。

この世を満たしていた彼女は

去って行ったが、この長い最後の夜、

彼女の霊は歩いている。ほのかに揺らめく光、

美徳と善を愛するかすかな光が、

彼女の価値を知る人々を、照らしている。

彼女はすべての光を自分のなかに閉じ込めてしまったが、

彼女を記憶している余光は残っている。

その余光が、旧世界の亡骸から自由となって、

新世界を創造する。そして、新しい生物が

産み出される。その中身と素材になるものは、

彼女の美徳であり、我々の行いがその形相となる。

このようなものから構成される生物は、

生得の固有な害悪から武装して身を守っている。

(このような威厳を与えられているものはすべて、

雑草の生えない楽園となって、

外から蛇が侵入してくることはあっても、

自らは毒のような罪悪を産み出すことはない)

だが、最強のものも外から襲う嵐に倒れることもあれば、

自信がなくなれば強さも弱体化するので、

旧世界の危険と病気を教えることで、

この新世界をより安全にすることができるようになる。

というのも、自分の分際を弁えておれば、節度を持って

物事を望んだり、差し控えたりすることができるだろうから。

健康というものはない。医者に言わせれば、我々が

絶好調のときですら、健康でもなく病気でもないという。

我々は健康でもなく、健康になることもできない

と知ることほど、ひどい病気はないのではないか。

我々は破滅に向かって生まれてくる。哀れ母親は、

赤ん坊が、頭から先に生まれるという

不吉な前兆の落下の出生でなければ、

無事、正常に生まれないことを嘆くのだ。

なんと悪賢い破滅であることか。人類にとって

なんとやっかいなことか。それは神の目的ですら

阻む働きをし、本来は男の慰めとして造られた女が、

男を衰弱させる原因となっている。

女は良い目的のために造られた。それはいまも変わりないが、

善行に対しては共犯者でしかないのに、悪事を働くことにかけては首謀者である。

あの最初の結婚が我々の葬式となった。注:1

一人の女の一撃で、男は皆殺しにされた。

そして今もなお、女は男を一人一人、殺している。

我々男は、嬉々として、あの精力の消耗に

身を任せている。そして盲目的に

我が身を殺し、我々の種族を増やそうとする。

だが、それはうまくいかない。我々は昔の我々ではないのだ。

いまではかつての人類はいない。

(この世の共同借家人であった)太陽と人類が、

どちらが長生きするか競っていたときには、

長生きすると言われていた鹿や、大烏、長寿の木も、注:2

人類に較べれば、短い寿命だった。

当時は、たとえ歩みののろい星が観察者の目を逃れて

こっそりと消えても、彼は長生きをして、

その星が再び現れるまで、二百年、三百年と待ち続け、

彼の観察を全うすることができた。

その頃は、寿命が長いだけでなく、体格も大きかった。

人は食べただけ成長して、食物に報いた。

身体が大きく、広大になったので、すべての魂が、

立派な王国や、広大な領土を支配することになった。

それに、その頃は背筋もまっすぐ伸びていたので、

魂は天に向かって正しい方向に向いていた。

その人類はいまどこに行った?誰が、

メトシェラの近習となるにふさわしく長生きするのか。注:3

悲しいことに、我々は新しく作られた時計が、

正確であるかどうか確認できるまで、長生きできない。

老いた祖父たちは悲しみをもって昨日を語り、

我々は子供たちのために明日を残さねばならない。

人生は短く、百姓たちはみな、あくせくと働き、

三世代が暮らせるようにと注:4、荒れ屋に住み、畑を耕す。

寿命が短くなっただけでなく、背丈も縮んで、

かつては一尺あったものが、いまでは一寸となった。

初めの頃は、たとえ森でさ迷い、

海で遭難して、象や鯨に出くわそうとも、

同じ大きさをした人間を、

急に襲ってくることはないと、

賭けをすることができたものだった。

それが今では悲しいことに、妖精や小人の方が

信じるに足るものとなった。人間の衰退はかくも早く、

我々の存在は正午の父親の影ほどの長さもない。

死だけが我々の背丈を伸ばしてくれる。我々が

大人の背丈になるのは、無と帰すときである。

だが、このことはたいしたことではない。薄くなった書物が

昔の書物の中身を全部収めることができ、あるいは銀を黄金に

変えることができ、あるいは拡散してしまった美徳のエキスを

小さなガラス瓶に集約することができるのなら。

だが、そうではない。我々は凝縮したのではなく、退化したのだ。

肉体も、精神も、窮屈になっている。

縮まったのは、目を詰めて織ったからではなく、

精神も肉体も、ともに小人化したのである。

我々は神の仕事をすべて台無しにする野望を抱いているようだ。

神は無から我々を造ったが、我々もまた、

自分たちを無に戻そうと努めている。そして、我々は

できることは何でもやり、神と同じように迅速にやろうとする。

我々は、我が身を攻める新しい病気と戦うだけでなく、注:5

その病気よりはるかに恐ろしい責め道具の新薬と戦っている。注:6

人間は、この世における皇帝の代理であり、注:7

すべての能力、すべての美徳を備えている。

それが他の動物にも見受けられるとしたら、

それは人間の公使、あるいは使節として、

彼らの野性本能を懐柔して飼いならし、

人間の役に立つようにするためのものである。

神は人間を愛していたので、天国に昇ってくるまで

待ち切れず、自ら降りてきた。

人間は、万物が彼のものであるほど偉大であるのに、

なんと卑小で、哀れな存在となったものか。

かつて人間はなにかであったとしても、いまは無である。

救済や、死を前にしての時間がありさえすれば、

他のものはなくとも許しもされるが、我々がその死を悼む

彼女が去ったとき、人間は心臓を失ったのだ。

175古代の人々がその到来を予言した彼女は、

美徳を女性の名前で呼んでいた頃の彼女であり、注:8

彼女のなかで美徳はさらに純化されたので、

その純粋な心に混ぜものをして合金にする必要があった。注:9

彼女が弱い女性となって、

有害な色素やエヴァの汚れを、

自分の思考や行為から追い払い、すべてを浄化

することができたのは、真の宗教的錬金術によるものだ。

その彼女、その彼女が死んだ。彼女は死んだ。そのことを知ったおまえは、

人間とはなんと取るに足らぬものであるかと悟ったはずだ。

そして我々の解剖から、おまえは、

心臓が死んでしまえば、他の部分も死を免れないと学んだはずだ。

だから(デザートとしてではなく)主食として、

超自然な食べ物、宗教を食べることなくしては、

それ以上成長することはなく、痩せ衰えることになる。

人間以上のものにならなければ、おまえは蟻以下だ。

そのうえ、人間と同様に、この世全体の骨格の

関節がはずれ、片輪に生まれつくことになる。

それは、神がすべてを完成する前に、

腐敗が侵入して、最良のものを奪ったからだ。

腐敗が天使を襲い、つぎに何よりも先に、

この世が揺籃のなかで転げ落ち、

頭がひっくり返って大怪我をしたので、

宇宙の骨組みの関節がバラバラに外れたのだ。

最初にその影響を受けたのは、最も気高い人間だった。

つぎに、動物と植物が、その人間の呪いを受けた。

このようにこの世は生まれた瞬間から衰退を始めた。

黄昏時が一日の始まりで、

いま我々が目にしている春と夏は、

五十を過ぎた女から生まれた子供のようだ。

新しい学問はあらゆるものを疑い、注:10

火の元素はまったく消え去った。注:11

太陽は失われ、地球は、どんな賢い人でも、注:12

どこを探せば見つけることができるのか分からない。

人々はめいめい、この世は終わりだと言っている。

惑星や天空に、次から次へと

新しい星が現れるからだ。人々は、この世が

砕け散って、再び元素に戻るのを感じている。

すべてがバラバラになり、すべての統一がなくなった。

あらゆる相互扶助、あらゆる関係もなくなった。

王様も、臣下も、父親も、息子も、忘れられた存在となった。

すべての人が、自分だけが

不死鳥になったと思い、自分のほかには

同じ種族がいるはずはないと信じている。

これが今の世のありさまである。そしていま、

すべての部分を再び結び合わせようとした彼女、

その彼女だけが、あらゆるものを引きつける磁力をもっていて、

バラバラになった部分を一つにまとめることができた。

あらゆる種類の人々が

この世の大海の航海で迷っているのを見て、

彼らを導く新しい羅針盤が必要だと思ったときに、

賢い自然が造り出した、あの彼女、

最高の女性であった彼女は、すべての美しい模造品の

最初の原型であり、神意を司る

総支配人だった。彼女のふくよかな瞳や胸は、

西インド諸島を金色にし、東インドに馥郁たる香りを与えた。

彼女がこの世で吐き出す息が、

これらの島に香辛料を育て、常に芳しい匂いをさせた。

また、黄金を埋蔵する豊かなインドは、

彼女が造り出した小銭に過ぎない。

彼女に較べれば、この世は

郊外であり、彼女を縮小した小宇宙でしかない。

その彼女、その彼女が死んだ。彼女は死んだ。そのことを知ったおまえは、

この世が肢体不自由な片輪なったことを悟ったはずだ。

そして我々の解剖から、おまえは、

この世の普遍的な病気が、特定の体液や、注:13

ある一つの部分に宿るのではないということを学んだはずだ。

だが、おまえはこの世の心臓部が腐っていることで見たように、

物質全体を襲う消耗性の高熱は、

抑えることのできないものであり、

残された方法はただ一つしかなく、

この世の感染病を受け入れず、それに関わらないことだ。

というのは、この世の最も敏感な非物質的な部分は、

この消耗性の傷や、老化の投げ矢が襲うのを感じているからだ。

それに、この世の美が朽ち果て、消え去ったからでもある。

美とは、色彩であり、均整のことだ。

我々は、天体がその球体を享受し、

その丸い均整がすべてを抱合していると思っている。

ところが、さまざまな時代に観察された

種々雑多の複雑な軌道が、人々に

中心が異なる部分を数多く発見するように仕向ける。

それは、さまざまな垂直線であったり、斜行線であったり、

純粋な形を不均衡にするものである。

天空は四十八の部分に分割され、注:14

それらの星座のなかで、新星が出現しては、

古い星が我々の視界から消えていく。

天が地震に襲われたかのように、平和や戦争を問わず、

古い建物が壊されては、新しい塔が建つ。

人々は黄道帯に、本来自由であるはずの

太陽を囲い込み、十二宮に太陽の運行の

寝ずの番をさせた。山羊座と蟹座が制御して、注:15

太陽を引き戻すが、そうしなかったら(つまり至天が太陽を拘束しなければ)、注:16

北極か南極に向かって走り出しただろう。

というのは、太陽の進路は弧を描かず、

完全な円でもなく、真っ直ぐに進むことも

できないからである。今日昇ったところに

戻ってくることはなく、人の目を欺き、

こっそりと別の場所に現れる。まるで蛇のようである。

このようによろめいて歩くことに疲れたと見え、

今や我々の近くに落ちてきて、眠りに就こうとしている。

そういう訳で、今もなお円を描いて走ることを自慢している星も、

一つとして元のところに戻ることはないのだ。

すべての均整が崩れ、凹み、或いは膨らんだ。

人々は緯度や経度を使って、

網を編み上げ、その網を天空に投げ、

星たちを自分のものにした。

丘に登ることも、天国に行く労力も

厭い、天国のほうを我々に近づかせようとする。

我々は、星に拍車をかけ、手綱を引き締め、

星は、我々の好き勝手な命令に従って動く。

だが、地球はいまでも丸い均整を保っているか。

テネリフェや、それよりももっと高い山が注:17

岩のように聳えているので、空をゆく月が

そこで座礁し、沈んでしまうと思っている。

海はあまりにも深いので、今日打たれた鯨は、

たぶん、明日になればその目的地である海底にとどく前に、

道半ばにして死んでしまうだろう。

水深を測ろうと、人は限りなく糸を繰り出し、

ついにはそれが地球の反対側に辿り着き、その先端に、

そこの住人が顔を出すのではないかと思われるほどだ。

地球の中心に地獄の空洞があるとすれば、

(我々が新たな拷問を考え出し、

狭くて熱い部屋に、何百万人もの人々を押し込めない限り、

それは充分な広さがある)

地球は、固くもなく、丸くもないのだ。

これらは地球の顔にできたあばたに過ぎないのか。

そう思いたければ、それでもいい。だが、この

地球の均整が崩れたことは認めざるを得まい。

この世が頼りとする二本の足、すなわち、

報酬と懲罰の均整が歪曲しているのだ。

最高の美である均整が死んでしまったことは、

もはや疑いのない事実である。

いまや我々に残された唯一のものである

悲しみでさえも均整を失っているのだから。

彼女こそ、均整がとれた線を証明する

すべての均整美の尺度であった。

魂は調和からなると考えた古代の人たちが、注:18

彼女を目にしていたら、彼女こそ

調和であると断言し、それを根拠に、

魂は、彼女から派生したものであるに過ぎず、

物体からその形相が我々の目に流れて来るように、注:19

魂は、彼女から我々の肉体に入って来たと推論したであろう。

方舟は人の姿形に似せて造られたという

かの偉大な博士たちの言ったことが正しければ、注:20

彼女こそ、その手本となっていたであろう。

彼女の手本というのは、相反する

元素や、感情が、彼女のなかで争うことなく平和に共存し、

彼女が、相次ぐ内乱を終結させたことである。

彼女が死んだ今、我々に見えるいかなる形相も、

不調和で、均整がぶざまに崩れている。

その彼女、その彼女が死んだ。彼女は死んだ。そのことを知ったおまえは、

この世がいかに醜い怪物であるかを悟ったはずだ。

そして我々の解剖から、おまえは、

おまえを魅了するものが何もないことを学んだはずだ。

また、我々の内面の部分の欠陥、

つまり、脳や心臓に生じる腐敗が、

我々の行動のもとの源泉を毒して、

我々を危険に陥らせるだけでなく、

賢者や、良き傍観者を納得させるために、

何事も、適切にかつ均整のとれた行動をしなければ、

(大部分の人が大方そのように考えるものだから)

その不行跡にむかつくようになる。

というのは、我々の行動は善にふさわしいものでなくてはならず、

無分別は悪にも等しいからだ。

だが、美の第二の要素ともいうべき

色彩や光沢も、今やほとんど失われている。

この世が今もなお均整を保ち、

円であるとしても、宝石は消えてしまった。

思いやりの深いトルコ石は、それを身に付けている人が

気分のよくない時には青白くなるように、

また、純金も水銀と交われば病に陥るように、

世界のすべての部分の顔色もそのようになる。

自然が最も忙しく働いていたとき、つまり最初の一週間、

生まれたての地球に産着を着せていたとき、神様は、

自然がときどき戯れたり、

毎日色を混ぜ合わせて、変化させて遊ぶのを好まれた。

それでも自然が為すことは十分ではないかのように、

神自ら、七色の虹を造って与えたのだった。

視覚は、すべての感覚のなかで最も尊いものであり、

視覚は、色彩のみを糧としているのに、

その色彩が衰えている。夏の衣裳は

色褪せ、何度も染め直した古着のようだ。

頬に広がる恥じらいの赤面は奥に引っ込み、注:21

我々の魂だけが赤く染まっている。

我々がその死を嘆き悲しんでいる彼女が生きておれば、

この世は回復していたかも知れない。

その彼女のなかには、白、赤、青のすべての色注:22

(それらは美の要素である)が、自発的に育っていて、

悩みを知らない楽園にいるようであった。

すべての草木の新鮮な緑や光沢は、彼女から得たものであり、

彼女を構成するものは、すべての色であり、かつ、

すべて透明であったので、奇跡であった。

(彼女と比較すれば、空気や火も、濁った物体に過ぎず、

鮮やかに輝く宝石も、どんよりと霞んだものでしかない)

その彼女、その彼女が死んだ。彼女は死んだ。そのことを知ったおまえは、

この世が、青ざめた亡霊であることを悟ったはずだ。

そして我々の解剖から、おまえは、

この世はおまえを楽しませるより、恐れさせるものであると学んだはずだ。

すべての美しい色彩が失われてしまった今では、

悪徳を見せかけの美しさで彩ることや、

買った紅白粉で男の感覚をごまかそうとするのは、

悪しき虚栄でしかないと考えるべきである。

この世の衰退を何にもまして表わすものは、

天が彼女の影響力を失っても平気であり、

四元素がそのことを感知しないことからも明らかである。

父なる天体と、母なる大地は不毛となってしまった。

雲は雨を孕まず、産み落とすべき時がきても、

香り漂う驟雨を降り注ぐことがない。

空気は、母鳥のように大地の上に座って、

四季を孵化することもなく、万物を産み出すこともない。

春の季節は、万物の揺籠であったが、今は墓場となって、

死産の妊娠がすべての子宮を満たしている。

空気は、誰も見たことがないような彗星群を見せるが、

それが何を意味し、何であるのかもわからない。

大地は、余りに多くの新しい蛇を産み出したので、

エジプトの魔術師たちを大いに困らせるほどだった。注:23

今の世に、天をここまで呼び寄せ、星座のもつ力を駆使する

ことができると誇れる占星術師がいるであろうか。

星座の星がもつ力を、

薬草や、呪文や、樹木に閉じ込めて、

軽く触れるだけで、星ができるすべてのことを為し得る者がいるだろうか。注:24

このような術は失われ、天と地の交流も絶えた。

それは、天の与えるものが少なく、地の得るものがわずかとなって、

人が天と地の交易と目的を知ることがなくなったからだ。

天と地の通商が妨げられることがなく、

両者の交通が忘れられてしまうことがなかったら、

我々がいまその死を嘆いている彼女は、

もっと完全に、力強く、我々に働きかけていただろう。

薬草や木の根は死んでもすべてを失うわけではなく、

灰になっても薬効があるように、

死もまた彼女の美徳を消してしまうことができないので、

(たとえ従わなくても)驚嘆するところとなるだろう。

そして、この世のすべては、一羽の死にゆく白鳥となって、注:25

最後を飾る別れの唄を歌い、消えていくだろう。

しかし、ある種の蛇の毒は、生きた蛇の

一噛みでなければ害することがないように、

彼女の美徳もこの世にあってこそ、我々にとって

ふさわしいものである。彼女の働きは美徳に優る。

だが、美徳は彼女のなかで大いに成熟し、

成長し過ぎたので、死ぬ破目となった。

すべての影響は彼女の力から来たが、

それを受ける側に十分な能力がなく、半端なものとなった。

その彼女には、すべての状態を黄金に変える力はなかったが、

金鍍金(めっき)をすることはできたので、

王様のうちの幾人かは節度を保つことができた。

また、顧問官たちの幾人かは公共の利益を

優先させることができた。そして、幾人かの人々は、

抑制心をもって、王様が与えてくれる以上のものを望まなかった。

幾人かの女性たちは沈黙を守り通し、

いくつかの尼寺には、貞節のかけらが残っていた。

このように多くの事を為した彼女、我々の時代が鉄の時代ではなく、

錆びてもいなければ、彼女はもっと多くの事が出来るはずだった。

その彼女、その彼女が死んだ。彼女は死んだ。そのことを知ったおまえは、

この世が干からびた燃え殻であることを悟ったはずだ。

そして我々の解剖から、おまえは、

涙や、汗や、血でもってそれに潤いを与え、

和らげようとしても、無駄であることを学んだはずだ。

我々の苦労、悲しみ、死に値するものは何もない。

あるのはただ、彼女の心を所有していたというあの豊かな喜びだけであり、

今は、彼女がその喜びに与り、その一部となっている。

しかし、死んだ人間を解剖するとき、

肉体のすべての部分を読みとるまでは、肉体は

とてももたないので、人々は、

最も効果的である部分にのみ、集中する。

同じように、私がこの解剖を几帳面にやろうとすれば、

この世の死骸も最後までもたないだろう。

また、自分が健康であると思っている連中に、

彼らの病気を告げれば、煙たく思われるだけだ。

だからこの辺で終わりにしよう。祝福された乙女よ、

これまであなたについて言われてきたどんなことも、また、

これから先、どんな言葉によって賞賛されることも、

あなたの名前が下手な文章を洗練し、散文を詩に変える。

この捧げ物、私の初めての年貢を納めて下さい。

私の暗くて短い蝋燭の灯が尽きるまで、

未亡人となったこの世であなたを祝う日が続く限り、

私は、毎年あなたの二度目の誕生、

つまり、あなたの死を祝うことにします。人の魂は

人が造られた時に得られたものだが、魂が生まれるのは

まさに人が死ぬ時であるからだ。我々の肉体は子宮のようなもの、

死が産婆の役目をして魂を取り上げ、故郷へと送り届ける。

彼女に造り出されたあなたがたは、彼女の働きで、

あなたがたを純化し完全なものにする、最後にして最善の調合を、

彼女を手本にして彼女の美徳から得たが、

あなたがたが彼女を敬うあまりに、

彼女を称賛して讃えるには、

年代記にふさわしい内容であるから、詩にして書くべきではないと考えるなら、

思い出していただきたい。神が造ったもので

最後のものであり、最後まで残る作品は、詩であることを。神が

モーゼに命じたこと、それはすべての人々に、その歌を

伝えよ、ということであった。注:26神はご存知であった、

人々が、律法や、予言や、歴史を捨て去ることはあっても、

その歌だけは彼らの記憶の中にいつまでも留めて置くことを。

そのような信念を持って(節度を弁え)私は

大胆にもこの大きな役を引き受けたのだった。

彼女は我々の理解を超えた存在であったが、

私は彼女を捕える試みを躊躇しなかった。

狭い墓が彼女を捕えることができるのを見たとき、私は

詩も同じことができないはずはないと考えた。

詩は、中間的な性質を持っている。天は魂を保ち、

墓は肉体を保ち、詩は名声を留めるのだ。

 

【訳注】

注:1 最初の結婚とは、アダムとエヴァの結婚をさす。

注:2 1世紀のローマの博物学者プリニウスによれば、鹿は大烏の4倍の寿命があり、大烏は人間の4倍の寿命があるという。また、オークやイチイの木は長寿であると信じられていた。

注:3 メトシェラは、『創世記』5章7節に登場し、969歳まで生きた。

注:4 「三世代が暮らす」とは、通常、土地の借用期間が99年であったことから。

注:5 「新しい病気」とは15世紀にヨーロッパにもたらされた梅毒のこと。

注:6 「新薬」とは、スイスの医学者パラケルスス(1493−1541)の梅毒の治療薬。   

注:7 「皇帝の代理」については、『創世記』1章26−28節に、神は人間に、地上におけるすべての動物に対する支配権を与えたとある。

注:8 ギリシア語やラテン語では、美徳の名前は女性形であった。

注:9 純粋な金属はそのままでは使えないので、日常の使用には混ぜものをして合金にする必要があった。

注:10 新しい学問とは、ここでは、コペルニクス(1473−1543)、ティコ・ブラーエ(1546−1601)、ケプラー(1571−1630)、ガリレオ(1564−1642)などの天文学者たちによる太陽中心説。先覚者のコペルニクスを除けば、これらの天文学者たちはダンの同時代人でもあり、ダンは彼らが唱える新しい理論を知っていた。

注:11 太陽中心説によって伝統的な四元素(地、水、火、空気)の秩序は否定されたが、火の元素が存在するかどうかの論議は続いていた。

注:12 プトレマイオスは、地球を中心に天体が動いているとしたが、コペルニクスは地球が太陽の周りを回っていると唱えた。

注:13 昔の生理学では、血液、粘液(粘液的性質の原因とされた)、黒胆汁(憂鬱の原因)、黄胆汁(短気、立腹の原因)の4つの体液があるとされた。

注:14 プトレマイオスが星の群れを48の星座に分けた。

注:15 山羊座は冬至のとき、蟹座は夏至に現れる。

注:16 至天は、黄道上で分点より90度隔たったところで、夏至点と冬至点との並称。

注:17 テネリフェは、カナリア諸島のテネリフェ島にある双子の山頂の火山で、12,000フィートの高さがある。

注:18 古代ギリシアの医学者ガレノスは、魂は四元素(空気、火、水、土)の調和であると考え、アリストテレスの弟子で音楽理論家であったアリストクセノスは、魂を「肉体の調律」と見なし、ピタゴラスはすべての神秘的現象を音楽の音程によって説明した。

注:19 アリストテレスは、我々にものが見えるのは、物体が放つ光線が物体の形相を我々の目を通して心に焼き付けるからだと考えた。

注:20 初期キリスト教の最大の教父である聖アウグスティヌスや、“讃歌の父”と称される聖アンブロウスは、ノアの方舟は人体に似せて造られたと唱えた。

注:21 「恥じらいの赤面」は無垢を示し、「魂が赤く染まる」のは罪の意識のためである。

注:22 「白」は無垢、純潔、神聖、「赤」は恋、「青」は神の愛、真実、処女性を象徴する。

注:23 「エジプトの魔術師たちが自分の杖を投げると、杖が蛇になった」(『出エジプト記』7章10−12節)

注:24 スイスの医学者で錬金術師のパラケルスス(1493−1541)は、昔の人が信じていたように、事物が持つ自然の効力を引き出す術を知っておれば、触れるだけで病気を治すことができると考えていた。

注:25 白鳥は死の直前にのみ鳴くと信じられていた。

注:26 「モーゼがイスラエルの全会衆にこの歌を余すところなく語り聞かせた」以下『申命記』32章1‐43節を参照。

 

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ジョン・ダン全詩集訳 挽歌と葬送歌