ミューズの女神よ、この詩で笑うなかれ。心ある者ならば
笑えぬはずだ。良き宮廷人となるための規則を
定めた彼は(注:1)、(彼の言葉を理解すれば
立派な宮廷人になれもしようが、誰も立派な宮廷人にすることはできない)
極端に惨めな者や、極端に邪悪な者はみな
嘲笑の対象から外れるというが、この両者に対する
憐みと非難こそが私の主題となるのだ。
高官の激怒や請願者の不幸を書きながら、それを
笑いごとにする者は、いったい何者か。万物は万物の中にあるとすれば、
(私もそう思っている)、すでにあったもの、いまあるもの、これから先に
あるもの、それらすべてが同じ元素からなるといえる。
万物は、万物を包含し、表象する。
だとすれば、人間は世界である。その中で、高官たちは
すべてを呑みこむ大海であり、請願者たちは、
湧水である。いま満ちたかと思えば、もう細り、はや涸れてしまう。
そして、自分たちを溺れさせる海に向かって走り出す。
同じ理屈によって、世界は人間である。その中では、高官たちは
貪欲な胃であり、請願者たちは
それらが吐き出す排泄物である。人間はみな塵に過ぎないが、
人間の欲望の餌食である請願者たちは、
もっと惨めな存在だ。おまえたちが塵よりも、蛆虫の餌よりも惨めなのは、
蛆虫に食らわれる者たちによって、食われているからだ。
彼らはおまえたちを粉々に挽く挽き臼だが、おまえたちは
それを動かす風だ。消耗する戦争が
仕掛けられ、おまえたちはそれと戦っているのだ。
彼らは法律を枉げるので、彼らのために
妻の浮気を許すようなもの、その結果は身の破滅だ。
最も偉大にして美しい女王様はこのことをご存知であろうか?
いや、テムズ川の上流が、下流で誰の牧場を水浸しにし、
誰の穀物を押し流すかを知らないように、ご存知ない。
閣下(注:2)、女王はあなたの正義感を愛され、私は
あなたにお仕えする許しを得て、身に余る報酬を
いただいておりますが、閣下は権限を得られて、今や
この巨悪の元を調べ上げ、根絶することに取りかかられた(注:3)。
ああ、錆びた鉄の時代(注:4)よ。賢明な人物であれば
それにふさわしい、もっとひどい名で呼ぶだろうが。
鉄の時代には正義が売られたが、今では
不法がはるかな高値で売られている。
賭博師よ(注:5)、請求額や、手数料、税金のすべてを認めて払えば、
おまえたちが汗水垂らし、誓いを立てた金も、たちまち
他人の手に渡ってしまう。同様に、係争中の土地も
アンジェリカ(注:6)のように、当事者の手から逃れてしまうだろう。
法律が裁判官の胸三寸の内にあって、
彼が有力者の手紙や賄賂を拒む勇気がないとしたら、
一体どこに訴えればよいだろうか。法廷の権威は
その源である女王様から下ってくるものであるが、
法廷に呑みこまれれば、おまえは不幸な目に遭い、
足枷をはめられ、首縄をかけられることになる。しかし、その不当な扱いに
耐えかね、勇気を持って苦情申し立てする覚悟を固めるなら、
流れに逆らって、上流に向かうことになる。それも、おまえが
最も辛く、最も弱っている時に。悪戦苦闘している間に、
おまえが訴えている当の本人たちは、次第に
大海となっていき、その間、おまえは
黄金の橋を作る破目(注:7)になり、しかも橋が出来上がる前に
おまえの金はすべて海に呑まれて消えてしまう。
事はすべて似たように進み、金持ちだけがますます金持ちになる。
裁判官は神である、そのように定め、そのように言った神は、
金貨(注:8)の力を頼りに裁判官のもとに行くように
なされたのではない。我々が神さまに
お願いする時、主天使や、
能天使、智天使、それに天の法廷の者たち全員に、
地上と同じように賄賂を支払うとすれば、王様であろうと
日々の糧を欠くことになるだろう。それと同じことである。
禁欲主義者や、臆病者、いや、殉教者ですらも、
執達吏がやってきて、
その衣服は僧衣であるとか、書物は祈祷書であるとか、
食器はみな聖杯である(注:9)と言って、不正に持ち去った上に、
賄賂まで請求されれば怒るだろう。
純白の尊い汚れなき法律を、令状を持った泥棒に
汚させてはならない。法律は
運命の記録係としてこの世に定められ、法律は
運命の女神の言葉を語り、誰が金持ちになり、誰が貧乏になるか、
誰が要職に就き、誰が牢に入るかを告げる。
法律はまったく美しい。しかし、その長い汚れた爪で
請願者たちを引っ掻く。人間の身体では、
爪はその先端にあるように、法律も同じである。
役人が法律の及ばないところまで爪を伸ばすのは、
爪が、身体のほかの部分が届かないところまで届くようなものだ。
どうして向こうにいる役人に脱帽するのだ?愚か者よ、
以前、人々がおまえに脱帽した富を、あいつが今持っているからか?
愚か者よ、おまえは二度、三度と、金で不正を買いながら、今では飢えたように
正義を乞い求めているが、その連中が死ぬまで幸運は巡って来ないのだ。
おまえは多くの富をもっていた。それなのにさらに多くのものを求めて
法律のウリムとトンミム(注:10)を試そうとする。それで得たものと言えば、
大キャラック号(注:11)が満載していた胡椒を包むほどの紙であった。
その紙を売れば、ハマン(注:12)が蒐集したがらくたを売った以上に、
大きな損となるだろう。
ああ、惨めな奴、おまえは自分の運命を
イソップ寓話を教訓にして、物語を予言に変える。
おまえは水に映った影に欺かれ、
沈んでしまったものを求め、川に飛び込み、溺れかけて泳ぐ犬だ。(注:13)
【訳注】
この詩の31−4行に登場する人物が国璽尚書のサー・トマス・エジャトンであれば、ダンが彼の秘書をしていた期間の1598−1602年の間の1518年に書かれたものと思われる。
稿本の題名に『法廷での哀れな請願者の惨めさについて』とある。
注:1 『廷臣論』(1528年)の作者で、イタリアの外交官であったConte Baldassare Castiglione(1478−1529)についての言及。『廷臣論』は1561年にThomas Hobyによって翻訳された。
注:2 閣下とは、1596年にイングランドの国璽尚書となったサー・トマス・エジャトンのことで、ダンは1598年から彼の秘書となった。エジャトンは、エリザベス女王の治世に、裁判所と法律要件の改正に取り組み、ジェイムズ一世のもとでは大法官を務めた。
注:3 エジャトンは、1597年から星室庁(1487年に設立され、専断不公平で有名な刑事裁判所)の改革に取り組み始めた。
注:4 鉄の時代は、金、銀、銅、鉄の四つの伝説上の時代の最後の時代で、歴史の衰退の象徴として表現される。
注:5 賭博師は、請願者の比喩的表現で、訴訟に必要な請求額や手数料、税金を認めて全部払っても、訴訟の努力は水の泡となるだけでなく、手元には一銭も残らない、訴訟は賭けのようなものだという諷刺。
注:6 アンジェリカはイタリアの詩人、アリオスト(1474−1533)の『怒れるオルランド』(Orlando Furioso、1516)のヒロインの名で、求愛者たちが彼女を求めて争っている間に逃げた。
注:7 黄金の橋を作る破目になるとは、事態を乗り越えるために賄賂を払うことを強いられることを比喩する。
注:8 「金貨」はエンジェル金貨で、60行以下に登場する「天使たち」に掛けた表現である。
注:9 僧衣、祈祷書、聖杯は、カトリックへの忠誠心を示す聖餐式の用具として、執達吏から摘発された。
注:10 ウリムとトンミムは、古代イスラエルの大司祭が神託を受けるために用いた正体不明の物体で、『出エジプト記』に、「裁きの胸当てにはウリムとトンミムを入れる」(28章30節)とあり、ヘブライ語で「教義と真理」或いは「光と高潔」を意味するという。
注:11 大キャラック号は、1592年に拿捕された、胡椒を満載したスペインの商船。その胡椒を包むほどの紙とは、請願者が自分のものを取り戻すため訴えるのに、手続きのため必要な山のような量の書類の比喩。
注:12 ハマンは古物収集家の名前として、『エピグラム』の中の「古物収集家」の別タイトルとして『ハモン』というのがある。
注:13 水に映った、肉を口にくわえた自分の影を見て、その肉を取ろうと水面に向かって吠え、自分の肉を川に落とした犬の話。
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