閣下、(そのことを神に感謝しますが)、私は
この町のあらゆることすべてを憎んでおります、なかでも
とりわけ素晴らしく最悪なもののおかげで、
その憎しみが、他のものに対しては憐れみに変わります。
5詩作はまったく罪なもので、
飢饉やスペインの侵入を招き、
疫病か、昔風の恋愛のように、
不可解にも人の心をとらえては、飢えて餓(かつ)えるまで
離れません。それでも詩人たちの状態は、
カトリック教徒のように、貧しく、無力なので憎むに値しないのです。
ある詩人は(法廷で死刑の判決を受けた惨めな男が、
隣に立っている字の読めない男に、免罪詩の文句を教え(注:1)て
その命を救ってやるように)無知な役者の生きる糧に
(自分は飢えていても)せっせと芝居を書きます。
それは、ある種のオルガンで、上では人形が踊り、
下では、人形を動かすふいごが喘いでいるようなものです。
また、ある詩人は韻律で愛の神を動かそうとしますが、魔法の力も
今では昔の恐怖もなければ、危害を加える力もないのです。
破城槌や投石器は、いまでは攻撃効果のない武器となり、
ピストル(注:2)こそが、女を口説き落とす最高の武器です。
報酬目当てに貴族のお歴々に詩を書いて贈る詩人は、
食事を求めて戸口で歌う浮浪者と変わりがありません。
誰もが詩を書くので、自分も書くという詩人たちは、
下手な詩を書いても、いつでも弁解の余地を残しています。
しかし、最悪の詩人は、(乞食のように)がつがつ
他人の知識の果実を齧って、貪欲な胃袋の中で
下品に消化しては、他人の物を自分の物のように
吐き出す奴です。成る程、それは彼の物に相違ありません。
誰かが私の食事を食べ、その食事が私の物であると
分かっていても、その排泄物は、確かに彼の物です。
でもこういう連中は私にとって害にはなりません。張り形
顔負けの淫乱な者も、ユダヤ人の上を行く高利貸しも、
大海を飲み干すような大酒飲みも、連祷(注:3)より多く神の名を唱える者も、
聴罪師のようにあらゆる種類の罪に通じている者も。
こういった連中の罪のために
スコラ哲学者(注:4)たちは地獄に新たな部屋を作らなくてはなりません。
彼らの罪は変わっているので、教会法学者も、それらの罪を
十戒のどの分類に入れたらよいのか分かりません。
こういった連中は自らを罰します。しかし、コスカス(注:5)の
傲慢だけは私には許せません。
時は(すべてを腐らせ、瘡蓋を梅毒と化し、
とぼとぼとした歩みながらも、いつしか子牛を雄牛となし)
最近まで、哀れ、詩人になり損ねた彼を
弁護士に仕立てたのです。弁護士になれたことを
新たに聖職禄を得た牧師にもまして自慢し、
行く先々で、霞網か、鳥もちを塗った小枝のように、
法廷弁護士の肩書を、出会う女たち全員に投げつけては、
民訴裁判所や王座裁判所の用語を使って求愛するのです。
「奥方様、裁定申請致します」、「お話しなさい、コスカス」、
「女王様の在位三十年このかた、私はずっと愛し続けてまいりました。
訴状を繰り返し提出し、このたび、差し止め令状を得まして
相手の訴えを止めましたので、彼は訴訟を続けることが
できません」、「許して下さいね」、「この前のヒラリー開廷期(注:6)に参りました時、
あなた様はおっしゃいました。次のレント(注:7)の巡回裁判に戻って来れば、
あなた様の恩顧の復権に与れると。
その間、私の手紙を宣誓供述書の代役とするようにと
申されました」。言葉、言葉、それらの言葉は
乙女の柔らかな耳の華奢な三半規管をも引き裂き、
口論している十人のスラブ人よりやかましく、
廃墟となった寺院に吹きすさぶ風の唸りよりもひどい。
おまえが、詩に取りつかれ、ミューズの虜となって
狂っている時には、期待もしていた。だが、
自信家の魂よ、ただ金儲けのために法律家の道を選んだ者は、
売春宿の娼婦にも劣ると思うがいい。
今では梟に似た夜警のように、手にはいつも
鉾槍ならぬ訴状を持って歩き、
真実をはぐらかす囚人のように、年がら年中、
そこに連れてこられたのは他人の債務保証のせいだとののしり、
あらゆる訴訟人に対して嘘をつく様は、
王様のお気に入り、というより王様そのもの。
台木を引き裂く楔のように、法廷の柵を押し分け進もうとする姿(注:8)は、
荷を担いだロバさながら、さらに恥知らずなことには、
市中引き回しの荷車に載せられた売女以上で、厳粛な判事に嘘をつく、
王様の落し子だと名乗る私生児、
聖職を売買したり、男色にふける、教会で生計を立てている者、
こういう連中も彼の比ではありません。彼はそれらを元手に繁盛しているのです。
間もなく(海のように)彼は全土を囲い込むでしょう。
スコットランドからワイト島、セント・マイケル山からドーヴァ海峡に至るまで。
贅沢で身代をすり減らす跡取り息子を見つけ出しては、
悪魔が彼らの罪を見て喜ぶ以上に喜びます。
始末屋の女中が台所の残り物を掻き集め、
蝋燭の滴や、燃え残りの芯を
三十年間ため込んで
(遺物のように保存し)結婚式の衣裳の費用に充てるように、
少しずつ土地を手に入れ、時間をかけて
賭けトランプで賭け金を巻き上げる輩のように、一町ずつ土地を搾り取ります。
彼の田畑ほどある大きさの羊皮紙に、
不動産譲渡証書を作成するのに民法の解釈書ほど長々と書きます。
それはあまりにも長いので、(進歩したこの時代では)
教会の教父の文書(注:9)でもそれより短いくらいです。
彼はそれを自分で書くわけでもなく、書いてもらっても金を払わけでもありません。
だからいくら長くても構わないのです。若き日の
ルターは、宣誓して宗門に入るとき、修道士の務めである、
毎日ロザリオを繰る度に唱える主の祈りが短いことを
望みましたが、この宗派から離れると、
キリストの祈り(注:10)に、権力と栄光の一節を付け加えました。
彼は土地を売ったり交換する時、文書をごまかしたり、
(人が見ていないところで)「相続人」の項目を省いたりします、
それは、無知な注釈者が
難解な語句や意味を避けて通るようなものです。あるいは、神学において
権威のあるテクストの中で、自分たちに不利な答えになりそうな
際どい言葉を省く論客のようなものです。
これまでに彼が買った土地を覆っていたあの森林はどこに
消えたのでしょうか?家を建てたり、暖を取るため燃されたのではありません。
昔の地主や、施しをする人々はどこに消えたのでしょうか?大きな屋敷での
カルトジオ修道会(注:11)のような断食も、バッカス祭の乱痴気騒ぎも
ともに私は憎みます。中庸こそ祝福されるべきものです。金持ちの家では
必要なだけの家畜を殺して食べるのは構いませんが、虐殺は駄目です、
飢えもせず、飽食もしないのがよいのです。でも、
善行は良いことだと認めますが、今では時代遅れとなって
昔の豪華な衣裳のようなものとなりました。私の言葉は
膨大な法令集をもってしても、誰も取り締まることができないでしょう。
【訳注】
「諷刺詩 2」は、弁護士となって法律を悪用し、私腹を肥やすへぼ詩人を対象にした諷刺である。1594年作(A.J. Smith)。
注:1 「免罪詩の文句を教え」は、この詩では劇用語の「台詞を付ける(プロンプト)」という表現になっているが、その意味を取って意訳した。免罪詩は、通常、ラテン語で書かれた聖書詩篇第51篇の冒頭部を、ひげ文字で印刷したもの。昔、死刑囚が尋問官の面前でこれを読めると放免された。
注:2 ピストルは、小銃としての意味と、スペインの金貨の意味がある。
注:3 連祷は、司祭が唱える祈りに会衆が唱和する形式で、うんざりするほど神の名を繰り返し唱える。
注:4 中世のスコラ哲学者は、罪の数だけ地獄を区分した。
注:5 コスカスという人物については不詳。
注:6 ヒラリー開廷期:1月初めから4月の初めにかけて開廷する英国の年初の開廷期(A.J. Smith)。1月23日から2月12日までの英国の年初の開廷期(C.A. Patrides)。1月11日から1月31日までの昔の上級裁判所の開廷期;1月11日から復活祭直前の水曜日までの英国高等法院の開廷期(リーダーズ英和辞典)。
注:7 レント(四旬節、受難節):灰水曜日から復活祭前日までの40日間。
注:8 法廷で弁護の主張をするのに人を押しのけてまでし、しかも用意した書類の山は荷を担ぐロバも押し潰されそうなほどである。
注:9 教会の教父の文書は、長いので悪名が高かった。
注:10 キリストの主の祈りは、「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください」(『ルカ伝』11章2‐4節)。
ルターは1521年に『新約聖書』をドイツ語に翻訳した時、エラスムスの翻訳(1516年)から「神の国と、権力と、栄光はあなたのものです」の一節を付け加えた。
注:11 カルトジオ修道会は、1084年、聖Brunoによってフランスのグルノーブルに創設された、純粋に観想的な隠修士の生活を実践する修道会。
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