エピグラム序言 ジョン・ダンの部屋トップへ戻る

 

元来、エピグラムは、普通は墓に書かれた詩の形式の碑文であった。
そこから、智的な思考の表現で終わる短詩、鋭利な、反定立的な警句などのことをいうようになった。

エピグラムは、ルネサンス期の多くの詩人たちによって書かれた。

ダンのエピグラムは時期的には初期の『唄とソネット』の部類に入れられる。グリアソンは、エピグラムのいくつかは、1596年のカディス攻撃の時期に書かれたとしている。

スコットランドの詩人で、ベン・ジョンソンの友人でもあったホーソンデンのウィリアム・ドラモンド(1585−1649)は、ダンのエピグラムを英語で書かれた最高のものであると称賛している。

A.J. Smith編纂のダン全詩集には、エピグラムは20篇収められている。

1633年の最初の版のダンの詩集では、16篇が収められていた。

その後の追加の経過は下記の通りである。

1857年、サー・ジョン・シメオンにより、「嘘つき」(’The Liar’)、

1899年、エドモンド・ゴスにより、「カディスとギアナ」('Cales and Guiana’)と「サー・ジョン・ウィングフィールド」('Sir John Wingfield’)の2篇、

1942年、ロジャー・E. ベネットにより、「男らしさ」('Manliness’)(版によっては「ペテン師」という題名になっている)

 

翻訳に当たっては、ダンのエピグラムの意味するところを理解するために、A.J, SmithおよびC.A. Patridesの注釈などをできるだけ使用して訳注とした。

 

 

 
 
 
 
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