君と和平を結ぶまでは、他の男たちと一戦交えるがよい、
だが、和平を結んだあかつきには、君を残して行くことなどできようか。
他の戦争すべては大義あるものかどうか疑わしいものだ。君だけが
誰もが与(あずか)れる、公正な自由都市。
フランダースでは、
君主が抑圧しているのか、庶民が反抗しているのか(注:1)見分けがつかない。
僕らに分かっているのは、凡人の誰もが言うように、
けんかの仲裁をする者が一番痛手を受けるということだけだ。
フランスは、月の満ち欠けのように絶えず様変わり(注:2)、
我らイングランド人を憎み、近頃では我らの神様まで憎むようになった。
フランスは我らのエンジェル金貨(注:3)に頼っていたが、
それは戻って来なかった。堕天使と同じように。
病んだアイルランドは、おこりのような奇妙な戦争にとりつかれ、
暴れまくるかと思えば、静かになり、
時が癒してくれるだろうが、下剤をかけるか、
頭部の血を瀉血すれば、効き目があるに違いない。
我らのスペイン遠征はミダス(注:4)の喜びをもたらし、
触れる物すべて黄金であったが、食べ物には事欠いた。
それにあの焦げ付くような暑い気候のもとでは、
寿命が来る前に塵や灰と化してしまうだろう。
僕を船に閉じ込めるのは、今にも崩れ落ちそうな
牢獄の虜(とりこ)にするようなもの。
あるいは僧院に入るようなもの、だが、僧院は
静かな天国の暮らしだが、船の中は荒れ狂う地獄。
長い船旅は、長い耐乏生活、
そして、船は処刑の荷車だ。
船は、死そのものだ。別世界に行くということ、
それは死にも等しいことではないか?
ここで僕は戦おう。その腕に僕を抱いてくれ。
ここで和平交渉し、攻撃を仕掛け、血を流し、死ぬ。
君の腕が僕を虜にし、僕の腕が君を虜にする。
君の心が君の保釈金、僕の身代金は僕の心。
他の連中は休息をとるために戦うが、
僕たちは再び戦(いくさ)をするために休息する。
彼らの戦争は無知が招くもの、僕らの戦争は経験豊かな愛がなすもの、
戦場では僕らは常に下だが、ここでは上にいる。
戦場でははるか遠く離れていても砲撃が恐怖の的だが、
ここでは、突かれ、刺され、切られ、弾に当たろうと、傷つくことはない。
戦場で横になるのは間違いだが、ここでは仰向けに寝ても安全だ。
戦場では、人が人を殺すが、僕らは人を造り出す。
君は何もしない。僕も、僕たち二人から
生まれ出る者に較べれば、この戦争では、
半分も仕事をしていない。何千という人が
戦場には赴かず、刀や、兵器、弾丸を作るのに
家に留まっている。とすれば、僕が留まって人を造り出すのは、
栄えある奉仕をしていることにならないか?
【訳注】
この詩も1633年の版では許可が下りなかった作品の一つで、初出は、F. G. Waldronによる1802年出版の『種々雑多の詩の作品集』において。
注:1 スペインに統治されていた低地国では1590年代、スペインの圧政に反抗して庶民の騒乱が絶えなかった。
注:2 フランス国王アンリ三世(1551−1589)は幼少時、親に反抗してプロテスタントに傾くが、成長してからは名ばかりではあるが、ローマ・カトリック教徒となる。彼がアンジュー公であった19歳の時、18歳年上のエリザベス女王との縁談がもち出されたことがある。1572年のサン・バルテルミの虐殺にも関与している。1589年暗殺された。続いてフランス国王となったナヴァール国王のアンリ四世(1553−1610)はプロテスタントであったが、カトリック教徒に改宗した。1610年狂信的なカトリック信者によって暗殺される。
注:3 エリザベス女王はナヴァール国王のアンリの援助に多大な金貨の援助をしたが、彼がフランスの王位を継承(1589年)して後、プロテスタントからカトリックに改宗した(1593年)ので、その援助は水泡に帰した。
注:4 ミダスは手に触れる物をすべて黄金に変える力を与えられたフリュギアの王。
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