恋をして、真(まこと)の恋という正しい目的を
持たずにいる者は、船酔いするために
船出するようなもの。
恋は、生まれたばかりの(注:1)仔熊のようなもの、
下手に舐め過ぎて、新奇な形に仕立てようとすれば、
過ちを犯して、怪物の塊を造り出してしまう。
仔牛が成長して人間の顔をもつようなことになれば、
牛の顔よりましになったとしても、怪物ではないか。
完全とは統一にあるもの。まず初めに
一人の女を愛し、次にその女にある一点を愛すのだ。
僕は黄金を愛すが、それは
しなやかに延び、応用範囲も広く、
健康にも効き目があり、純真であるからで、それは
錆びることなく、ものにも染まらず、火にも犯されない、
だが、僕がそれを愛すのは、それが
僕たちの新しい本性、習慣によって、商いの魂となっているからだ。
女にこれらすべてのものが備わっていると思ったとしても
(女にそれらが備わっていたとしての話だが)愛すのはただ一点でよい。
女が女であるということ以外のことで、女を愛している
などと言うことは、女を傷つけることでしかない。
美徳が女を作れるか?(注:2)賢くて善良な女を見つけるまで
僕の血を抑えていなくてはならないのか?
不妊の天使ならそれもできよう。だが僕たちが
女を愛すのは、美徳が彼女であるからではない、
美や冨が彼女ではないのと同じように。
彼女自身から彼女の所有物に心を移すのは
彼女の侍女に手を出すことより不義なこと。
天球を隈なく探そうと、僕らのキューピッドはどこにもいない。(注:3)
彼は地獄の神様であり、プルトンとともに
黄金と業火(注:4)の黄泉の国に暮らしている。
人々は、それらの神々に捧げる石炭を
祭壇にではなく、洞窟に置いた。(注:5)
地球の上を天球が動くのを仰ぎ見るが、
僕らが耕し、愛すのは大地である。
彼女の素振りや、言葉、心、それに
美徳のことを考えても、本当に愛すのは、中心部。
それに較べれば、魂も価値があるとは言えず、愛に
相応しいとも言えない、それは魂と同じく無限だ。
だが、その望むべく処に辿り着こうと
顔から出発して、なんとさ迷いまわることか。
髪は森、そこには伏兵がおり、
罠や落とし穴が仕掛けられ、手枷や足枷がある。
額は、広くて滑らかであれば、凪いで僕らを足止めするが、
皺があれば、僕らを難破させて戻らせる。
滑らかな額は天国の楽園、僕らはそこに
いつまでも留まるだろう。だが、皺だらけの額は僕らの墓場だ。
鼻は、第一子午線(注:6)、だがそれは
西と東の間ではなく、二つの太陽の間を走っている。
その両側には、薔薇色の半球の頬がある、
鼻は、そこを通り抜け、僕たちを
幸福が宿る島々(注:7)へと導く。
(ほのかな香りのカナリアワインではなく、神の酒である)
彼女のふっくらした唇。そこに到達すると、
碇を降ろし、我が家に戻ったような気分になる、
そこはすべてそろっているように見え、セイレンの唄声(注:8)や
デルポイ(注:9)の神託が耳を満たしてくれる。
入江には選りすぐった真珠がこぼれんばかり、それに
コバンザメのような、彼女の吸いつく舌がある。
そこを過ぎ、輝かしい岬の顎を
通り過ぎると、彼女の胸、
セストスとアビドス(注:10)の間にあるヘレスポント海峡に至る。
(二人の恋人のではなく、二人の愛の巣の)
それは果てしのない海へと続くが、君は
そこに小さな島のように点在する黒子(ほくろ)を目にするだろう。
さらに彼女のインドを目指して航海を続けると、その途中、
彼女の美しい大西洋の臍に立ち寄ることになる。
そこからは潮流が君の水先案内人となるが、
君が入港したいと思っている場所に着く前に、
多くの船が難破する別の森に邪魔をされ、
先に進めなくなる。
そこに着いたら、君が顔から出発したために、この追跡が
どれほど多くの時間を浪費したか、とくと考えることだ。
僕にならって下の方から始めるべきなのだ、
足は、君が探し求めている部分にいくらか
似通っていて、君の案内図として一時停止するには
もってこいだが、長く留まるところではない。
足は、最も偽装しにくいところであり、変化しないところ、
悪魔ですら自分の足を変えることはできない(注:11)という。
足は、貞節を表わす表象。
足は、寝床に入ってくる最初の部分。
礼儀作法が洗練されるにつれ、口づけの喜びは
顔に始まり、手へと移り、
皇帝の膝から、
今では法皇の足へと進んだ。
王様たちが足から始めるのが近道だと考えるのなら、
恋人たちだってそうしても構わないはずだ。
天球が鳥より速く動けるのは遮るものがないからで、
鳥には空気が抵抗している。人も天球と同じように
この空虚な天空の道を行くことができる、
美の元素に迷ってぐずぐずしなければ。
裕福な自然の女神は賢明にも女に
二つの巾着を与えたが、その口はそれぞれ逆を向いている。
そこで、下の口に貢物の義務を負うものは、
大蔵省が見張っている道に向かって進まねばならない。
そうしない者は、大きな過ちを犯すことになる。
浣腸器を使って胃に食べ物を注ぐようなものだ。
【訳注】
この詩は、1633年の版では出版の許可が下りなかった。
A. J. Smithによれば初出は、1654年の’The Harmony of the Muses: or, The Gentlemans and Ladies Choisest Recreation’、そして1669年のダンの詩集の版で初めて含まれたとある。C. A. Patridesによれば、1661年の’Wit and Drollery’の中で初めて出版されたとある。
注:1 生まれたばかりの仔熊はまだ形の定まっていない肉の塊で、母熊が舐めることによって形ができていくと考えられていた。
注:2 『ロミオとジュリエット』のロミオの台詞、「哲学でジュリエットが作れるか」(‘philosophy can make a Juliet’; 3.3.57)を思い起こす。
注:3 天球にはキューピッドという名の星は存在しない。
注:4 プルトンはギリシア神話の冥界の神であるが、「黄金と業火」は、冨の神であるプルートスにも重ねられたイメージ。キューピッドをそこに探し求めるのは、彼がその報酬に金貨と心にともる火を要求することによる。
注:5 地獄の神に捧げ物を洞窟に置くのは異教徒の風習であった。
注:6 第一子午線については、ダンは幸運の島であるカナリー諸島を走っていると思っていた(C.A. Patrides)。
注:7 幸福の島々とは、第一子午線が通るカナリー諸島の旧名。
注:8 セイレンはギリシア神話の半人半鳥の海の精で、美しい歌声で船乗りを誘い寄せ、船を難破させた。
注:9 デルポイはアポロンの神殿にあり、難解な神託で有名な神託所。
注:10 セストスとアビドスはヘレスポント海峡の両岸にある都市で、二人の恋人、ヒアローとリアンダーのそれぞれの故郷。
注:11 悪魔の足は文趾蹄のため偽装できない。
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