2 劇場から見るダンとシェイクスピア (その4)

 

前口上で、ダンがシェイクスピアの劇を観たことがあると伺わせるものが1600年頃の、ヘンリー・ウォットンあての手紙があって、そのなかに『じゃじゃ馬ならし』のペトルーチオの名前が出てくるということに触れ、ダンがシェイクスピアの劇を観たことがある証拠として紹介した。

 そのことについて、先ごろエドマンド・ゴス(Edmund Gosse)のダンの伝記The Life and Letter of John Donneを読んでいて、それに関連することを発見した。

話は横にそれるが、ゴスはノルウェーのイプセンを英国に最初に紹介した人物としても知られており、ダンの伝記としてはアイザック・ウォルトンの伝記(1640年)以来、本格的なものとしては最初のものである。

ゴスのダンの伝記は1899年、ロンドンのウィリアム・ハイネマン社から2巻本で出版されている。その復刻版をアマゾンでこの年明けに入手して、今読み進めているところである。

そのなかで、1599年、ダンのオックスフォード時代の友人、ウィリアム・コーンワリス卿(1599年、エセックス伯によって、ダブリンでナイトに叙せられている)がダンに書簡詩を送っている。この当時ダンは国璽尚書のトマス・エジャトン卿の秘書をしていたので、コーンワリスのダンへの宛名が次のようになっている。

 

“To my ever to be respected friend, Mr. John Donne,

     Secretary to my Lord Keeper, give these.”

 

この詩のなかでコーンワリスがダンを観劇に誘っている。

 

If then for change of hours you seem careless,

 Agree with me to lose them at the plays.

 

ゴスは、この時二人が観た劇は『から騒ぎ』と『お気に召すまま』の最初の上演の可能性を指摘している。その直接的根拠は示されていないが、少なくともダンがリンカンズ・インを出た後も、劇場に足を運んでいたことを裏付けるものとして興味深い詩である。

ダンがアイザック・ウォルトンに語ったところによれば、リンカンズ・インの学生時代、1日8時間以上勉強していたという。それでも観劇には時間を割いていた(ウォルトンの伝記のなかでは、ダンはそうは言っていないが)ことを考えれば、エジャトンの秘書として忙しい業務の傍ら、友人の誘いで気分転換に劇場に足を運んだことも想像に難くない。

再び話は横道にそれるが、ダンの伝記に関しては、これまでに私が読んだのはアイザック・ウォルトンのものと、2007年に出版されたジョン・スタッブス(John Stubbs)のJohn Donne, The Reformed Soulの2冊である。

ジョン・スタッブスの書いたものからは、この連載においても今後引用する場合が出てくることと思う。(ちなみに、スタッブスはこの伝記を29歳の若さで上梓している)。

 

 

 

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