ダンの詩のなかで、当時の劇場の様子や劇作家についての言及があるので、今度はそれを少し見てみたい。
ある詩人は(法廷で死刑の判決を受けた惨めな男が、
隣に座っている字の読めない男に、免罪符の文句を教えて
その命を救ってやるように)無知な役者の生きる糧に
(自分は飢えていても)せっせと芝居を書きます。 (『諷刺詩2』11-14行)
『諷刺詩2』は、法律を悪用して私腹をこやした、詩人になりそこねた弁護士の諷刺であるが、詩人や劇場に関連した詩句が登場する。この詩が書かれたのは1594年(ダン、22歳)の時と思われるが、ここに歌われている詩人で思い出すのは、いわゆる大学才子派といわれる詩人、劇作家たちである。なかでも放縦な生活を送って1592年に赤貧のうちに亡くなったロバート・グリーンのことを思い出させる。
自分は飢えながらも役者のために脚本を書く姿がグリーの姿に重なる。そのグリーンは、『パンドスト、時の勝利』(1588)で、シェイクスピアの『冬物語』に材源を提供したことでも知られ、なかでも『なけなしの智恵』(1592)は、シェイクスピアに言及した文献として貴重なもので、シェイクスピアとの関連を見る思いがする。
彼らの衣裳は、それを買うために売り払った田畑同様、
真新しく、いい香りがする。「その半ズボンは
王様にふさわしい」と大きな声で追従する者がいるが、
次の週にはそれらの衣裳を売るため劇場に持ち込むことになる。
貧窮はあらゆる階層に及んでいる。宮廷人は、
宮廷では舞台同様に振る舞うように思える。我々はみな役者なのだ。
(『諷刺詩4』180-185行)
当時の劇は、いわゆる大道具もなければ小道具も最小限度で、劇とはもっぱら聞くものであったが、それでも衣裳だけは素晴らしかった。劇団も衣裳にはお金をかけて、立派な衣裳を用いた。それは貴族からのお下がりもあったであろうが、この詩に書かれているように、お金に困った貴族たちが持ち込んできた衣裳を劇場が買い取ったというのも、ひとつの実態を映し出しているだろう。
この詩のなかでもダンは、宮廷は舞台であり、人はみな役者であると謳っている。
参考までに、この個所の原文は次のようになっている。
Wants reach all states; me seems they do as well
At stage, as Court; all are players; (Satire 4, 184-5)
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