シェイクスピアと同時代人ジョン・ダン No. 6


―イギリス・ルネサンス期の最高の形而上詩人―

 

 愛(Love)と魂(Soul)の詩集『唄とソネット』

 
 

序 章 ソネット=恋愛詩ということについて

 ペトラルカをはじめとしてルネサンス期の詩人たちのソネットは恋愛詩である。
ルネサンス期のソネット恋愛詩は、その多くは愛する女性を理想化し、満たされぬ愛の嘆きや、愛する女性の賞賛を謳っているのが一般的である。
 ダンの『唄とソネット』には「ソネット」と題する詩を含めてソネットの代名詞ともいえる14行詩は一つもないが、ソネットの広義の意味である「短詩」という点から見れば『唄とソネット』もソネットと解してよいだろう。
 ソネットに関しては、ダンにはHoly Sonnetsとして'La Corona'と'Divine meditations'という14行詩のソネットの作品群があるが、これらのソネットはダンの宗教詩の範疇に入れられていて恋愛詩とは性格を異にしている。
 ダンの『唄とソネット』はルネサンス期の他の詩人たちのそれとは異質である。ダンと同時代人であるシェイクスピアのソネットも、対象が女性でなく美しい青年や、当時の標準では美人とは言えないダークレディであるという点において、ダンとは異なった意味で異質である。
 ダンの『唄とソネット』は一口で言えば、「愛」と「魂」の詩であり、『唄とソネット』全55篇中に「愛」に関連する語彙、'love'(名詞、動詞、動名詞形を含む)と'lover(s)'が全部で243回出てくる。'love'の名詞形だけに限っても、「愛」の他に「愛の神」や「恋人」の意味で用いているのを含めて154回使われている。
 またタイトルをとってみても、「愛」がついているのが55篇中11篇ある。
 ダンは「魂と肉体の詩人」とも言われているが、「魂」に関連する語(soul, spirit, mind, heart)は合計91回使われており、その内'soul'が37回、'heart'が36回で、この2つで8割を占めている。(注1)'love'と'soul'の『唄とソネット』の数については別表の一覧表を参照。
このように言葉の使用回数からしても『唄とソネット』は愛と魂の詩として呼ぶにふさわしく、その中核となっている思想は「二人は一体」であるという考えである。
「二人が一体」であることを直接・間接的、あるいは比喩的に表現されている代表的な詩として、「聖列加入」「恍惚」「蚤」「おはよう」「別れ―嘆くのはおよし」の5篇がある。

 

第1章 愛は魂のこども ―『空気と天使たち』―

 愛と魂が一体であることが、『空気と天使たち』(Air and Angels)で歌われている。

  But since my soul, whose child love is,
 Takes limbs of flesh, and else could nothing do,
  More subtle than the parent is
 Love must not be, but take a body too,    (7-10)

   だが、僕の魂は―魂の子どもである愛は―
  肉体の手足となる以外には、何もできなかった。
   親より精妙になることなど
  愛にはできるはずもなく、同じように肉体を帯びるしかない。

 魂と肉体が一体であれば魂の子どもである愛も必然的に肉体と一体となる。
 魂と肉体については、ダンはその説教集の中で「自然の人間をなすものは、肉体は人ではなく、魂も人ではない。魂と肉体の二つがあってはじめて人となる」と語っている。またこの説教の中で、肉体と魂を結び付けるものがspiritであるとも述べている。Soulとspiritの関係については別途章を改めて検証する。
 ダンの「心身一体論」に対して、中世の思想はネオプラトニズムの影響で、精神と身体は別物であるという「心身二元論」である。
 「この世界は真の世界の投影に過ぎず、真の世界は永遠で不変の形象である」というプラトン哲学では、プラトニックラブにおける最高の愛は、肉体を無視して永遠不変の世界と相似する心・精神(mind)を愛することを求めることであるとして、ダンの心身一元論とは異にしている。
 『空気と天使たち』では愛と魂とが一体であることとともに、純粋の愛と、男と女の愛の違いをも語っている。
 空気と天使は「純粋」の象徴であり、純粋(pure)は、錬金術の考え方では「まじりけがなく、変化しない物質」のことである。
 そして男の愛と女の愛は、純粋な霊(pure spirit)と、元素(element)の最も純粋なものとの間における違いと類似しており、男は愛し、女は男の愛を受け、愛されることにしか関心がなく、男の愛と女の愛の相違と不均衡(注1)であることを次のように歌っている。

  Just such disparity
 As is 'twixt air and angels' purity,
  Twixt women's love, and men's will ever be. (26-28)

     まさにそのような不均衡が
 空気と天使たちの純粋さの差と同じように、
 女の愛と男の愛の間には、常についてまわるのだ。

  (注1)John Donne The Complete English Poems, edited by A. J. Smith (Penguin Classics, 1996)の'Air and Angels'後註より。

 

第2章 愛は時間を超越 ―『一周年記念』―

   All other things, to their destruction draw,
 Only our love hath no decay;
 This, no tomorrow hath, nor yesterday,
 Running it never runs from us away,
 But truly keeps his first, last, everlasting day. (6-10)

 ほかのすべてのものは、破滅に向かって進むのに、
  ぼくたちの愛だけが衰えることはない。
 この愛は、明日もなければ、昨日もなく、
 進みながらも、ぼくたちから遠ざかることなく、
 最初も、最後もない、永遠の日を忠実に守る。

  But souls where nothing dwells but love   (17)

  しかし、二人の魂は愛のほかにはなにも宿さない

 Here upon earth, we are kings,    (23)

 地上にあっては、ぼくらは王さま、

 愛は時間を超越し、二人の魂には愛だけが宿る。そして愛し合う二人は「地上の王さま」。

  Let us love nobly, and live, and add again
  Years and years unto years, till we attain
  To write threescore, this is the second of our reign. (28-30)

  気高く愛し、気高く生きて、
  歳月に歳月を重ね、還暦を迎えて祝おう。
  今日は、ぼくたちの治世の二年目のはじめの日。

 このように歌う『一周年記念』(The Anniversary)は、アン・モアとの結婚一周年を祝う恋唄を感じさせ、「歳月に歳月を重ねて、還暦を迎えて祝おう」というこの一行は、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」を思わせる。
 結婚一周年は、愛し合う二人が一体となった具現化でもある。

 

第3章 愛による殉教 ―『聖列加入』―

 1601年12月に、ダンとアン・モアは秘密結婚をする。翌1602年2月にダンはアンの父親ジョージ・モアに二人の結婚を打ち明けたが、彼の怒りを買ってフリート監獄に投獄され、国璽尚書サー・トマス・エジャトンの秘書の職を解雇される。しかし、4月には聴聞裁判所によって二人の結婚の有効性が認められる。
 そのような経過から『聖列加入』(The Canonization)は、結婚後間もないうちに書かれたと唱える学者たちがいる。
 この詩では動物のイメジャリーなどの比喩表現を用いて二人が一体となったことが謳われる。

  Call us what you will, we are made such by love;
   Call her one, me another fly,
  We are tapers too, and at our own cost die,
   And we in us find the eagle and the dove,
    The phoenix riddle hath more wit
    By us; we two being one, are it.
  So to one neutral thing both sexes fit
   We die and rise the same, and prove
   Mysteriously by this love.      (19-28)

  何とでも呼ぶがいい、恋で結ばれたふたりを。
   彼女が一匹の蛾であれば、僕も一匹の蛾、
  二人は蝋燭でもあり、我が身を焦がして死ぬ。
   僕たちの中には、鷲もいれば鳩もいる。
    不死鳥の謎は、僕たちによって解明される。
    僕たちは、二人で一人という謎そのものだから。
  二つの生が合体して一つの中性と化し、
   僕たちは死に、甦る。そして、
   この恋によって神秘な存在となる。

 そして愛する二人は、その愛ゆえに聖人化され、聖列加入される。
 二人は秘密結婚によって世俗社会から排除され、恋で生きることはできなくても、
 恋で死ぬことはでき、愛の賛歌を謳うことによって殉教者となる。

  We can die by it, if not live by love,   (28)

  恋で生きることはできなくても、恋で死ぬことはできる。

   And by these hymns, all shall approve
  Us canonized for love:         (35-36)

   この愛の賛歌によって、人々はみな、その愛ゆえに、
   僕たちを聖列に加えることをみとめるだろう。

 

第4章 魂の結合と肉体 ―『恍惚』―

その1 恍惚(ecstasy)とは
 『恍惚』は、『唄とソネット』の中で最も長い詩(76行)で、魂の結合と肉体の関係における形而上的詩の代表作の一つといわれ、この詩の中で二人の精神と肉体がセックスを通して結ばれ一体となることが歌われる。
 この詩のタイトルになっている恍惚(ecstasy)は本文中の29行目に出てくるが、恍惚とは肉体から魂が抜け出ることで、OEDでは'to become incapable of sensation, while the soul was engaged in the contemplation of divine things'(感覚が不能となって魂が神聖なものの瞑想にふけった状態)(注1)とある。
 ダンは手紙の中で'ecstasy'を'a departing, and session and suspension of the soul'(魂が分離して浮遊状態になっている)と記している(注2)。
 プラトンは『パンドロス』の中で恍惚状態を愛の狂気と述べている(注3)。
 研究社『英語語源辞典』によれば、ecstasyの初出は14世紀後半、ウィクリフの『聖書』の中で「茫然自失、無我夢中、逆上」の意味で用い、16世紀では「狂気、喜悦、有頂天」の意味をあげ、古典ギリシア語では、普通「困惑、逆上、精神錯乱」の意味であったが、後期ギリシア語では異なった語源解釈を受けた「忘我、自室;法悦」と解されるようになり、英語をはじめその他の近代語ではこの両方の意味が入っていると解説している。
 SchmidtのLexiconでは'ecstasy'を'any state of being beside one's self'として1) extreme delight, rapture; 2) excitement, violent passion, extreme disquietness; 3) madnessと注釈している。

 (注1)Donald R. Dickson編によるJohn Donne's Poetry (A Norton Critical Edition, 2007)
 (注2)C. A. Patrides編によるJohn Donne The Complete English Poems (Everyman, 1994)
 (注3)岩崎宗治編訳『英国ルネサンス恋愛ソネット集』(岩波文庫、2013)、ドレイトンの
    『イデア』57番の語句解説より

その2 二人が一体となる sex

  Where, like a pillow on a bed,
   A pregnant bank swelled up, to rest
  The violet's reclining head,
   Sat we two, one another7s best;   (1-4)

  ベッドの上の枕のように、
   盛り上がって膨れた土手に
  菫の花が頭を傾げている処で、
   愛し合う僕たちは、座っていた。

 1連目は、'pillow', 'pregnant'とsexualな言葉に始まり、「愛と誠実」の表象である'violet'が感覚的官能を誘う。
 そして2連目では、手と手が結ばれ、二人の絡み合う視線が二人の目を一つに結び、3連目で二人が一体となっていく。

  This ecstasy doth unperplex
   (We said) and tell us what we love,
  We see by this, it was not sex,
   We see, we saw not what did move:   (29-32)

  この恍惚が謎を解き、二人が愛しているものが
   何であるかを教えてくれる(と僕たちは言った)。
  二人の動機が、性ではなく、
   何か他のものだと教えてくれる。

 ここで用いられている'sex'が今日使用する「性交」の意味で最初に使われた例としてOEDではこの詩を引用している。それまでは'sex'は、男女の性を区別する生物学的な意味でのみ使用されていた。(注1)
 'sex'のラテン語および印欧語の語源としての意味は'cut oof'(分割、性別に分けること)で、'scissors'(はさみ)や'secateurs'(植木バサミ)に関連した語で、'sex'は男と女を区別する語であったが、ダンが初めて「性交」の意味として用いた。
 ダンの時代の'love'は精神的,情緒的な務めだけでなく性交の務めもあった。
 ダンは'sex'を'love'と区別した最初の詩人、というよりその二つを結び付けた最初の詩人であった。現代においても'love'と'sex'の区別がつけられない。哲学的には心と肉体の問題であり、科学的には愛のないセックスは肉体的テクニックで教化され、宗教的には精神的テクニック、すなわち、神秘主義を通して教化されるとSean Haldaneは述べている。(注2)

 ダンの同時代人であるシェイクスピアもそのことを強く追及したが成功しなかった。シェイクスピアの'love'は男性の友人に捧げられ、'sex'(彼はそれを'lust'と呼んだ)は破滅的なダークレディに向けられた。ダンも破滅的な女性たちを知っていたが、アン・モアに彼の強迫観念であった「貞節」を見出した。(注3)

 (注1)Roy Booth編 The Collected Poems of John Donne (Wordsworth Poetry Library, 1994)で『唄とソネット』の「恍惚」(The Ecstasy) 8連目の31行で使われている'sex'について、BoothはOEDの指摘としての'sex'を注釈している。
 (注2)Student Guide to John Donne, by Sean Haldane (Greenwich Exchange, 2003)のIntroductionより
 (注3)同上

その3 多くのエレメントの混合体 soul

  But as several souls contain
   Mixture of things, they know not what,
  Love, these mixed souls doth mix again,
   And makes both one, each this and that,    (33-36)

  すべてのそれぞれの魂は、
何であるか分からない多くのものを含む混合体。
愛は、この混合された魂をさらにかき混ぜ、
あれこれの区別なく、二つを一つにする。

 「魂と肉体の詩人」ともいわれるダンであるが、この魂(soul)と肉体(body)は『唄とソネット』の中で『恍惚』において最も多く使用されており、'soul'においては15回で全篇中の4割を超え、'body'も5回を数え全篇中3割を占め、'soul'に関連する語の'spirit'や'mind'もそれぞれ1回用いられている。
 「魂」に関連する語としてspirit、mindのほかに'heart'もあるが、それぞれの語彙の語源的意味からさかのぼって比較してみる。(注1)

 'soul'は古英語では「生命;精神、霊魂;死者の魂」「感情、情」「(個々の)人」の意味で用いられ、14世紀末には「根本原理、生命力」として使われ、シェイクスピアの『ソネット』107番で'soul of the world'(世界の根本原理)として用いられ、また『ハムレット』(4.1.50)では「(事物の)精髄」の意味として'Brevity is the soul of wit'(簡潔は機知の精髄)として用いられている。
 アリストテレスの形而上学ではsoulは多くの働きを持つことから、多くのエレメントの混合体からなり、人には「植物の魂(成長)」「感覚の魂(見る)」「理性の魂(理解する)」の3つの魂があると考えていた。(注2)
 『恍惚』の中でダンは、「愛によって二つの魂は一体」となり「新しい魂」となって「二人は一体」となるが、二人が一体となれるのは肉体を通してであると謳う。

その4 肉体と魂を結びつける中間体 spirit
 'spirit'は13世紀には「生命の息吹き、生気」、14世紀には「(超自然的)霊、悪霊」「精神;(死者の)霊」「理性」「活力;気分、気風、気持ち」、ウィクリフの『聖書』では「神聖;神、キリスト」の意味で用いられている。
 ダンはその説教集において、肉体と魂を結びつけるものが'spirit'であるとして「自然の人間を構成するものは、肉体でもなければ魂でもない。魂と肉体の結合体が人間である。人の'spirits'は血液の薄くて活動的な部分であり、肉体と魂の中間体のようなものである。これらのspiritsによって魂の機能、肉体の組織が結合されてはじめて人となる」と説いている。(注3)
 『恍惚』の中で'spirit'は次のように謳われている。

  As our blood labours to beget
   Spirits, as like souls as it can,
  Because such fingers need to knit
   That subtle knot, which makes us man:    (61-64)

  僕たちの血は、できるだけ魂に似せた
   霊気を産み出そうと、産みの苦しみ。
  なぜなら、そのように巧みな指が精巧な結び目を
   結ぶことで、僕たちは人間となれるからだ。

その5 成長する心 mind
 'mind'の語源は、古英語では「記憶(力)、回想」「(感情・意志と区別して理性を働かせる)知性、知力」、14世紀には「意図、意欲、欲望」「意見、意向、好み」「(身体と区別して、思考、感覚、感情、意志などの働きをする)心、精神」、16世紀にはフィリップ・シドニーが「(心の持ち主としての)人間、人」の意味で用いている。

  If any, so by love refined,
   That he soul's language understood,
  And by good love were grown all mind,
   Within convenient distance stood,    (21-23)

  愛の力によって清められた人がいて、
   魂の言葉を理解することができ、
  愛の力で全身精神となった人が、
  折よく、近くにいたならば、

 「精神(心)は愛によって成長する」と謳われている'mind'は、ルネサンス期では精神の機能のヒエラルキーの中で'soul'の上位にあると考えられていた。(注4)

その6 臓器に宿る感情・心 heart
 'heart'の初出は12世紀より前であるが、古英語では臓器としての「心臓、胸」の意味とともに「心、感情;愛情」として用いられ、14世紀初頭には「中心(部)」の意味と、'dear'や'sweet'などの形容詞を関して、「あなた、愛しい人」として用いられ、15世紀半ばには臓器の「胃」、16世紀には「革新、真髄」の意味として用いられるようになった。
 シェイクスピアの『ソネット』154篇中には、'soul'より圧倒的に多く使われ50回を超えて使われている。シェイクスピアの語彙を注釈するSchmidtのLexiconでは臓器としてのheartの意味と「愛情や欲望の所在するところ」として説明している。
 『恍惚』では'heart'は使用されていないが、『唄とソネット』全篇では'soul'の37回と並んで多く36回使われている。

その7 愛の神秘の教本「肉体」 body

  We owe them thanks, because they thus,
   Did us, to us, at first convey,
  Yielded their forces, sense, to us,
   Nor are dross to us, but allay.    (53-56)

  僕たちは肉体に感謝する。というのは、肉体は、
   このように、はじめて二人を引き合わせ、
  僕たちに力と感覚を譲ってくれたのだから。
 肉体はかすではなく、合金である。

 人は魂だけでなるものではない。魂と肉体があってはじめて人となる。
 愛が完成されるのも、魂と肉体によってである。
 二人は肉体を通して初めて出会い、魂は肉体を通して魂へと流れていく。

  So must pure lovers' souls descend
   T' affections, and to faculties,
  Which sense may reach and apprehend,
   Else a great prince in prison lies.

  To our bodies turn we then, that so
   Weak men on love revealed may look;
  Love's mysteries in souls do grow,
   But yet the body is his book       (65-72)

  同じように、純粋な恋人たちの魂も、
   感覚が到達して把握できる
  感情や気質にまで降りていかねばならない。
   そうしなければ、偉大な王さまも牢にいるも同然。

  だから僕たちも肉体に戻ろう、そうすれば、
   信仰の薄い者にも神の教えの愛を見ることができる。
  愛の神秘は魂の中で育ち、
   肉体はその教本である。

 肉体を通して出会った魂と魂が一つになり、その一つとなった魂は再び肉体へと戻ることによって 神の愛、愛の神秘を知ることができる。そのとき肉体は、愛の教本となる。
 魂が「牢にいるも同然」ということは、プラトン的な伝統的な考えでは、魂は感覚によって肉体の中に閉じ込められていると考えられていたことによる。(注5)

 (注1)語源については研究社の『英語語源辞典』を参照。
 (注2)John Donne The Complete English Poems, edited by A. J. Smith (Penguin books, 1996)
 (注3)同上
 (注4)John Donne The Complete English Poems, edited by C. A. Patrides (Everyman Library, 1994), The Extasie脚注より。
 (注5)同上

 

第5章 二人が一体となるアレゴリーの詩 ―『蚤』―

  Mark but this flea, and mark in this,
  How little that which thou deny'st me is;
  Me it sucked first, and now sucks thee,
  And in this flea, our two bloods mingled be;
  Confess it, this cannot be said
  A sin, or shame, or loss of maidenhead,
    Yet this enjoys before it woo,
    And pampered swells with one blood made of two,
    And this, alas, is more than we would do. (1-9)

  この蚤をご覧なさい、こいつを見れば、
  きみが僕に拒んでいるものがどんなに些細なことか分かるはず。
  こいつはまず僕の血を吸ってから、つぎにきみの血を吸う、
  そこで、こいつの中で僕ら二人の血が混じり合う。
  それが罪であるとか、恥であるとか、
  処女喪失などとは言えないはず。
    こいつは求婚する前にお楽しみ、
    二人の血を一つにしてお腹を膨らませては、
    悔しいことに、僕たちよりもやりたい放題。

 『蚤』は、ダンの詩の中で最もヴィジュアルでドラマティックな詩の一つ(注1)で、蚤を通して二人が一体となるアレゴリー詩である。
 「二人の血が混じり合う」とは、アリストテレスの生理学に従えば、性交は必然的に血の混合を伴うものであり、蚤の中で一緒になった二人の血は「この蚤はきみであり、僕でもある」(This flea is you and I)ことになる。

 (注1)John Donne Selected Poems, Oxford Student Texts, edited by Richard Gill (Oxford University Press, 1990)

 

第6章 New lifeのメタファー『おはよう』

  Let sea-discoverers to new worlds have gone,
   Let maps to others, worlds on worlds have shown,
  Let us possess one world, each hath one, and is one.

   My face in thine eye, thine in mine appears,
    And true plain hearts do in the faces rest, (12-16)

   新世界発見の旅は航海者に任せ、
   地図を広げて、世界の上に世界を重ね、ほかの人に見せよう。
  僕たちは一つの世界を所有し、各々一つの世界を持ち、しかも二人で一つ。

   きみの瞳には僕の顔が、僕の目にはきみの顔が映っており、
    二つの顔には、誠実で偽りのない心が宿っている。

 ルネサンス期は大航海時代でもあり、新世界発見の時代でもあった。
 『おはよう』(The Good Morrow)では大航海時代の海のイメジャリーが用いられ、新世界発見は「新しい生活、新しい命」のメタファーとして、「僕たちは一つの世界を所有し、各々一つの世界を持ち、しかも二人で一つ」となり、夜が明ければ、新しい「生」への目覚めとともに、大人の愛への再生が始まり、一体となった二人の愛が弛むことがなければ二人にとっては死などなく、永遠の愛が続くことが謳われる。

   If our two loves be one, or, thou and I
  Love so alike, that none do slacken, none can die. (20-21)

   僕たち二人の愛が一つとなり、きみと僕とが
  等しく愛し合い、弛むことがなければ、二人にとって死などない。

 

第7章 二人は一体、コンパスの脚―『別れ―嘆くのはおよし』

  Our two souls therefore, which are one,
   Though I must go, endure not yet
  A breach, but an expansion,
   Like gold to aery thinness beat.

     If they be two, they are two so
   As stiff twin compasses are two,
  Thy soul the fixed foot, makes no show
   To move, but doth, if th’other do.

     And thought it in the centre sit,
   Yet when the other far doth roam,
  It leans, and hearkens after it,
   And grows erect, as that comes home.

     Such wilt thou be to me, who must
   Like th’other foot, obliquely run;
  Thy firmness makes my circle just,
   And makes me end, where I begun.       (21-36)

  僕たちの魂は二つであって、一つ、
   だから僕が旅立っても、引き裂かれる
  のではなく、引き伸ばされるだけで、
   打ち伸ばされた金が薄い箔になるようなもの。

  二人の魂は二つであっても、
   コンパスの二本脚のようなもの。
  きみの魂は固定された方の脚、動かぬように
   見えても、片方が動けば、つられて動く。

  心に腰を据えていても、
   片方が遠くをさまよえば、
  身を傾けて、聞き耳を立て、
   帰ってくれば、再び直立する。

  きみが僕に対してそのようにあれば、僕は
   もう一方の脚のように、斜めに走る。
  きみは動かずにいて、僕は正しく円を描き、
   描き終われば、元の場所に戻ってくる。

 この詩は、アイザック・ウォルトンがダンの伝記の中で、ダンが1611年にドルリー家の家族とフランスに旅立つに際して、妻のアンにあてて書いた詩であろうと推測している。
 コンパスの比喩で有名な詩でもあるが、二人が一体であることをコンパスの脚の比喩に見たてたところがユニークである。

第8章 むすび

 ルネサンス期のソネット恋愛詩は、実体としての女性ではなく、理想像化された女性に捧げる詩が主流をなしているが、16世紀最後の掉尾を飾る二人の詩人、シェイクスピアとジョン・ダンはそれとは異にする異色の詩人といえる。
 シェイクスピアは、彼の戯曲の作品でもそうであるが、外見ではなく内面を常に見据えており、『ソネット集』では、126篇までは女性ではなく美しい青年に向けられており、127番から152番までは当時の美の基準からは外れたダークレディに対して捧げられている。
 シェイクスピアのソネットとほとんど同時期に書かれたジョン・ダンの『唄とソネット』も、その女性観は他のルネサンス期の詩人たちとは大いに異なり、人とは魂と肉体が一体の存在であるという彼の基本的な考えのもとに、愛とは二人が一体になることであると謳う。
 この小論では『唄とソネット』のなかで、二人が一体となることが直接的に表現されている詩を選び出してそのことを検証した。
 ダンにとっては魂と肉体とは切れない関係にあり、「愛」は「魂の子ども」である点においても、愛と肉体とは切っても切れない関係となっているが、シェイクスピアでは、愛は「魂」というより「心」との関係が深いといえる。
 ダンの魂と愛、シェイクスピアの魂と心の関係については、別表の一覧表を参考に見てほしい。文中の翻訳はすべて高木の訳による。  
                                      (2021.03.25)

 
付表:  ジョン・ダンの『唄とソネット』における「魂」と「肉体」と「愛」について
No.
 タイトル
soul
spirit
mind
heart
love(n)
love(v)
lover(s)
body
1
 空気と天使
1
     
9
1
 
2
2
 一周年記念
2
     
3
1
 
1
3
 幽霊
1
4
 餌
1
5
 花
1
5
1
1
2
6
 夜明け
1
4
1
7
 砕かれた心
6
6
1
8
 聖列加入
1
1
8
3
9
 共有財産
1
3
10
 計算
11
 制限された愛
1
1
12
 呪い
1
13
 毒気
1
1
14
 溶解
1
1
1
15
 夢
1
1
2
1
16
 恍惚
15
1
1
4
1
2
5
17
 臨終
1
1
18
 恋よさらば
2
1
1
19
 熱病
1
1
20
 蚤
21
 弔い
2
1
22
 おはよう
1
1
3
2
23
 無責任
2
4
24
 贈られた黒玉の指輪
2
1
25
 影についての講釈
9
26
 形見
4
1
27
 恋人の無限性
5
7
28
 恋の錬金術
2
2
3
1
1
29
 愛の神さま
1
5
13
1
30
 愛の食事療法
1
2
1
31
 愛の取引
1
1
9
32
 愛の成長
1
10
33
 愛の神の高利
1
4
2
1
34
 伝言
2
35
 否定的愛
1
3
36
 聖ルーシーの日の夜想曲
2
1
2
1
2
1
37
 逆説
2
5
2
38
 桜草
1
2
1
39
 禁止
3
5
40
 聖遺物
1
3
1
41
 自己愛
1
3
42
 唄(流れ星を捕まえてこい)
1
43
 唄(愛しい人よ」)
1
1
2
1
44
 ソネットー愛のしるし
2
1
45
 日の出
1
1
46
 三重の馬鹿
2
1
47
 トウィックナムの庭園
1
3
1
1
48
 大仕事
1
4
49
 別れー嘆くのはおよし
4
1
3
1
50
 別れー書物に寄せて
1
1
1
1
12
51
 別れー窓に刻まれた僕の
 名前に寄せて
3
1
2
2
52
 別れー涙に寄せて
53
 遺言
12
3
1
54
 似顔絵による魔術
1
55
 女の貞操
1
1
1
合   計
37
4
14
36
154
70
19
16
 シェイクスピアのソネット
12
9
20
57
171
52
5
7

 

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