第4章 魂の結合と肉体 ―『恍惚』―
その1 恍惚(ecstasy)とは
『恍惚』は、『唄とソネット』の中で最も長い詩(76行)で、魂の結合と肉体の関係における形而上的詩の代表作の一つといわれ、この詩の中で二人の精神と肉体がセックスを通して結ばれ一体となることが歌われる。
この詩のタイトルになっている恍惚(ecstasy)は本文中の29行目に出てくるが、恍惚とは肉体から魂が抜け出ることで、OEDでは'to become incapable of sensation, while the soul was engaged in the contemplation of divine things'(感覚が不能となって魂が神聖なものの瞑想にふけった状態)(注1)とある。
ダンは手紙の中で'ecstasy'を'a departing, and session and suspension of the soul'(魂が分離して浮遊状態になっている)と記している(注2)。
プラトンは『パンドロス』の中で恍惚状態を愛の狂気と述べている(注3)。
研究社『英語語源辞典』によれば、ecstasyの初出は14世紀後半、ウィクリフの『聖書』の中で「茫然自失、無我夢中、逆上」の意味で用い、16世紀では「狂気、喜悦、有頂天」の意味をあげ、古典ギリシア語では、普通「困惑、逆上、精神錯乱」の意味であったが、後期ギリシア語では異なった語源解釈を受けた「忘我、自室;法悦」と解されるようになり、英語をはじめその他の近代語ではこの両方の意味が入っていると解説している。
SchmidtのLexiconでは'ecstasy'を'any state of being beside one's self'として1) extreme delight, rapture; 2) excitement, violent passion, extreme disquietness; 3) madnessと注釈している。
(注1)Donald R. Dickson編によるJohn Donne's Poetry (A Norton Critical Edition, 2007)
(注2)C. A. Patrides編によるJohn Donne The Complete English Poems (Everyman, 1994)
(注3)岩崎宗治編訳『英国ルネサンス恋愛ソネット集』(岩波文庫、2013)、ドレイトンの
『イデア』57番の語句解説より
その2 二人が一体となる sex
Where, like a pillow on a bed,
A pregnant bank swelled up, to rest
The violet's reclining head,
Sat we two, one another7s best; (1-4)
ベッドの上の枕のように、
盛り上がって膨れた土手に
菫の花が頭を傾げている処で、
愛し合う僕たちは、座っていた。
1連目は、'pillow', 'pregnant'とsexualな言葉に始まり、「愛と誠実」の表象である'violet'が感覚的官能を誘う。
そして2連目では、手と手が結ばれ、二人の絡み合う視線が二人の目を一つに結び、3連目で二人が一体となっていく。
This ecstasy doth unperplex
(We said) and tell us what we love,
We see by this, it was not sex,
We see, we saw not what did move: (29-32)
この恍惚が謎を解き、二人が愛しているものが
何であるかを教えてくれる(と僕たちは言った)。
二人の動機が、性ではなく、
何か他のものだと教えてくれる。
ここで用いられている'sex'が今日使用する「性交」の意味で最初に使われた例としてOEDではこの詩を引用している。それまでは'sex'は、男女の性を区別する生物学的な意味でのみ使用されていた。(注1)
'sex'のラテン語および印欧語の語源としての意味は'cut oof'(分割、性別に分けること)で、'scissors'(はさみ)や'secateurs'(植木バサミ)に関連した語で、'sex'は男と女を区別する語であったが、ダンが初めて「性交」の意味として用いた。
ダンの時代の'love'は精神的,情緒的な務めだけでなく性交の務めもあった。
ダンは'sex'を'love'と区別した最初の詩人、というよりその二つを結び付けた最初の詩人であった。現代においても'love'と'sex'の区別がつけられない。哲学的には心と肉体の問題であり、科学的には愛のないセックスは肉体的テクニックで教化され、宗教的には精神的テクニック、すなわち、神秘主義を通して教化されるとSean Haldaneは述べている。(注2)
ダンの同時代人であるシェイクスピアもそのことを強く追及したが成功しなかった。シェイクスピアの'love'は男性の友人に捧げられ、'sex'(彼はそれを'lust'と呼んだ)は破滅的なダークレディに向けられた。ダンも破滅的な女性たちを知っていたが、アン・モアに彼の強迫観念であった「貞節」を見出した。(注3)
(注1)Roy Booth編 The Collected Poems of John Donne (Wordsworth Poetry Library, 1994)で『唄とソネット』の「恍惚」(The Ecstasy) 8連目の31行で使われている'sex'について、BoothはOEDの指摘としての'sex'を注釈している。
(注2)Student Guide to John Donne, by Sean Haldane (Greenwich Exchange, 2003)のIntroductionより
(注3)同上
その3 多くのエレメントの混合体 soul
But as several souls contain
Mixture of things, they know not what,
Love, these mixed souls doth mix again,
And makes both one, each this and that, (33-36)
すべてのそれぞれの魂は、
何であるか分からない多くのものを含む混合体。
愛は、この混合された魂をさらにかき混ぜ、
あれこれの区別なく、二つを一つにする。
「魂と肉体の詩人」ともいわれるダンであるが、この魂(soul)と肉体(body)は『唄とソネット』の中で『恍惚』において最も多く使用されており、'soul'においては15回で全篇中の4割を超え、'body'も5回を数え全篇中3割を占め、'soul'に関連する語の'spirit'や'mind'もそれぞれ1回用いられている。
「魂」に関連する語としてspirit、mindのほかに'heart'もあるが、それぞれの語彙の語源的意味からさかのぼって比較してみる。(注1)
'soul'は古英語では「生命;精神、霊魂;死者の魂」「感情、情」「(個々の)人」の意味で用いられ、14世紀末には「根本原理、生命力」として使われ、シェイクスピアの『ソネット』107番で'soul of the world'(世界の根本原理)として用いられ、また『ハムレット』(4.1.50)では「(事物の)精髄」の意味として'Brevity is the soul of wit'(簡潔は機知の精髄)として用いられている。
アリストテレスの形而上学ではsoulは多くの働きを持つことから、多くのエレメントの混合体からなり、人には「植物の魂(成長)」「感覚の魂(見る)」「理性の魂(理解する)」の3つの魂があると考えていた。(注2)
『恍惚』の中でダンは、「愛によって二つの魂は一体」となり「新しい魂」となって「二人は一体」となるが、二人が一体となれるのは肉体を通してであると謳う。
その4 肉体と魂を結びつける中間体 spirit
'spirit'は13世紀には「生命の息吹き、生気」、14世紀には「(超自然的)霊、悪霊」「精神;(死者の)霊」「理性」「活力;気分、気風、気持ち」、ウィクリフの『聖書』では「神聖;神、キリスト」の意味で用いられている。
ダンはその説教集において、肉体と魂を結びつけるものが'spirit'であるとして「自然の人間を構成するものは、肉体でもなければ魂でもない。魂と肉体の結合体が人間である。人の'spirits'は血液の薄くて活動的な部分であり、肉体と魂の中間体のようなものである。これらのspiritsによって魂の機能、肉体の組織が結合されてはじめて人となる」と説いている。(注3)
『恍惚』の中で'spirit'は次のように謳われている。
As our blood labours to beget
Spirits, as like souls as it can,
Because such fingers need to knit
That subtle knot, which makes us man: (61-64)
僕たちの血は、できるだけ魂に似せた
霊気を産み出そうと、産みの苦しみ。
なぜなら、そのように巧みな指が精巧な結び目を
結ぶことで、僕たちは人間となれるからだ。
その5 成長する心 mind
'mind'の語源は、古英語では「記憶(力)、回想」「(感情・意志と区別して理性を働かせる)知性、知力」、14世紀には「意図、意欲、欲望」「意見、意向、好み」「(身体と区別して、思考、感覚、感情、意志などの働きをする)心、精神」、16世紀にはフィリップ・シドニーが「(心の持ち主としての)人間、人」の意味で用いている。
If any, so by love refined,
That he soul's language understood,
And by good love were grown all mind,
Within convenient distance stood, (21-23)
愛の力によって清められた人がいて、
魂の言葉を理解することができ、
愛の力で全身精神となった人が、
折よく、近くにいたならば、
「精神(心)は愛によって成長する」と謳われている'mind'は、ルネサンス期では精神の機能のヒエラルキーの中で'soul'の上位にあると考えられていた。(注4)
その6 臓器に宿る感情・心 heart
'heart'の初出は12世紀より前であるが、古英語では臓器としての「心臓、胸」の意味とともに「心、感情;愛情」として用いられ、14世紀初頭には「中心(部)」の意味と、'dear'や'sweet'などの形容詞を関して、「あなた、愛しい人」として用いられ、15世紀半ばには臓器の「胃」、16世紀には「革新、真髄」の意味として用いられるようになった。
シェイクスピアの『ソネット』154篇中には、'soul'より圧倒的に多く使われ50回を超えて使われている。シェイクスピアの語彙を注釈するSchmidtのLexiconでは臓器としてのheartの意味と「愛情や欲望の所在するところ」として説明している。
『恍惚』では'heart'は使用されていないが、『唄とソネット』全篇では'soul'の37回と並んで多く36回使われている。
その7 愛の神秘の教本「肉体」 body
We owe them thanks, because they thus,
Did us, to us, at first convey,
Yielded their forces, sense, to us,
Nor are dross to us, but allay. (53-56)
僕たちは肉体に感謝する。というのは、肉体は、
このように、はじめて二人を引き合わせ、
僕たちに力と感覚を譲ってくれたのだから。
肉体は滓ではなく、合金である。
人は魂だけでなるものではない。魂と肉体があってはじめて人となる。
愛が完成されるのも、魂と肉体によってである。
二人は肉体を通して初めて出会い、魂は肉体を通して魂へと流れていく。
So must pure lovers' souls descend
T' affections, and to faculties,
Which sense may reach and apprehend,
Else a great prince in prison lies.
To our bodies turn we then, that so
Weak men on love revealed may look;
Love's mysteries in souls do grow,
But yet the body is his book (65-72)
同じように、純粋な恋人たちの魂も、
感覚が到達して把握できる
感情や気質にまで降りていかねばならない。
そうしなければ、偉大な王さまも牢にいるも同然。
だから僕たちも肉体に戻ろう、そうすれば、
信仰の薄い者にも神の教えの愛を見ることができる。
愛の神秘は魂の中で育ち、
肉体はその教本である。
肉体を通して出会った魂と魂が一つになり、その一つとなった魂は再び肉体へと戻ることによって 神の愛、愛の神秘を知ることができる。そのとき肉体は、愛の教本となる。
魂が「牢にいるも同然」ということは、プラトン的な伝統的な考えでは、魂は感覚によって肉体の中に閉じ込められていると考えられていたことによる。(注5)
(注1)語源については研究社の『英語語源辞典』を参照。
(注2)John Donne The Complete English Poems, edited by A. J. Smith (Penguin books, 1996)
(注3)同上
(注4)John Donne The Complete English Poems, edited by C. A. Patrides (Everyman Library, 1994), The Extasie脚注より。
(注5)同上
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