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花の都フィレンツイエ
 

      「うるわしき若さも

      とどむすべなし

      愉しみてあれ

      明日知らぬ身なれば」         ― ロレンツオ・デ・メデイチ

 

辻邦夫の大作『春の戴冠』の扉を飾る、この物語を象徴する詩である。『春の戴冠』は、周知のように「春」(プリマヴェーラ)や「ヴィーナス誕生」で知られるボッテイチェルリの物語で、その冒頭は次のようにして始まる。

<わが都市(まち)フィオレンツア(フィレンツエ)に生まれた芸術家のひとり、アレッサンドロ・デイ・マリアーノ・デイ・フィリペーピ、世にサンドロ・ボッテイチェルリと呼ばれる画家の回想を語る・・・>

フィレンツエに来ると眩暈を感じる。フィレンツエという都市に圧倒されてしまうのだ。都市そのものが芸術であり、芸術に溢れている。それは31年前、初めてこの地を訪れた時と今もその印象は変わらない。それをパックツアーの半日の見学で見てしまおうなどということ自体が無謀なことである。風のように走り抜けるだけの見学に終ってしまう。「見る」ことより、「感じる」ことが大事である。感じるためには、それを醗酵させるだけの閑かな時間の経過が必要である。時間に溶け込む必要がある。

しかし、今回はパックツアー。ない物ねだりはよしにして、「見る」ことに集中しよう。

フィレンツイエは現在トスカーナ州の州都で、古くは毛織物業で栄え、それで得た利益を国王や諸侯に貸し付けることで銀行業を発展させ、13世紀から15世紀までヨーロッパの金融の首府として君臨した。フィレンツエの支配者となったメデイチ家も、銀行業で財をなした一族であった。そしてそのメデイチ家の庇護を受けた芸術家達によって、ルネサンスの文化の花が開いた。『君主論』を著したマキアヴェリもこのフィレンツエの生まれであり、生家はポンテ・ヴェッキオがかかるアルノ川の近くであった。

フィレンツエ郊外のホテル・シェラトンを8時前に出発し、フィレンツエ市内へと入る。やはりヴァカンスのため通勤ラッシュの車もなく、スムースにバスは走る。市内に入る前にミケランジェロの「ダヴィデ像」(コピー)があるミケランジェロ広場に登って、市内を展望。

フィレンツエは、『春の戴冠』のフィチーノの言葉を借りて言えば、一切が<神的なもの>に包まれた<甘美な喜び>の都市であり、フィレンツエの美術に触れることは、<神的なもの>に触れる強い喜びである。ボッテイチェルリの「春」を見て官能的な歓喜に溢れるのは、永遠なるものへの憧れの充足感からであろう。

ウフツイ美術館は、かつてメデイチ家の事務局で、フィレンツエの行政局uffici=officeが置かれていたことからその名がついた。メデイチ家が財力を結集した美術がここにある。ボッテイチェルリの「春」や「ヴィーナス誕生」もここにある。今回は31年前ほどには感動を覚えなかった。それは、おそらくはじめに述べたように、「時間」の制約のせいでもある。

駆け足で見るようにしてウフツイ美術館をあとにして、シニョーリア広場から、花の聖母教会・ドウモへと足を向ける。白とピンクとグリーンの大理石の幾何学的模様がいつ見ても美しい。そしてその巨大さに圧倒される。

フィレンツエもわずか半日の見学で、午後からはピサに向かう。

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