■神田伊織、『東京大空襲』
神田伊織は、自作のオリジナル『東京大空襲』。
いつものように、本題に入っていくまでのマクラを聴くのも楽しみの一つ。前の週に同じ会場で怪談『実録累ヶ淵』を語った後でもあって、マクラは講談と怪談話との関係から始め、幽霊となって出てくるのは大体決って報われない弱い立場の人物が多く、生前に言うことができなかったこと、思い残したことを告げるために出てくるという話から、10万人もの人たちが亡くなった東京大空襲の話へと入っていく。
東京大空襲では、亡くなった人の事が何もわかっていない人も数多くいて、その人たちの気持は幽霊となって語ることもできないと言って、『東京大空襲』の作品を作るきっかけとなった話へとつなげられていった。
伊織にとって『東京大空襲』は思い入れの強い作品だという。この作品は5年前に作られたものであるが、そのきっかけは彼が大学院生であった17年前にさかのぼる。当時、彼は戦前戦中の思い出話の聞き書きに取り組んでいて、その際にある男性から東京大空襲をめぐる体験談を聴く機会があり、その話に感動して記録を書いたものの発表する機会もなく眠らせていたが、講談師となってこの話を語り伝えるようになったという。
東京大空襲という悲惨な出来事の中で、一人の男性の淡いロマンを語ることで却ってこの戦争の理不尽さ、そして非戦闘員である一般庶民への無差別大量殺人の非道さへの強い憤りを感じさせる。声高に戦争反対と叫ぶより、もっと強いメッセージを感じる話である。この男性の思い出の人の死は、死体も発見されないままであるが、一人の男性の記憶の中で生き続けている。
伊織のこの話を聞くのは今回が初めてではないが、新たな気持で話に引き込まれていったのは、彼の講談師としての一段と進歩している証でもあろう。
■神田香織、『はだしのゲン総集編~ふまれても麦のように生きろ!ゲン』
神田香織の講談にはいつも感動で心を揺さぶられる。
彼女の「はだしのゲン」を題材にした講談は38年前にさかのぼるというが、この話をするのには体力と気力を消耗するので気おくれしてしまうという。
彼女には、社会、あるいは政治といってもいいだろうが、その理不尽さへの憤りの情念のようなものが込められており、その寄せようのない怒り、憤怒が内に煮えたぎるようにして含まれているので、自ずと気力と体力を奪うのであろう。その憤りに拍車をかけているのが、原作の漫画『はだしのゲン』が政治的な偏りを子供たちに与えるという理由で、図書館や教育の現場から剥奪(!!)されていっているという現実に対しても向けられている。
この親子会は、神田香織が主宰する講談教室の塾生(年配者が大半である)たちで満席となっていたが、もっと若い人たちをはじめ、広く聴いてもらいたい話である。そのことをいつも痛感して聴いている。
この話しも直接的に戦争反対や核兵器反対を声高に主張するものではないが、それが却ってそのことを強く感じるのは伊織の『東京大空襲』と同じである。
原爆が広島に落とされた8月6日から、玉音放送が流された8月15日まで、ゲンが体験した9日間の出来事が語られる。9歳のゲンが、生まれたばかりの赤ん坊と母親の為に必死で米を求める姿は一見ユーモラスに語られることで、却ってそのけなげさとたくましさに強く感動させられる。
被爆者という被害者が、同じ地域に住む住民たちから偏見と差別を受ける理不尽さが胸を突く。
全身焼けただれて包帯にくるまれた画家の政二は、実の兄や家族全員から疎まれ、遠ざけられているのを、ゲンは本気になって世話をする。ゲンが本気で政二に怒ったことで、政二は心を開いていく。
戦争に対してゲンは子供心に肯定的に受け入れていたが、父親の影響で疑問の気持も抱いている。 そんな普通の子どもであるゲンを通して語られるだけに、この戦争の理不尽さがいっそう強く感じられることになる。
神田香織の講談には音響と照明がつきもので、話の印象を深める効果を果しているのも特徴の一つである。
ずっと語り継がれていくべき話であることを強く感じる。語り続けて下さい!!そして、多くの若い人たちにも是非聞いてもらいたい!!
8月2日(金)18時45分開演、なかの芸能小劇場、木戸銭:3000円
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