高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
    神田伊織連続講談会 怪談 『実録累ヶ淵』            No. 2024-022

 本編を聴くのも楽しいが、マクラを聴くのも面白くいつも楽しみにして聞いている。
 講談の世界では夏は怪談、冬は義士と相場は決まっているそうであるが、前座の期間はこの二つは語ることができないという。怪談については、講談師ならぬ「怪談師」なるものもあるということで、しかも講談師よりも盛んであるという。神田伊織が前座の時代に講談師と怪談師の共演(競演)にも携わった経験なども語られた。
 この日の演目である「累ヶ淵」の「累」(カサネ)はこの噺のヒロインの名前で実は「ルイ」と読むのが本当であるというが、伊織の実家で飼っている犬のパピヨンの名前が代々「ルイ」というので、それを憚ってこの噺でも通常呼びならわされている「カサネ」で通すことにすると本編を切り出した。
 当日会場でチラシを見直すまで演目のタイトルを『真景累ヶ淵』と思っていたが、「実録」となっているのに気づいた。この話はマクラでも紹介されたが江戸時代に実際にあった話から取られたものである。
 ラジオやテレビ、新聞などの大衆メディアがなかった時代、講談や芝居は一面でそのようなメディアの役割を果たしていたと思う。朝日新聞の土曜版で連載されている沢木耕太郎の『暦のしずく』で、主人公の江戸時代の講談師馬場文耕が造り物の話ではなく本当にあったことを語るのに腐心して、実際にあった事件の真相を追及して人気を得たことが書かれている。そのために彼は後に刑罰を受けて死ぬことになるのだが、芝居の定番である「義士」がそうであるように、当時、事実をそのままに伝えることは禁止もされていて、そのため「義士」も時代や人の名前を変えて上演されたのはよく知られていることである。
 話が横道にそれてしまったが、聴衆はそれが事実に基づいたものであるということで一層関心を持つ。この『実録累ヶ淵』もそうであった。この話の舞台は、下総国岡田郡羽生村で江戸時代に実際に起こった話として記録されている。
 神田伊織の話の面白さはその構成にあり、60年にわたる話の切り口を話の舞台である羽生村の出来事として、鬼怒川の氾濫を抑えるために人柱を立てて洪水から免れたものの、水が引いた後疫病が蔓延し、人柱の祟りだとして犠牲にした女性の供養をすると病気のまん延がおさまったというところから始め、ヒロインのカサネの話へと導いていくところにある。
 カサネは生まれながらにして片眼がつぶれ、足が不自由で、三十を過ぎても独り者である。父親の与右衛門が残してくれた田畑を一人で懸命に耕し、稼いだ金で更に田畑を増やしていったが、その醜い容貌のため誰も彼女を嫁にするものがいない。見かねた庄屋が、流れ者をカサネの夫にし、代々の名前である与右衛門の名を継がせる。夫の与右衛門は、はじめの間こそ自分を拾い上げてくれたカサネに感謝し気を使っていたが、そのうちに外に若い女を囲うようになりカサネを疎ましく思うようになる。そうして与右衛門は邪魔になったカサネを鬼怒川に落として殺してしまう。その一部始終を見ていた者がいたが、その者は真実を告げないまま黙っている。こうして与右衛門は晴れて囲っていた女を後添いとして家に入れるが、すぐに病気で亡くなってしまう。その後も5人の後添えを入れるがみんな病気で早死にしてしまうが、6人目の妻が女の子の「キク」を生むが、すぐに亡くなってしまう。
 このキクが夫を迎えるが、病に伏せるようになって一向に病気が快復しない。夫が心配して声をかけると、キクの声が突然変わって、カサネが乗り移り、それを見た夫は驚いて逃げ出してしまう。
 その話を聞いた近隣の寺の祐天上人が仏法の力でキクの病を鎮めるが、カサネが乗り移ったキクの話でキクの父親の与右衛門の所業が明るみに出され、与右衛門は仏門に入り、カサネには改めて供養を施すことでキクの病が癒える。
 しかし、治ったと思ったキクが再び同じような病に侵され、祐天上人が出向く。キクはカサネではなく「スケ」という名を口にして苦しんでいる。だが、村人たちはそのような名前の子を誰も知らない。80歳になる古老が呼び出され、やっとその名前の子のことが明らかになる。
 カサネの父与右衛門の後妻は、顔が醜く片目がつぶれ、足が不自由なスケを連れ子にしていたが、与右衛門はその子が疎ましく、ついにはその子を妻に、鬼怒川に溺れさせて殺させてしまったことが語られる。
 その事実が分かったことで祐天上人はスケの供養をし、それからはキクもすっかり回復したという話である。
 このように代々に渡る因縁話を、そのきっかけとなった出来事を最後に持ってくることで、カサネのすべてが解けるという構成で、話がストンと落ちる。
 自分が勘違いしていた『真景累ヶ淵』は、落語家の三遊亭圓朝の創作で、講談にも移入されている「宗悦殺し」や「豊志賀の死」で、はじめはこの噺かと思っていたが、予想していた内容とは異なっていたが、伊織の身を乗り出して語る鬼気迫る語り口にぐいぐい引き込まれていった。
 マクラでも語られたが、怪談は人間関係の機微に渡る感情を含み、語るにも難しく、年を重ねて数も増やして語っていきたいと言っていたが、この噺を聴いていてまさにその通りだと感じ、神田伊織が歳をとった時に語るのも聞いてみたいと思うが、自分の年齢を思うとそれは叶わぬ夢である。
 1時間10分に及ぶ長い講演のあと、10分間の中入りの後、質問コーナーが設けられ、予めアンケート用紙に書かれていた質問に答えるという今回初めての試みで、有意義で貴重な話をたくさん聞くことができたのもよかった。


7月27日(土)10時開演、なかの演芸小劇場、木戸銭:2100円

 

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