高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   ケイコプロジェクト主催・岡田正子追悼公演 『インディアン』    No. 2024-011

 この公演は、2022年6月に93歳で亡くなった翻訳家で演出家でもあった岡田正子が亡くなったのを追悼してのもので、出演者のお一人からの案内で観劇することが出来たのだが、その案内と情報がなければ決して観ることも知る事も出来なかった貴重な体験をさせてもらえたことにまず感謝の意を表したい。
 作者のピエール・ルーディについても、この劇の翻訳者でもある岡田正子について全く無知であるが、この劇の挨拶文によると、「元々ラジオドラマの台本として書かれてもので、日本では1980年に、日本で演出活動をしていた二コラ・バタイユが舞台化したが、その後上演されることもなく忘れさられていた戯曲」だという。
 「この劇は、一組の夫婦が織りなす劇的風景とでも言えるもので」、とあるパリの郊外にある町(あるいは村)に老年の夫婦が、歩き疲れてレストランへ入っていくところからこの舞台は始まる。
夫婦は交通事故で亡くした息子の墓参りにこの町までやって来たことが、二人の会話から分かる。しかも、息子の死から2年も経ってから初めての墓参である。息子は、目の前に飛び込んできた女性をとっさに避けるために切ったハンドル操作を誤って側道に突っ込み事故死したことが語られる。しかし、その女性はいまだに見つかっていないという。
 駅から墓地までの距離が遠く離れていて、二人は喉が渇いていてビールを注文する。ウェイターがグラスに2杯のビールを運んでくるが、その一つが女性のためのものだと分かると、それを引き下げてしまう。夫は何故だと問い詰めると、ウェイターは店の規則だと答える。ウェイターとの押し問答で埒が明かず、夫は店長を呼ぶが「規則」だとの一点張りで理由も何もなく、徒労に帰す。
 こんな所にはおられないと、夫は夕方5時の汽車で帰ろうと言って店を出ようとすると、ウェイターが今日はもう汽車は出ませんと言う。夫はそんなことはない、帰りの切符をちゃんと買っているというと、汽車は一日おきにしか出ないので、それは明日の5時だと言う。
夫婦はその言葉を信じず駅まで行くが、ウェイターの言った通り、駅員から「今日は汽車は出ません」と言われ、二人は仕方なくその町に泊まることにするが、この日営業しているのは先ほど妻がビールを断られたレストランのあるホテルだけだと言う。
 駅から再びそこまで戻って宿泊を頼むと、夫は歓迎だが妻の方は駄目だと言う。その理不尽に警察に訴えると言うと、折よく警察署長がやって来るが、警察署長はむしろ助長してこの町では女性はすべて禁制されているのだと答える。
 パリに戻るにも、タクシーも車もなく、電話も通じず、どこにも泊まるところがなく、夫婦は教会にすがりつくが、ここでも女は駄目だと断られ、いろいろさ迷い歩いたあげく、教会の軒先の石畳の上で一夜を過ごすことにする。
 喘息持ちの夫は、男だけなら泊まれるのに妻のために泊まることもできず、レストランで食事をすることもできないことから、妻に対して次第に悪態をつくようになり二人の関係が剣呑になっていくが、それでも夫は妻の傍で一緒になって石畳の上で寝る。
 深夜、レストランの店長と警察署長がやってきて、夫だけを連れ去っていく。署長は、この町では女は禁制で隔離されるのだと言う。妻の事を案じながらも夫はおとなしく二人についていく。
 ひとり残された妻のもとに影の女たちがやってきて、ここから逃げ出さないと捕まってしまうとせかせるが、時すでに遅く、妻は犬を連れた追っ手たちに追いかけられ、逃げ回っているうちに目の前に車が現れ、危うくひかれそうになる。
 この夫婦の息子は、目の前に飛び込んできた女性を避けようとして事故を起こし、亡くなったのだった。この最後の瞬間を見て、この劇はここから始まったのだと思ったと同時に、この話は、この女の夢物語にも感じられた。
 この劇の展開を観ているとき、安部公房の『砂のおんな』を思い出した。そして、この劇は不条理劇だと思った。不条理劇の「不条理」は英語で'absurd'だが、その意味は「不合理な、滑稽な、馬鹿々々しい、不条理な」であり、不条理演劇のフランス語の'absurde'は、実存主義の用語として「人生に意義を見出す望みがないことをいい、絶望的な状況、限界状況」を指す。
この劇はまさにその定義通りの展開で、その不条理性、馬鹿げた、あり得そうにない話にずんずんと引き込まれていく知的な面白さを堪能させてくれるものであった。
 タイトルである『インディアン』とこの劇の内容と全く無関係であることの面白さ。
この演出では劇が始まる前の闇の中で、インディアンの祭りのような、あるいは戦いの前の儀式のような声の響きと犬の吠え声が聞こえるだけで、あとは一切インディアンを連想させる物事はない。タイトルの劇の無関係な関係のシュールな面白さを感じた。
 出演は、夫婦役の妻「女」に、品川恵子、その夫「男」に花柳一、カフェのウェイターに馬場太史、警察署長に岡本高英、神父に伊藤哲哉、駅員と警察官に川光俊哉、そして影の女に湊惠美子と速名美佐子。
 上演時間は、1時間15分。
 濃密な知的遊戯の面白さを楽しむことが出来、十分に堪能させてもらった。


作/ピエール・ルーディ、訳/岡田正子、演出/新見真琴
4月7日(日)12時開演、成城学園前・アトリエ第Q藝術、全席自由

 

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