高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    Bow13th公演、演劇×剣詩舞 第2弾 『金閣寺』        No. 2024-005

 Bow10th『蜘蛛の糸』で好評を得たということで、「演劇×剣詩舞」の第二弾として三島由紀夫の『金閣寺』が上演された。
 『金閣寺』公演の案内をもらったとき、久しぶりに新潮社の日本文学全集の三島由紀夫集を引き出して読み返してみた。読了メモに1971年2月7日と記されてあり、もう半世紀以上前のことであった。赤線を引いている箇所など懐かしく読み返した。
 前回の『蜘蛛の糸』を観ていないが、1時間10分に凝縮された「演劇×剣詩舞」なる『金閣寺』がどのようなものであるのかに大いなる興味を感じた。それに1時間10分という短い時間で三島由紀夫の『金閣寺』の全容が十分に表現できるのかも関心事の一つであった。
 最初に結論を言えば、三島由紀夫の『金閣寺』の真髄を感じさせる舞台であった。
 <どうあっても金閣は美しくなければならなかった>
 美は美しく腐敗する。それゆえに、美は亡びねばならない。否、美の美しさを腐敗から守るために腐敗する前に破壊せねばならない。
 <自分はひそかに選ばれた者だ…この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っている>
 少年溝口の前に最初に現れた美しきものは、女学校を出て特志看護婦となった有為子であった。有為子は溝口にとっての金閣寺の表象であった。
乳房からしぼった乳を将校が飲み干す場を南禅寺で溝口が目にした女が、今は生け花の師匠となって柏木の女となっている彼女に柏木の企みで再会する。彼女に南禅寺で目撃したことを告白すると、女は溝口に南禅寺でしたことと同じことをしようとする。
そのとき<乳房が金閣に変貌>し、溝口は女から逃げる。金閣は、<私を人生から隔てようとする>のであった。 それゆえ、溝口は<金閣を焼かなければならぬ>のであった。
パンフレットの挨拶文で<「美」を夢見て「美」に裏切られ、「美」に囚われて自らの手で「美」を焼いた学僧・溝口。この「美」なるものは、芸道を志す身として永遠のテーマである>と記す学僧・溝口を演じた入倉慶志郎は、台詞と剣舞とで溝口の内面を体現し、表象する。入倉はさらに続けて記す。
<美というものに完成された姿などなく、常に変容し無限に広がる可能性を求め・・・過去に囚われず未来に向かうための戦いを続けていく>。
金閣は溝口に焼かれることで、美の可能性であり続ける。
脚色・演出の桒原秀一は『金閣寺』を三嶋由紀夫の自伝に近いと書いているが、自分が『金閣寺』を呼んだときに感じた感想も、『仮面の告白』に連なる三島の内面的自伝であると思ったことと重なった。
 溝口の心情の激しいゆらぎが入倉の剣舞によって体現化され、コロスとしての歌い手たちの歌と二人の剣舞手によって内面のゆらぎが増幅される台詞劇として、演劇と剣舞詩の融合された舞台であった。
 出演は、溝口の入倉慶志郎のほか、将校に庄田侑右、有為子や生け花の師匠の女に藍梨、溝口の父親と金閣寺の老師を鈴木吉行、溝口の親友・鶴川に滝沢亮太、柏木役に阿南天尋、それに剣舞の女性二人、コロス役を加えて、総勢22名による熱き舞台であった。
 上演時間は、休憩なしで1時間8分。


作/三島由紀夫、脚色・演出/桒原秀一、振付/入倉昭鳳
2月5日(月)13時開演、荻窪・オメガ東京、チケット:4000円、
全席自由(最前列中央に座る)

 

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