高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   演劇ユニット・夢桟敷 第16回公演 『リターン、陸へ…サムトの女たち』 No. 2023-007

「おもしろうて やがて悲しき まつりかな」

 清水邦夫のタイトルに詩を感じて惹かれることが多い。
 今回は、サブタイトル的に付けられた「陸へ…サムトの女たち」の「サムト」を読み違えて「サトム」と読んで、サトムをめぐる女たちの物語と思っていた。それがサムトの間違いだと分かって、「陸へ」と「サムトの女たち」との関係が分からなかった。まずサムトの意味が分からない。しかし、「陸へ」と「サムトの女たち」という遠い関係性に詩を感じる。タイトルの「リターン」はこの劇を観ればその意味するところは想像できるのだが、「陸へ・・・サムトの女たち」は見終わった後も疑問のままであった。
 そんな清水邦夫の作品を劇団ユニット夢桟敷が演出に小林志郎を迎えて果敢に挑戦。
 タイトルの「リターン」には、二重三重の意味が込められているようだ。
 老境を迎えた女優が故郷の北国に戻ってくる。その女優が女高生時代に通った北国(ほっこく)映画館の経営者であった老女と出会い、昔のことを回想する。そして、最期には、一旦は引退を考えた女優の道へと戻るべく故郷を後にしようとするところでこの物語は終わる。話の主筋を単純にまとめるとこんなものであるが、リターンは、まず女優が故郷に戻ってきたこと、次は過去の自分への回帰としてのリターン、そして最後は、女優への復帰としてのリターンと考えることができる。
 女優が引退を考えたのは、舞台の途中で台詞を突然思い出せなくなったことがきっかけであるが、彼女は幼少のころから時々、自分がどこにいるのか見失ってしまうことがあり、こうして故郷に戻ってきた今も、自分の帰る家が分からなくなり、記憶にある場所で、何時間も妹が迎えに来るのを待っているところからこの舞台は始まる。
 彼女をはじめとしての3人の認知症の登場人物の交錯が主筋の背景をなす。
 故郷を出て女優の道を進んだ彼女が育った家は、妹が「ひとり」で守ってきた(筈であった)。妹がひとりであったはずが、今ではなんと6人の居候がその家で一緒に暮らしているという。妹曰く、雪の激しく降った日、家の前で進めなくなった車の家族を家に入れてお茶をもてなしたが、その時はその家族は一旦出ていくのだが、再び戻ってきて、古くなっているその家の改修を始めるのであった。この家族は古い木造家屋の解体屋で全国を旅してまわっているのだが、そのままその家に居座ってしまう。そのため、女優は我が家に戻ってきたものの自分の居場所がないと、泊まらずに帰ろうとするところであった。
 解体屋の家族のなかに認知症の父親がいて、彼は「おかえり」しか言えなくて、どんなときにも「おかえり」しか言わない。また、女優が「アルマジロ」と綽名をつけていた北国映画館の経営者も今では老女となって、若い時代の美しさも失われ「百貫デブ婆ちゃん」となっていて、認知症気味である。彼女は、二人の娘のうち一人を、アメリカに留学した娘を交通事故で亡くしており、その娘がアメリカから貨物船で戻って来ると思い込んでいて、女優と出会って彼女をその娘と思い込んでしまう。女優は、妹や、その老女の娘と孫娘の頼みで、亡くなった娘の役を演じて老女と会話を交わす。その会話は、映画館の経営者だった彼女と映画好きであった女優とにふさわしく、映画をめぐって交わされる。映画の経営者であった老女の口癖の、「映画はサスペンス」を地で行く二人の会話であった。
 この劇を観終わって感じたことは、カフカの不条理の世界と、安部公房の『砂の女』であった。妹の家に転がり込んだ家族は、解体工事で九州にまで出かけることになっているというので、『砂の女』のように閉じ込められた世界に留まっているわけではないのだが、それでも出て行きそうで、実は出て行けないという雰囲気を感じさせるものがある。
 自分が観たマチネのAチームの出演は、主演の女優役に妹尾江身子、その妹に佐々木裕子、老女に佐々木登志子、老女の娘に瀧山貴美子、孫娘に会田乃梨子、女優の妹の義弟役に今回が初舞台という丹羽昭夫、そして子ども役に芳尾孝子。
 上演時間は1時間に満たない短いものであったが、夢桟敷が紡ぎ出す短編小説を読んだような、良味を残すものであった。

 

作/清水邦夫、演出/小林志郎
3月10日(金)15時開演、北池袋・新生館シアター、料金:3000円、全席自由

 

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