高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    伝統文化交流会主催、歌舞伎座花籠講座
          花籠語り部金曜会 『鶴八鶴次郎』     
 No. 2023-004

 斉藤由織と女鹿伸樹の二人による新内節の名人と言われた鶴八と鶴次郎の物語の語りを、たっぷりと堪能させてもらった。まさに二人が物語の鶴八と鶴次郎とに一心同体と化しての素晴らしい語りによって、鶴八鶴次郎二人の運命、行く末のドラマの世界にぐいぐいと引き込まれていった。
 語りの中で、今ではもうほとんど聞くことができない新内節のさわりを、鶴次郎を語る女鹿伸樹が聞かせてくれるのも、この語りを聞く醍醐味の一つであった。
 新内節は、聴くことができないだけでなく、「新内節」という言葉すら死語になっているのではないだろうか。
 ちなみに新内節を調べて見ると、その概要は、「18世紀中ごろに豊後節から派生した浄瑠璃の一流派で、豊後節の創始者宮古路豊後掾の弟子加賀太夫が改姓独立して名乗った富士松薩摩掾の系統を引く二世鶴賀新内(1747-1810)が、鼻のかかった独特の節回しで人気を博したため新内節の呼称が普及し、それが先行の同系同趣の流派の総称となり、新内節が芝居から分離したため遊里を拠点として発展し、心中道行物を主とし、人情の機微を語った」とある。その代表曲には、『鶴八鶴次郎』にも演目として出てきた、『明烏(あけがらす)』『蘭蝶』『膝栗毛』などがある。
 物語は、今や名人と呼ばれている二代目鶴八と、先代の時から仕えている鶴次郎は会うたびに喧嘩している。各界の芸の名人と言われる芸人たちの名人会というその初日、二人は喧嘩の真っ最中で、しまいには名人会にも出演しないとまでエスカレートしていく。しかし、「名人も、芸も、客があってこそ生まれるものだ。その客を無視するのか」という興行師の言葉で、二人は余儀なく出演する。二人の喧嘩は芸の上での喧嘩で、舞台に上がれば別人と化し、その名人会でも一番の好評を博す。その大好評にもかかわらず、鶴次郎は鶴八にまたもやダメ出しをし、再び喧嘩となるが、好評であったことから大阪での「名人会」興演に呼ばれて行くことになる。
 大阪での興行も無事に終え、鶴八と鶴次郎は二人きりで高野山へと回る。そこで鶴次郎は鶴八から縁談の話を聞き、自分の気持を打ち明け、自分と結婚してくれと言う。二人は、結局のところ喧嘩するほど仲が良いという間柄で、互いに好意を抱いていたものの、不器用な鶴次郎は自分の気持を正直に表せないだけであった。
 今は名人ともてはやされていてもこの人気も長くは続くものではないと悟っていて、鶴次郎は自分の小屋を持つのが夢だと言う。結婚もその夢がかなえられてからだという言葉に、鶴八は二万円のお金を母親の遺産だと言って鶴次郎に渡す。しかし、そのお金の出所が、ひょんなことから鶴八の縁談の申込者だと分かって、二人は喧嘩別れとなり、鶴八は結局その縁談の相手と結婚し、相方のいなくなった鶴次郎は人気も落ちて酒浸りのすさんだ生活を送るようになる。
 それから3年後、東京での「名人会」の復活話が持ち上がり、なんとか鶴次郎を復帰させたいと思っている者が、今は裕福な懐石料理屋に嫁いでいる鶴八を説得して、鶴八鶴次郎は再び舞台に立ち、好評を博しただけでなく、歌舞伎役者の守田勘彌から帝劇での舞台に、『蘭蝶』をやって欲しいと言う依頼が入る。
 鶴八は、夫が出演に賛成しなければ離縁してでも出演すると言う言葉を聞いて、鶴次郎はまたもや鶴八にきついダメ出しを吐き、二人は喧嘩別れとなる。
 その夜、鶴次郎は鶴八との共演を取り持ってくれた者と酔いつぶれるほどに飲み、鶴八にダメ出しをした真相を打ち明ける。この筋書きはこの手の話として先が読めるだけに語り手の力量が問われるところだが、そこは女鹿伸樹がしっかりと押さえ、感涙を呼び起こす語りで結んでくれた。聴きどころ、聴きごたえのある場でもあった。
 斉藤由織と女鹿伸樹の二人による語りの醍醐味を十二分に味あわせてもらった。
 二人の語りの時間は休憩なしで、1時間半。

 

作/川口松太郎
2月17日(金)15時30分開演、歌舞伎座3階・花籠ホール、チケット:3000円

 

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