高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    劇団俳優座公演 No. 352 『対話』           No. 2023-003

 いつものようにぶっつけ本番で観る。左隣の自分と同年配と思われる男性の話を聞くともなしに聴いていると、その方は弁護士らしく、またこの作品の翻訳者とも知り合いのようでもあり、前回のアフタートークにも出演者側の席で参加されたような話しをされていた。その話の内容から、この劇が司法制度に関係した話であることも察せられた。
 事前の知識も入れずに観劇したのだが、その印象は強烈で、その印象を壊したくない思いで、当日のアフタートークも聞かずに終演後早々に退散した。非常に緊迫感に溢れた劇であった。
 改めてチラシを読み返して見て気づいた「修復的司法」について調べ、2021年に上演された『面と向かって』の観劇日記を読み返してみた。それを読み返すと、チラシにある「ジャック・マニング」シリーズ第2弾の意味合いもよく分かったが、同じ作者のその作品を観劇していたことすら忘れていたのには愕然とした。
 聞きなれない「修復的司法」(Restorative Justice)をウィキペディアで調べると、1990年代半ばから、カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどで制度化され、「修復的正義」、「修復的対話」とも訳され、その定義は、「当該犯罪に関係する全ての当事者が一堂に会し、犯罪の影響とその将来へのかかわりをいかに取り扱うかを集団的に解決するプロセス」で、「犯罪によって生じた害を修復することによって司法の実現を指向する一切の活動を言う」とある。
 また、「修復的対話」とは、「対話によって、トラブルを平和的に解決する」もので、ハワード・ゼアの定義では、
1.受けた傷を癒し、事態を望ましい状態を戻すために
2.問題に関係がある人たちが参加し
3.損害やニーズ、及び責任と義務を全員で明らかにすると同時に
4.今後の展望を模索する過程である。
とし、そのルールとして、
1.お互いに尊重する
2.相手の話に耳を傾ける
3.相手を非難しない
4.話したくないときは話さなくてもいい。
 これらのことが分かっていて観るのと、知らないままで観るのとは印象も変わってくるかもしれないが、自分は何も知らないまま観たことがよかったと思っている。
 ドラマの緊迫した緊張感あふれる展開の印象を振り返って、ゼアの定義とルールを当てはめて舞台を振り返って見る面白さ、楽しさを改めてかみしめた。
 そもそもこの「修復的対話」は誰が持ちかけるのかという問題があるが、それについては劇中で加害者側の母親コーラルの台詞から、彼女が調停人に依頼したことが分かる。その目的も彼女の台詞から明らかにされている。
 ドラマの「対話」はゼアのルールとは真逆に展開する。すなわち、お互いを尊重することなく、相手の話に耳を傾けることなく、相手を非難し、一方的に自分の思いをしゃべりまくる。
 コーラルの長男スコットが、デレクとバーバラの娘をレイプして惨殺し、その判決も終了し、スコットは服役して事件は司法的には決着しているのだが、スコットの収容所先が危険なところで、現に彼はそこで刺されて死ぬところであった。そのままそこにいればスコットはいつ、再び襲われて命を奪われるか分からないということで、コーラルが収容所の変更の嘆願に、被害者の署名が必要なことからこの「修復的対話」を望んだのだった。
 最初はお互いの言い分だけで、加害者側の謝罪の言葉に被害者側は絶対に許せないという拒絶反応を繰り返すばかりであるが、加害者側であるコーラルの娘ゲイルが、犯罪の責任を貧困と格差の社会的問題が一因であると責任転嫁のような主張を始める。彼女は貧困の中で、伯父の援助もあって大学にも進み、今では政治活動で貧困問題と格差社会を批判し続けている。彼女が理知的、理性的に説明すればするほど、受け手である聞いている観客の自分までも却って彼女に反感を感じるようになる。そういう意味では、憎まれ役としての彼女を演じた天明屋渚の演技は秀逸であった。
 『対話』は、お互いの言い分を聞き入れようとしない状態が続くなか、今度は身内同士での言い争いへと転じ、お互いが責任をなすり合い始める。
 被害者側の妻バーバラが、娘のアルバムを見ることができないのにかかわらず、娘のことは話したくてたまらない、それを夫に止められているが、ゲイルは「話してほしい」と言ってバーバラの話を聞く。すると、バーバラは、それまで娘の思い出は「いい娘」でしかなかったのが、実は反抗的であったことなどを話し始める。そこから、加害者側の家族も、被害者側もそれぞれ自分の非を告白し始める。それまでは、スコットを更生施設から解放する判断をした自分の正当性ばかりを主張していたセラピストのローリンも、自分の非を告白し、認めるようになる。観ている側としては彼女の責任が重大な要因の一つであったと思えていたのだが、彼女はそれまで自分の責任を避け、他者の責任に負わせようとしているとしか見えず、その独善性に腹立たしく感じていた。
 このようにお互いが自分の過ちについて素直に語ることによって場の空気が変わってきて、バーバラはスコットの収容所変更の嘆願書に署名することに同意するが、最後まで同意しないのは夫のデレクであった。しかし、彼も、条件付きで、「この場では署名しない」という表現で、含みを残して「対話」は終了する。
 「修復的対話」について観劇後に調べたことで、このプロセスの面白さがよく分かってきた。
 気分的にはしんどい劇であったが、対話のプロセスと出演者の演技に引き込まれて楽しむことができた。
 出演は、調停人のジャック・マニングに八柳豪、被害者の父親デレクに斉藤淳、その妻バーバラに安藤みどり、セラピストのローリンに佐藤あかり、加害者の母親コーラルに山本順子、その息子(次男)のミックに辻井亮人、長女のミゲルに天明屋渚、伯父(コーラルの兄)のボブに河内浩の7人、それにスコットの声の出演として山田真央。
 上演時間は、休憩なしで2時間10分。

 

作/デヴィッド・ウィリアムソン、翻訳/佐和田敬司、演出/森 一、美術・衣装/加藤ちか
2月15日(水)13時開演、俳優座スタジオ、チケット:5000円、座席:3列26番

 

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