高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    二兎社公演46 『歌わせたい男たち』             No. 2022-030

― 内心の自由と面従腹背 ―

 予約開始日を失念してチケットが取れずにいたが、公演関係者にコロナ感染者が出たため一時中止となっていた分に追加公演が入り、運よくチケットが取れ不幸中の幸いとなった。
 二兎社の公演記録を見ると、この『歌わせたい男たち』は2005年10月から11月までベニサン・ピットで初演された後、2008年3月に再演されており、時事的問題を含んだ劇であるのにもかかわらず、内容的にも一向に古い気がしない。というより、現状はむしろ問題はより深刻化、深化しているといえる。
 タイトルの「歌わせたい男たち」の意味を「男たちに歌わせたい」と勘違いしていたが、そのような両義的にも取れる微妙な言い回しにも面白みを感じた。
 卒業式の「君が代」斉唱で、教師の不起立問題を扱った劇で深刻な時事問題がテーマとなっているにもかかわらず、ほんのりと笑える劇に仕立て上げられていて、劇そのものは深刻であるというより軽やかさを含んだ喜劇的色調さえ感じさせるのは、出演者の演技力にもよるのだろう。
 卒業式の当日、校長の努力の甲斐あって今年は在日の生徒の説得もでき、教師の不起立も一人を除いてなくせそうになっていた。それに式典のピアノ演奏も今回新たに採用した音楽教師によって無事出来そうである。前任の音楽教師はクリスチャンで、そのため国家神道につながる国歌のピアノ伴奏ができないということで、昨年はCDで代用され、その教師は退職することになったのだった。しかし、新任の音楽教師はコーヒーをこぼした際に慌ててコンタクトを片方なくすというハプニングが起こる。彼女は元シャンソン歌手で、音大出にもかかわらずピアノ演奏は得意ではなく暗譜ができないという。そこで一番親しくしている社会科教師からメガネを借りようとするが、その教師が不起立の問題の当事者で、彼は彼女が国歌を演奏するというのでメガネを貸すことを拒否する。
 校長以下、その教師に不起立を止めるよういろいろと説得を試みるが頑として受け入れない。一方で、昨年定年退職した教師が配った国歌斉唱反対のビラに書かれていた文章が、10年前に校長が平教師でいた時分に書いた文章で、「内心の自由」を主張したものであった。それを読んだ生徒たちの一部が不起立に賛同するという大問題に発展してしまい、校長は屋上に上ってそこから全校生徒向かって、「内心の自由」を「面従腹背」という策謀によって守ることができると必死の主張をする。
 音楽教師は不起立の社会科教師の主義主張を理解するが、生きる糧の問題とそれとは別問題だと、彼にメガネを貸してくれるよう頼む。一方、本心を知りたいと校長に迫っていた彼は、校長の10年前の論文と今の主張に感ずるところあって、彼女に自分の父親が愛した「あの愛の唄をもう一度」の唄のシャンソンを歌ってくれと言う。彼女は、間をおいて、その歌を静かに歌い始める。彼はその歌を聞いて、自分のメガネを外してテーブルの上に置いて静かに立ち去る。彼女は歌い続け、そしてゆっくりと溶暗。
 教育行政の教育現場への干渉と抑えつけに、静かながらも内なる抗議の憤りを感じさせながらも、にんまりと笑わせつつ、抑えようのない内なる憤りが胸に静かに渦巻いてくる秀逸なエンターテインメントを楽しませてもらった。
 出演は、主演の音楽教師にキムラ緑子、校長に相島一之、社会科教師に山中崇、英語科教師に大窪人衛、養護教諭にうらじぬのの5名。
 上演時間は、休憩なしで1時間45分。


作・演出/永井愛、美術/大田創
12月4日(日)18時開演、東京芸術劇場シアター・イースト、
チケット:6000円、座席:J列6番

 

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