高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    こまつ座・第145回公演 『吾輩は漱石である』        No. 2022-029

"正解はない"面白さを探る旅

 故小沢昭一の「シャボン玉座」のために39年前に書かれた『吾輩は漱石である』が、こまつ座で初めての公演だということで事前にこの作品を読んでみたが、何かよくわからなかった。つまり何を伝えたいのかが分からなかった。それは、これまで観てきた井上ひさしの戯曲には、おもしろ、おかしさの中にも何かメッセージが込められていてそれが伝わってくるものがあったのだが、それがこの作品では何も読み取ることができなかった。
 パンフレットの『the座』で、演出者の鵜山仁が「この戯曲、何かがあるに違いないけれど、その何かが一体何だかよく分からない」と開口一番に記しているの見て、自分の疑問に、自分だけではないのだと納得と安心。その鵜山仁が「the座」の寄稿文のタイトルで「"正解はない"面白さを探る旅」として、この劇の核心を一言で表現している。
 このよく分からないということについては出演者の言葉にも表されていて、雪鳥と開化中学数学教師のおつちやんを演じる木津誠之も、「僕には分からない展開で、正直かなり焦りました」と語っており、また井上ひさしの作品に5度目の出演となる山本龍二も、「今回が最も掴みどころのない戯曲」と言っているので、自分が分からないという気持ちになったことにも一種の安心感を得た。
 井上ひさしの戯曲の台本は長々としたト書きが有名だが、冒頭のト書きのたいとるには、「抱かれて血を吐くプロローグ」とあって、その中に「床の間に洋書(ウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』が一冊)という記述があり、その事に関連してかどうかは分からないが、漱石と開化中学の生徒山形勘次郎を演じる鈴木壮麻が、「鵜山さんから今回のコンセプトは"多元的宇宙"である」と聞かされたことを語っており、改めてこの長いト書きの意味を読み返してみた。この冒頭の長いト書きには、漱石が血を吐いて寝ている場面についての情景を長々と記されているのだが、最後のほうで、「真実、この幕開きに必要なのは、仰向けになって己が胃中の異変と闘っている漱石と、その漱石に風邪を送っている鏡子と枕許の唾壺一個だけである」として描き、そこで女中のお仙が登場してくることになっていて、うっかり「多元的宇宙」ということを失念していた。
 長々と冒頭のト書きについて触れてきたのは、この一見無駄(では決してないが)のようにも見える長いト書きの中に、重要なキーワードが含まれているということを示したかったからである。
 明治43年8月24日、伊豆修善寺温泉で吐血した漱石が、30分間、臨死状態で寝伏している場面と、転じて漱石がその仮死状態の中で夢見る内容が舞台上に具現化され、その夢の中の話に登場してくる人物が、漱石の作品中に登場する人物からなっている。その夢の中の話に、文明批評や隠されたメッセージが込められている。
 開化中学を買い取ろうとしてやってきた女性が「歩くとき左足と右足の運びがなんとなくちくはぐで、なにか自然を踏み外しているような調子である」というト書きに自ら説明をして、「この新式の歩き方をもう少しく説明いたしますと、右足が旧体依然たる日本、そして左足が西洋舶来新思想、新である左足をまずすっとお先に出し、しかるのち旧である右足を引き摺りながらすこし前へ進める。(歩いてみせて)新―旧・新―旧、西洋―日本・西洋―日本、洋才―和魂・洋才―和魂・・・」と語りながら歩いて見せる。これなどは、明治の文明開化を急ぐ文明批評としての風刺が読み取れる好例である。このことは、「the座」で連載されている共同通信社の記者加藤正弘の『こまつ座芝居で政治を考える』の中でも触れられていることだが、その論説の中で目から鱗の感であったのは、開化中学が「日本の姿そのものに見える」ということと、「姿を見せない校長は天皇を暗示している」という示唆的な見方であった。そうやって読み解いてみると、この夢の中の出来事が含んでいるメッセージが浮き彫り化されてくる。
 劇を観るのに何も政治的なメッセージだけを探る必要もないのだが、このように読み解き明かされると、何となくわかったような気がしてくるから不思議だ。しかし、観劇の楽しみは心に感じるものが残ることであって、今回この劇を観て感じたことは、夢の中での出来事で発せられる登場人物たち各人の「淋しい」という気持ちが一番「こころ」にしみじみと残ったことが印象的であったことである。また、漱石が舞台上で一言も言葉を発しなかったのも印象に強く残った。
 出演は、漱石・山形勘次郎に鈴木壮麻、鏡子と遠山華子に賀来千香子、雪鳥とおつちやんに木津誠之、春陽堂社員の岡田と開化中学書記兼小使に山本龍二、長与医院副院長の杉本と開化中学英語教師のランスロットに石母田史郎、長与医院の森成鱗造と開化中学国文教師小川三四郎に若松泰弘、菊屋女中のお仙さんと華子の下女お玉に栗田桃子、開化中学新入生の金成賢吉に平埜生成の8名。
 上演時間は、途中15分間の休憩を入れて、2時間40分。

●アフタートーク (井上麻矢 x 鵜山仁)
終演後のアフタートークは観劇後の自分の感動や印象の余韻が乱される懸念もあってパスすることが多いのだが、今回は、演出家自身がこの作品をよく分からないと語っていたこともあり、また鵜山仁その人の話を聞くという期待もあって最後まで残って聴いた。その中で、鵜山仁がアカペラの合唱で歌ったとき、演奏付では聞こえない周囲の歌声がアカペラだとその周囲の歌声がノイズとして耳についたが、そのノイズが必要なものであるという話に、このアフタートークも自分には時にノイズであるということで、今回必要なノイズであったということで共感をもった。また、井上麻矢がこの劇を集約したことばとして「淋しい」という思いをあげたことにも共感した。いろいろ参考となる話を聞くことができたのだが、二人のこの言葉だけでも大変ためになったと思っている。大事な内容はもっと沢山あったのだが、自分にとって記憶に残したい言葉として記録しておく。


作/井上ひさし、演出/鵜山仁、音楽/宇野誠一郎、美術/乗峯雅寛
11月16日(水)13時開演、紀伊國屋サザンシアター、
チケット:8800円、座席:14列13番
パンフレット(the座・116号):1100円

 

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